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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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男女間の友情は存在するのか













   男女間の友情は存在するのか












多分、前にもどっかにこんな内容で何かを書いた気がするのだが、どこに書いたのか忘れてしまった。だから、その時自分が男女間の友情はありだと思っていたのかどうかも忘れてしまった。そこでもう一度ゼロから考えてみる。


非常に若い頃、私はわりとユニセックスとでもいうか、サバサバした女だったので、男、女、問わず、話して面白い人だったら気にせず話してた。だから、大昔は男女間の友情なんてものはあると思っていたかもしれない。


その後、事故が起きたのである。事故の内容はもう大昔の出来事であるし、つまらない話なので割愛するが、そこで考えを改めた。曰く、どこまで行っても性別はついてくるかなという感じだ。国籍もついてくるけどな。自分で自分のことを女だなんて思ってなくても、相手から見たら女だってことだ。


ただね。男の人が男の人を好きになったり、女の人が女の人を好きになったりすることもあるじゃないですか。私的には、相手に全然性欲がわかなければ、そこには友情があり得ると思います。だから、男が好きな男の人で女の私をひとかけらも恋愛対象としてみない人とであれば、友情はあるのかもしれない。


一方、話をストレートな人に戻して続けると、


「え、全然そんな対象じゃないよ。ありえないし。これっぽっちもあいつに男なんて感じないし」


こんなセリフを耳にすることも生きていれば度々ある。私はこんなセリフは右から左へ聞き流すようにしている。これっぽっちもあいつに男なんて感じていないなら、わざわざ第三者に言葉にして宣言する必要なんてないのである。私に言わせればそれこそがもう意識している証拠である。


付き合うとか、一線越えるレベルの 甘え でなくとも、それ未満の 甘えを無意識に男に期待するのが女だし、その逆も然りである。自分が異性に甘えていることに無自覚であったり、或いは、本当は自覚しているのに無自覚なふりをする人は、私からみると子供である。むしろ、いい年したおじいちゃんやおばあちゃんの方が自らの欲望に素直であり、見ていて清々しいものだ。しかし、そこ、若い女の子のケツを触ろうとするな、爺さん。(→行き過ぎないように釘をさす)


男友達には、女友達からは得られないものが得られる。友達、友達とやたら彼は友達アピールをする人ほど、逆にその彼への甘え度は高い。彼の彼女ではないのだが、地味に一部を独占して喜んでいるのだ。無自覚にである。それが人間の欲望というものだ。


目の前でこれをやられると表ではニコニコして、裏では けっ と思うのが女子である。なぜか?簡単だ。本当は自分も年甲斐もなく不特定多数に甘えたいのだ。逆を言うと、男の人だって不特定多数にチヤホヤとモテたいだろう。だから、それを目の前で他人にやられると腹が立つのである。


どうよ、全く友情でもなんでもねえじゃねえか。


しかし、計算高い大人は、他人の目があるところではニコニコと大人しく、他人の動向を見ているものである。人前できゃんきゃん甘えたりはしない。それで、みんなが気づかないところでちょっとだけ甘える。それは、本当にささやかなものだ。例えば、ちょっとだけ荷物を持ってもらうとかさ。傘に数メートル入れてもらうとかさ。


彼氏でも旦那でもない男の人を、他の人のものを、チコっとだけお借りすると、非常に癒されます。チコっとでいいんです。


で、なんの話でしたっけ?


もしも、自分を表も裏もひっくり返して、内臓の小腸、大腸のひだまで全部伸ばして(そんなことやったら死ぬのだが、これは比喩だ)見て、全部、ぜーんぶ、正々堂々とそんな異性に甘えたい気持ちは大腸のひだとひだの間にもチコっともない!と言われる方は、


いいんじゃねえの?男女間の友情はあるってことで。論争する気はさらさらない。


そして、話は変わるのだが、純粋に友情ではないのだが、しかし、男女間で最も友情に近い関係といえば、一度付き合って別れた後に友達になった二人ではないだろうか。


付き合ったことのない二人が、我々は友達 と宣って過ごしているのをみるよりも、付き合ってから別れた二人の方がよっぽどしっくりくる。


「もう、こいつには欲情しねえ」

「そうか」(秒で納得)


やったことのない二人が、一生懸命欲情しねえ宣言をしても、どっか無理してない?と突っ込みたくなるが、付き合ってて十分そういうことをし、別れた後に言われたら、わりとすんなり納得する。


もう、お腹いっぱいなのね、という話である。十分にお腹いっぱいになったから、ガツガツとした本能に邪魔されることもなく、非常に冷静に淡々と相手の話を聞けるのである。性欲を抜きにして。


一度好きになったら、別れても好きで、そして、また会っちゃったら、また好きになっちゃうんじゃないの?という声も聞こえてきそうだけど。とことん付き合って、なんか違ったなととことんわかったら、もう全然食指が動かないってこともあると思うのよ。それ以前につまらない話だが、男女は長くなってくると、当初の熱は冷めるものだ。かなりの割合で冷める。嫌いになったのではなくて、ただ冷める。


「なんでこの人のこと、好きだったんだろう?」


と思うくらい。とことん知ったから、だからこそ、恋愛感情は限りなくゼロに近く、友情に近いと思うのです。


反対に、まだ始まってない二人というのは、実際は相性も何も全然良くなくても、相性が悪いということをまだ知らない二人な訳。一線を越えていなければさ。食べたことがないものは食べてみたいものなのだよ。人間というのはね。まずいかどうか知りたいのです。そこには純粋な友情は育たないと思うわけ。


恋愛というものを考える時は、そこで性欲とは何かを考えるべきで、そして、男と女のそれは違うのです。女の人はむしろ性欲という言葉自体嫌うし、私は性欲などないという人もいるだろう。だから、女の人に小説を読んでもらいたかったら、私はこんなところでこんな単語を連発していてはいけないのです。本当はね。


それはあるのだけど、ないことにして書くのが女性向けの恋愛小説だと思う。実際女性は生活の中でもそれをないことにして生きている人が多いので、その心の声に沿って言葉を置くのです。そして、その言葉の後ろにこっそり置いておく。一見無害そうなフォルムにして、例えば、招き猫みたいな?性欲を形を変えて、どんと置いておくわけです。だって、隠してそれを置いとかないと、誰も読まん。


ちなみに、アムロがニュータイプだったように、女性にもニュータイプがいて、この方達は招き猫みたいなもので騙しても、もっとガンガンこいやと怒られる。生きにくい世の中だ。


話が脱線したが、だから、男女間で友情を育てたいのなら、とりあえず一線越えて、お互いに恋愛的には絶望してから始めてはいかがだろう?食ってみたけど不味かったというやつだ。友情には恋愛感情が邪魔なのだから。


……というわけにはいかないか、やっぱり。


2025.01.08

汪海妹


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