ドラマ感想:光る君へ その2
ドラマ感想:光る君へ その2
明日が最終回だなぁと思いつつ言葉を綴っております。最後の最後に 正妻対愛人 の話が来るのか。ホエエ(埴輪再び)。
不思議なもので、まひろを見ていると まひろもかわいそうだな と Doritos片手にパリパリ思い、しかし、倫子さんを見ていると、倫子さんかわいそう、クーと モナカアイス片手に思うわけです。
お前、どっちの味方なんだよと言われると、さぁどっちだろう?それにしても光る君見ながら何を食ってんだお前はって話でもある。それはほっといて。
私はもともと大河を見る人ではありませんでした。それが昨年のどうする家康から大河を見始めたのは、兎にも角にも父のため。歴史に興味が湧いてきたというサブの理由もありましたが、とうとう仕事を辞めた父が毎日暇をしていたら、刺激がなくっていわゆる ⚪︎ん⚪︎しょ⚪︎ (この隠し方も微妙だが、まぁいい)にならないかしら?とネクラなために心配し、父と共通の話題を持ち、チャットで前よりももっとおしゃべりをしようかと、そういうきっかけがありました。
しかし、光る君は 父にとっては 不倫の話がちょっと多くて微妙だったみたい。確かにちょっと女性向けドラマになったかなと思いつつ、しかし、これはこれで面白かったです。
私は恋愛小説を中心に書いていますが、実は、書きやすそうなところから書こうと思ったから恋愛小説だったわけで、普段は刑事物やミステリばかり見ている。宮廷ものも好きです。でも恋愛ドラマはあまり見ません。しかし、光る君を一種の恋愛ドラマだとしてみると、久しぶりに恋愛ものを見たなと思う。そして、それなりに面白かったよ。
最近で一番グッときたのは、道長が出家する場面です。「わたしのそばにいて」と言って、出家に反対しながら泣いてしまう倫子さんの姿に、かわいそうと思いながら、モナカアイスを食べてました。モナカアイスは余計だが、食べていたので一応つけておく。
それでつくづく思ったのですよ。結婚して、自分は正妻で、道長の成功のための財力を提供したのは倫子さんで、それだけではなくここぞという時に彼女の知力も道長を支えたのです。好きな人のためにそこまでやってそして名実ともにそばにいるのに、この、相手を手に入れてはいないという思い。
かわいそうー(ちなみにまだモナカアイスを食べている)
なんか、現代の夫婦にもさ、ぶっちゃけこういう夫婦いると思うんだぞよ。恋の果てに愛があり結婚もあるけどさ、みんながみんな恋の勝者ではないわけ。あの、若かりし日の倫子さんを思い浮かべるよ。猫がいれば結婚などしないと言いながら裕福に大事に大事に育てられていたけど、女はいったん嫁げばもう ある意味、 幸せではないのだよな……
と、モナカアイスを、しつこい、流石にもういいか。暗い話なので暗くなりすぎないように甘みを添えていたが。もぐもぐ。
もちろん、結婚しても幸せに生きている女の人だっていますよ。年取っても仲のいいご夫婦を見ると、私も癒されます。ただね、みんながみんな そんなふうに幸せなわけでもないと思うわけ。
倫子さんに話を戻していうと、道長を好きになってから、夢叶って夫婦になって時には意にそぐわないことに協力しなければならないことがあっても、何度も何度もダメになりそうな心を励ましてせっせと尽くしても、道長はたったの一度も倫子さんを本当の意味で、女としてって意味ですが、求めたことはない。
だから、さっさと倫子さんを置いて頭を丸めちゃうのよ。それは、まひろがお前の前からいなくなったからなんかーい!この時ばかりは倫子さんの代わりに画面の中に入っていって、剃髪中の道長の頭をパカりとやってやりたかったな。
一生を尽くしてきた人に わたしのそばにいて という心からの願いを言っても聴く耳を持ってはもらえない。この悲しみはないなぁ。
まぁ、出家にもいろいろあって、出家しても俗世のままに暮らしていた人も結構いるみたいですけどね。ただ、やっぱり一つのけじめであり、いわゆる 夫 ではなくなるのでしょうね。
自分的には、この熟年となった人たちがたまに離婚をしたりしますが、そういう時の女の人の心情と重ねてこの場面を見ていました。長く連れ添ってきただけに最後の一手というかなんというか、女が絶望する瞬間ってあるよなぁって。
連れ合いである相手から見たら、「え?こんなことで?」って思うんだと思うのよ。今までずっと我慢して長く俺のそばにいたのに、どうしてこんなことで別れるなんていうの?本気か?って。
この時きっと女の人は、ああ、自分は人生で愛を手に入れることはできなかったなぁと思ってるのだろうな。例えそばに 夫 という物体があり、生活のためのお金があっても、でも、自分は愛を手に入れることはできなかった。
その結論を受け入れて、男と別れて生きていく女もいるってことだ。
自分は愛を手に入れることができなかった という最終結論を出す そのきっかけというか、瞬間というか、場面ってどんなものなんだろうな。それは個々人によって違うと思うのだけれど、自分にとってはそれはその人の大事な 小説になる場面 だなと思います。人はそういう自分だけの瞬間や場面は大事にして生きていったほうがいい。それが例えこの上もなく悲しい場面だったとしても、しかし、それがあなたの精一杯生きた証です。
ここだけの話、直接知ってるわけではなく、人伝にさまざまなご夫婦の噂話のような話を聞くことが多い。わかりやすく言えば、自分の身の回りには長期間海外単身赴任をされていた知人の男性が多いということです。
最終的に日本に帰られてから、一部の方は離婚されている。
やーい、ざまみろ!なんてもちろん思いませんよ。しかし、こう、言葉はないなぁ……。少なくはない人が日本に妻子がいるのにこっちにも女の人がいたりしてますからね。それを許して最後に受け入れる女性もいれば、とうとう最後に仕事もなくなり他の女もいなくなった夫が帰ってきた時に、別れを切り出す奥さんもいるってことです。
どっちが正解とも思わない。愛なんて理屈で割り切れるものではないではないですか。ただ思うのは、女にとっては自分が人生で愛を手に入れることができたのかどうか、それに対する最終結論は非常に大事だということです。
中には 夫 という物自体は手に入れていたとしても、その心を手に入れられなかった女の人もいるということだ。あるいは、一番愛した人と女が結婚するとも限らないし、ね。
皆さんにお勧めするわけではないが、私としては それがハッピーであったとしてもあるいは 悲しい結末 だったとしても、自分の心に嘘をつかず生きていくことが良いと思う。
調子に乗って酒を飲みながらこんなことを呟くと友人がいう。
「じゃ、あんたも不倫の恋愛を楽しみな」
「……」
「それで、今の旦那と別れて新しい恋愛をしなよ!」
「え、いや、え?」
つまり、それはあなたの目から見て私の最終結論はもう出てるということか?ちょっと待て、子供どうすんだよ、おい。
汪海妹
2024.12.14




