We wish you a Merry Christmas
We wish you a Merry Christmas
もともと主人の仕事上の知人で最近は家族ぐるみでお付き合いのある母娘に誘われ、24日と25日に1.5日で休みを取り、香港ディズニーランドにふた家族で行ってきました。今回の案内役はディープディズニーファンのキキちゃん。母娘の娘さんの方です。
18時過ぎにツリーの点灯と夜空にマッピングというのかな?あれはドローンを使っているのだろうか?ディズニーのお馴染みキャラが夜空に舞うアニメが描かれる。
ミッキーと雪印コラボ
人工雪も飛ぶ
一昨日、香港ディズニーランドに久しぶりに行き、18時にはツリー点灯と夜空に描かれるミッキーたちの様子や、人工雪を眺め、そして、実に21時半に人海(レンハイ:中国語で群衆を指す)の合間からやはりこれもシンデレラ城をスクリーンにして巨大なアニメーションと音楽の祭典を眺め、その間中考えていたことがなんだったか。
香港景気が悪いなと肌で感じていた。ディズニーランドが混んでいなかったんですよ。この日のチケット涙がちょちょぎれるほどに高かった(そうだ。主人が泣いていた)。来客数が少なくても客単価が高ければ儲けは出る。しかし、それを踏まえても来客数が少なかった。アナ雪のフローズンは15分待ち、ビッググリズリーマウンテンラナウェイマインカーは20分待ち、スペースマウンテン 5分?つうか待たなかった。それ以外も30分待つのは珍しい。
東京ディズニーランドではとにかく待ちに待った。あの待ち地獄はエンタでもなんでもなく、小学校中学年だった息子は
「お母さん、僕はもうディズニーランドは卒業します」
卒業宣言をした。その気持ちは確かにわかった。しかし、母はそれなりにネズミランドが好きなので、困った。あなたがご一緒してくれなかったら、誰が一緒に行ってくれる?一人ディズニーは流石に、流石にでしょう。(ちなみに小学校中学年でディズニーを卒業した息子は、小学校の修学旅行で上海ディズニーランドへゆき、今回香港ディズニーランドに再びきている)
ディズニーランドは待つという地獄の記憶があるだけに、今回香港で待機客を並べるがらがらのレーンをかけぬてゆくとき、うっかりスキップしそうになった。しかし、ランドに入り、劇的なサバ読みをして子供にもどったふりをしているが、クマ耳(キキちゃんにあなたが一番似合うと思うと与えられた)をつけて束の間の逃避行を狙う、私はただの疲れた中年女性である。スキップは流石にやばい、というか痛いと思い、そこまでハメを外すのはやめておいた。
それにしてもである。私が幼少の頃よりの古いアトラクションも新しいアトラクションも、ちゃんとイノベされレベルアップしてた。香港ディズニーランド、こんなに客少なくて大丈夫かと心配したが、アトラクション設備はきちっと整備され、おそらく他の国のランドと比べても遜色ない。ただ、香港は小さいですね。規模から行くとディープファンには物足りないようだ。
結構すごいなと思ったのは、歌ったり踊ったりする、或いは、クワッと口を開いたり(ワニやカバ)おどろおどろしくくる(骸骨系)様々なお人形さんの動き方が、昔に比べて細かい動作をしてたこと。それと、映像技術の多大なる発展。映像✖️実物で物語の世界にのめり込めるのがネズミランドだ。
私がコロナで引きこもっている間に進化してた!東京にディズニーランドができて、わらわらと田舎から家族でお出かけしたあの日が懐かしい。母、子供でした。あの頃と比べて、なんとイノベしたことよ。ディズニーランド。半分大人で、半分子供っぽいところが残った人の自分、多分荒んだ世の中にぐったりと疲れていたのだろう。魔法のアイテム、クマ耳を与えられて、すっかりこの日は子供に戻り、物語の世界にどっぷり浸かった。
いい仕事してるね!ミッキー!
と思いながら、ディズニーの提供する愛と勇気に励まされた。そして、半ば、ネズミの手先となりながらここにネズミランドを賞賛しよう。やっぱ、あれっしょ、最近は特に我々は狭い家に篭り小さなスマホの画面やiPadで何かを体験した気になってしまいますが、それを体で体験するという経験が足りてないと思う。物語を見るというのと、そこに入り込むというのは別なので、わかった気になってないで自分の本物の体にその感動を与えることは必要である。
しかし、キキちゃんママもうちの主人も、ディズニーに来てもスマホが気になる人。結局は仕事をしてんです。これがまた残念。ネズミランドに対する受け皿が子供のうちに形成されなかった人は、そのディテイルのこだわりに気が付かず、ディズニーランドは特別であるというその意味がわからないのだろう。
主人やキキちゃんママの子供時代の中国は、そりゃもう、ビートルズも知らないし、ディズニーにも馴染みがない。ディズニーに馴染んだ次世代中国人であるキキちゃんはその物語をお母さんとシェアしたいのだけど、お母さんの胸にはアナ雪のエルザに会えても感動などはなく、それよりお客さんのところに貨物がちゃんと届いたかが気になる。
それを悲劇と呼ぶ必要はない。多分、ディズニーに馴染んで育った日本人だって、大人になれば物語の世界には入り込めない人の方が多いのだ。私は今でも片足を子供の頃のワクワクに突っ込んで生きている。私のような大人の方が稀なのだろう。
大抵の大人は大人になる時に夢を見ることを忘れてしまうし、夢を見ることの力を信じていないかもしれない。けれど、ウォルトディズニーは間違いなく愛と勇気の力でこの世界を変えたかった人だと思う。死してなお、これだけの影響力で世界中のディズニーランドで空に 愛と勇気が世界を変える と描いて見せている。そのメッセージはすべての大人には届かないかもしれない。でも、子供には届いている。だからある意味、愛と勇気でディズニーランドは戦っている。
無力なようでいて、でも、こういう美しさとか夢が力を持つ時代であってほしい。夜空に描かれる絵を前に無性にそう思った。
戦争が終わりますように。辛い思いをしている子供たちが一人でも減りますように。
スペースマウンテンに二度乗った。息子は2回付き合ってくれなかったので、主人を騙して連れてった。あれは速度や落ちる角度の問題ではなく視界が効かない中での疾走なので、本気で宇宙ごっこができるコースターだ。
「大丈夫?」
絶叫マシン好きの妻から、多分絶叫マシンは苦手なのだけど、男であるからにして『怖かった』とは口が裂けても言わない夫に対してのマシンが安全に停止した直後の声掛け。
「もちろん、大丈夫だよ」
「あ、そう」
もちろん大丈夫だよとは言ったが、楽しかったという言葉が漏れることはない。
「⚪︎⚪︎(息子)が二度乗らないのは正しい。二度も乗る必要はない」
(↑つまりはもう乗りたくない)
「え、私、二度乗ったけど?」
「……」
しばらくして、息子が9時半の花火とショーを待っているところへ辿り着く。
「どうだった?」
「2回目の方が面白かったよー」
「「……」」
(↑夫と息子の反応)
嘘ではない。2回目はダースベイダーに一瞬自分がなった気がしたぜ。
デンデンデン、デ、デ、デン。デ、デ、デン。
ああ、何歳まで絶叫マシンって乗れるのかなぁ。(ちなみに自分は絶叫マシンは好きですが、バンジージャンプはダメです。今までやったことないし。これからもやるつもりはありません。そして、絶叫マシン好きと言っても、いわゆる本当に怖いのはもう無理。あしからず)孫、孫だな。孫と一緒にディズニーランド来たい。そして、ばあちゃんのかっこいいところを見せたい。新しい夢が一つ増えた。
昨日のうちに投稿するつもりが、昨夜は仕事がらみの飲み会があり、投稿できませんでしたのでタイミングずれましたが本日投稿。
2024.12.26
汪海妹
夢は儚いようでいて、夢のない世界は味気ないものだ
 




