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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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殴られても怖くない













  殴られても怖くない













今日は息子の空手の話である。


小学校低学年から中学年にかけてはフェンシングをやっていた息子。コロナを機にやめたというかなんというか。空手を始めたのは去年です。この前ふと聞いてみた。


「フェンシングはそんなに好きじゃなかったみたいだけど、空手はおもしろいの?」


それは、純粋にフェンシングと空手自体の面白さの問題なんだろうと思って聞いた。


「フェンシングは友達できなかったから」

「ああ、そっか」


しかし、それは何をやるかではなく誰とやるかという問題だったらしい。フェンシングはでかい体育館の中にわんさか人が集まって習ってました。毎回先生も周りの子も変わるので友達はいなかった。その点、空手は仲間といえる人たちと習ってるわけだ。学校の親友も一緒だしね。


友達付き合いの下手くそな自分としては、息子のこういうところはこっそり尊敬している。お前、お母さんに似なくて良かったなと思う。


週末は、そんな息子の空手の進級試験だった。親が手取り足取り試験のために対策するわけにもいかないが、明日のジョーのリングの外からタオルを投げる人のような心持ちで、母はさりげに脇に控えている。


毎回、稽古には付き添い、傍で必要な箇所は稽古の動画を取り、いざという時には「立て!立つんだ、ジョー!」ばりの名台詞でタオルを投げなくてはと思い妄想しつつ、型の練習で先生に言われた注意をメモし、次の進級試験の項目をネット検索しておさらいしておく。


そして、日々の生活の中でさりげに王子様に進言するわけだ。この、低姿勢、どうよ。


今回の試験、彼、余裕のよっちゃんいかでした。家で、じぇんじぇん個人練習をしないのです。ここで、親、本人よりもだんだんキュウキュウとしてくる。


「ちゃんとやらないと本番で頭が真っ白になってミスするよぉ」


とうとうある日、爆発。それでやっと動画を見ながら家で型の練習を始める。とりあえず安心した。数日経った後に、母はさらに欲を出し、第二の課題を小出しにする。


「柔軟、この前、ダメだったよね?」


基本技能の試験である。彼は中学生、小学生のようには体が柔らかくないのだ。チミ、前回の試験で柔軟引っかかってますよ。毎日お風呂上がりにヤンなさい。


しかし、思春期の息子が母親のいうことを逐一素直に聞くわけがない。彼は、前回NGだった柔軟を、放置した!


母はそれでも毎日、さりげに柔軟の必要性を提示し続けた。この低姿勢、どうよ。思春期の息子の母親なんて実はこんなものなのよ。


土曜は審査前の最後の稽古だった。自分はもちろん付き添いたかったのであるが、所用ありましてついていけない。旦那に託した。そして、外から彼に電話を入れる。ちなみに、彼はこの日までずっと柔軟を放置していた。たった1日で人間の体が柔らかくなるわけでもないが、母はこの日もわざわざ電話をかけて伝える。雨の日も風の日も雪の日も晴れの日も、子供のことばっか考えてる。母親なんてこんなもんである。


プルルルルル、ガチャ、開口一番


「柔軟は?」

「あ、今日やったらできた」


なんだ、できたのか。安心した。バイバイをして電話を切った。


当日である。会場につき、親はひたすら、裏方に頑張るしかない。開始前、会場の床に子供が素足で演技したら怪我がしそうな異物など落ちていないか、すり足を繰り返していた私。十分に挙動不審であったが、さりげに試験の先生に向かって裏方アピールである。涙ぐましい努力である。


それから、いよいよ始まるので、どさりと見物人用の椅子に座る。後は野となれ山となれー


そして、柔軟の試験の順番になったのであるが……


「あ、顎ついてるかチェックして。5秒」

「はい」


試験の先生が、指導のコーチに指示を出す。両足を開いて座り、頭を下げ顎は首にぴたりとつけ、前に屈んで両腕をL字に曲げて、そのL字の底辺にあたる部分を床にピッタリとつけなければならない。


ぷるぷるぷる


チェックを受けている息子の両腕が、ふ、震えております。心優しいコーチが、その傍で困っている。


試験の先生がコーチに尋ねる。


「できてる?」

「で、できてません」


息子はまんまと本番で合格しなかった。


じゅ、じゅ、じゅ、じゅーなーん!(二度目の柔軟不合格、黒歴史更新)


あ、あとは、のとなれ、山となれー


この時、椅子の上で、母は、あと少しでまな板の上にのせられるタイかヒラメのように脱力していた。私を3枚におろしてください。どうぞ。


試験はそんなヒラメを残して粛々と進む。型の審査に入る。一つ目をやっている時、息子が流し目をした。


ぬをっ


誰かを誘惑しているのではもちろんなく、一緒に審査を受けている子の動きを盗み見たのだ。


覚えとらんやんけー!


しかし、それはその時一瞬で、それ以降はことなしをえた。続けて二つ目の型である。


にゃんとかにゃってるんでにゃい?(→素人判断)


型を終えて山場を終えた。まな板の上のヒラメ、九死に一生を得た。まな板に横たわったままで頭をもたげた。ところがその時である。試験の先生盛大なため息をつき徐に立ち上がる。


「3人とも、ここが……」


あかん、あかんデェー


まな板の上から頭をもたげてたのがぐたりと倒れる。


それから、自分はいよいよ3枚におろされたか?いや、違う。まな板の上で、自分は計算をしていた。我が子含め3人注意されました。その後、別の1人が注意されました。今日は7人審査を受けています。このうち、4人が不合格になりますか?


今まで受けてきた審査で、そんなにたくさん不合格者が出たことはない。よ、ほ、ど、の大きなミスでなければ、このままいけるんじゃね?


素直に3枚におろされることを拒み、悪巧みを始める、母。あとは、野となれ、山となれーケ、セラ、セーラー、なーるよーになるさー


まな板の上のひらめのままで、オペラ歌手ばりに熱唱する。もちろん妄想の中で歌っているだけで本当は歌ってなどいないわけなのだが。


それにしてもである。母はさりげにいつも成功のための道筋を毎日来る日も来る日も王子様に進言させていただいておりましたのに、にゃんでやらなかったのかにゃあ。母なんて健気なものである。100回振られても101回目のプロポーズを息子に向けてするような生き物だ。ま、プロポーズはしないんだけど。


最後は組み手である。これはフリーで打ち合う試合形式の試験です。勝たないと合格というわけではなく攻め方と防御の仕方の技術を見られます。小学校の子達からポカスカとやり合うのをぼんやりと眺める。最後が息子です。相手は小学生ではいけない。うちの子の相手はいつも空手を教えてくれるコーチでした。


この時はもう半分終わった気分で呑気に眺めてました。コーチは稽古の時にも手合わせしてくれていて、そして、コーチが本気出すと強すぎて稽古にならないので、いつも手加減して打ってくれるし、コーチ相手なら負けても恥ずかしくないし、うちの子、組み手はまぁまぁできるし……


「はじめ」


ひゅん


え?


その日の審査はうちの子の組み手で終わりでした。私も他の親御さんたちも、


終わった、終わったー


と、かなりリラックスして最後の試合を見物していた。しかし、皆、試合が始まりポカンとした。それは、コーチがびっくりするような速度で我が息子に蹴りを入れたからである。


すぐ目の前で、ドラゴンボールの天下一武道会もかくや?と思うような生格闘。さっきまでの試合と桁外れの迫力である。


ナニーーーー!?


稽古でも見てます。コーチとうちの子の格闘は。だけどいつもは手加減してます。それが今日は間違いなく今までで一番の本気で打ち込まれてる。生まれて今までで一番の攻撃を我が子は母の目の前で受けていた。


空手なんてもんはこうである。練習でどんなに努力してても、試合は別物で、相手の迫力にのまれればまず勝てないどころか、逃げ回って終わりである。そして、次の瞬間。


ナニーーーー!?


母、二度、驚く。もう、まな板の上のヒラメなどではいられない。しっかと体を起こし、目を見開いてみた。


我が子が突然進化したのである。つまりは、生まれてから今までで最大の攻撃を受けて、彼の本能が発動したのであろう。間違いなく今までみてきた中で一番の速度とキレでコーチに反撃したのである。蹴りがやばい速さでした。


う、う、う、うちの子ですか?母筆頭に、他家のお父さんお母さん、子供達も唖然である。それから打って打たれてを繰り返す。そして、コーチの顎にカツンとうちの子の足が当たった。


は、はいった、はいったよーーコーチもまさか当たると思っていなかったのか、ちょっと驚いていたようだった。略式の試合で勝ち負けは取らないのだが、とりあえず一本入ったていで中央に戻り再度の声がけで試合再開する。最終的にはもちろん空手歴の長い、コーチの入れた技の数の方が多いのだけど、でも、たった一年の稽古であの迫力で襲い掛かられても反撃をしたうちの子に、試合終了とともに拍手が送られる。二人で握手する。虎のように襲いかかったコーチは心から嬉しそうに強くなったねと笑いかけていた。


本日の試験は全部終了である。試験の先生が受験者一人一人の講評をしてゆく。同じ型をした3人のうち2人が褒められている。息子が入ってない。間違っちゃったもんね。しかし先生、型では褒めてくれなかったのだけど、組み手での取り組みを褒めてくれた。


「一年前の君からは信じられないくらい強くなったね。高校生くらいになったらめちゃくちゃ強くなってるんじゃない?」


その後、あなたの心の中に入ることができないから本当はどうなのかはあなたしかわからないけれど、心から熱中できることがあるということは幸せなことだよと、そういう言葉をもらいました。


ほのぼのとその評を聞きつつふと我が子の顔を見たら、


な、ないとるーーー!


これにも驚いた。我が子は滅多に泣かない子。もう中学生だし。人前でなくような人じゃない。わきゃっ!


思うに、コーチは非常に熱心な人で、仕事の傍一生懸命空手を教えるし、自分自身も鍛えている人なんです。強くなる道筋というのを知っているから、本日突然虎のように我が子を襲ったのだと思うのです。


それはもちろん憎しみではなく、強くなってほしいという後輩への愛情。規格外のものに襲われ本能のままに立ち向かう、その必死な行為の中に、爆発的に伸び成長する強さがあると、きっと経験からコーチは知ってたんだと思うんですよ。


だから、本気で打ち込むのだと思う。武道にはそういうやりとりがある。


そして、試合が終わった時に、後輩が、弟子が強かったことが心から嬉しくて、笑ってる。ポカンと足を予定外に当てられて、怒るどころか喜んでいる。


うちの子はあの時、やっぱり怖かったんだと思うんですよ。怖かったんだけど、何も考えずに体が動いたんだと思う。そして、自分の知らない自分が自分の中から出てくるというそういう経験をしたんだろう。


自分で思っているよりも実は自分はもっと強い


格闘技で経験したわけではありませんが、私自身はそういう経験をしたことがある。だからわかる。本当の自信というものや自分への誇りというものは、自分で思っている以上の自分に出会えた時に培われるものです。


我が子が後片付けをして道着から着替えて帰る準備をしている時、コーチがまたうちの子の横で荷物をまとめながらボソボソと話しかけているのを見た。きっと何か秘密の励ましの言葉をかけてんじゃないかと思う。


母はそこで回れ右をして二人から遠ざかり、会場の片付けをしながらほのぼのとその様子を眺めていました。


ずっとお母さん、お母さんと追いかけられて、そして、何度も抱きしめて、数え切れないくらいこの子のことを励ましてきました。


私がずっとこの子の一番でした。一番近くにいて、何か褒めるべきことが起こったら、私が一番最初に子供を褒めていたし、子供も私の賞賛を求めてきた。


ところが、そういう時期を過ぎて、家の外の人たちが励まし成長を促してくれる機会に恵まれるようになったんだなぁ。母親が後回しにされる日が来てるんだなぁ。


社会というのは厳しいところですから、家の外に出て出会う全ての目上の人が、励まし育ててくれる人であるとは限らない。しかし、運が良ければ自分の成長を喜んでくれる人に出会うことができる。


うちの子が珍しく泣いたのは、親以外の外の人たちが、つまりは社会が、彼の成長を喜んでくれるという実感を得た、社会に温かく受け入れられているという実感を得たからではないかと思う。10代の子は感受性が豊かですね。


人の成長にはそういうものが大切だと思うのです。母親の両腕の中から出発し、そして、外で認められるという経験が。


本当に大きくなったなぁ。


母親に褒められる前に、外の人に褒められているその背中を見ながら、そう思う。大きく一歩踏み出した気がする。こうやって人は大きくなっていくのか。


夜遅くに今回の試験の結果が出た。柔軟はできなかったけど、型でも注意を受けたけど、組み手で挽回か?合格しておりました。二段ベッドの上にいる息子に伝える.


「合格だよ。短い時間で頑張ったね(柔軟はできなかったけど)」


皮肉屋の自分はカッコの中まで話すのが本来なのですが、今日ばかりはシニカルな物言いは封印しました。


「すごかったねぇ」


手を伸ばして頭を撫でる。周りに誰もいなければ、君は今でも甘えんぼさん。


「お母さん、だーいすき」

「お母さんもだいすきだよ」


あなたの背中を少し遠くからニコニコと眺めている、そういうお母さんでいたい。あなたがみんなに囲まれて、色々な人に励まされているその背中を離れたところから眺めていられるお母さんに。


生まれた時から今までずっと溢れるほどに愛してきました。私の愛の井戸は全く枯れていないし、今もこれからもずっと愛は溢れておりますが、ただ、母の今までの愛が十分で君が私に必要とする量が減ってくるということはこれは、


とても正しいことだし、うまくいってるってことなんだと思う。なんかあったら、いつでもいいから帰っておいで。ずっとここにおりますから。母親なんてそんなものだ。健気なのである。


汪海妹

2024.11.18

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