愛はコンビニで売っている
まだ、自分がどっちかと言えば子供に近かった頃、恋愛を含む全ての経験が新鮮で、貴重なものでした。それから時が過ぎて、子供の頃を過ぎてしまった頃。そうだなぁ、その頃の自分は自分を大人だと思ってたけど、今の私から言わせると、子供と大人の真ん中にいた頃だったのかな?思った。
愛はコンビニで買える
何度かの失恋というか、別れを経験して、それに社会に出たからですかね?自分がしてるような恋愛なんて誰でもしてると思った。とるに足らないありふれたもので、だから、コンビニでも買えると。次の相手もコンビニで商品でも選ぶように探そうと。
恋愛を含め自分の経験というのはとるに足りない語るに足りないものだという感覚に襲われた時期です。よく覚えてる。
長い時間小説を書くことができなかった理由はいくつかあると思っていて、自分はそのどの理由も大切にしています。それは私の現在進行形の癌細胞のようなもので、だけど、書き出すことができたから、今治療中で、小さくなってんですかね?
私から言葉を奪ってしまったのは、一体なんだったのだろうというのはゆっくりといつも何処かで考えていて、その答えに至る仮説を作品に散りばめているつもりです。まだはっきりとは見えない。その正体が。これも長い長い追いかけっこのようなものだと思うんですね。
他人からみたらとるに足らないものだったとしても、当人達からしたら、かけがえのない経験。それがそもそも恋であり、愛ではないでしょうか。
だから、今日も、客席の声なんて聴こえない。客席に何人人がいるかも見えない。
(がらがらかもしれません)
ただ舞台の上の登場人物の心臓の鼓動だけが聴こえれば良いなと思いながら、文字を綴っています。
執筆中の作品、暎万ちゃんとひろ君の話のはずだったのに、背景として書くはずだった過去ばなの方が盛り上がってしまって、暎万ちゃんとひろ君の盛り上がりにかける状態だったんですね。ああでもないこうでもないと書き足すうちに、昨日、一番大切な場面を書き終えました。
すると、ラストまでとこれから追加する予定の暎万ちゃん視点の場面が全部、一気に浮かんだ。
不思議なモノです。創作って。
暎万ちゃんが何に悩んでたのか、ひろ君がどれだけ暎万ちゃんを好きなのかとか、全部が昨日の場面を書くときに追体験できたので、やっと悩み悩みちびちび書いてた作品のもう一つの背骨のようなものを拾いました。
お父さんという名前の背骨と、ひろ君とエマちゃんの背骨はなんと名付けようか?わかりませんが、でも、二つの骨が拾えました。
今回の作品はですね、すっごい長くなっちゃったし、構造も二つの竜が絡むというか、今までやったことのないような構造だし、登場人物多いし、ま、言えば、まとまってないのです。
でも、一応、完結はできるし、書きたいことは書けたかなと。まだ書き終わってませんが、ものすごく感慨のようなものを感じてて、だから、そこから、愛はコンビニで買えると思ってたけど、やっぱり買えないよねということを書きたくなって書いた日記かな?
まとまりのないままに失礼いたします。
汪海妹