献花
献花
男の子が亡くなってしまった日に底に落ちた気分ですが、一番低いところを通り過ぎ、少しずつ上がってきています。昨日は息子が学校に荷物を取りに行くことになっていて、一人での登校は現在認められておりませんので主人が会社に行かずに付き添いました。そこでお花を買って家に届け、主人と息子に学校に持って行ってもらいました。
半分はもちろん亡くなってしまった男の子とご家族の皆様のためにですが、半分は贈る側の私たちのためです。この重くどうしようもない気持ちを神様、仏様に縋るというか甘えるというか、お花と一緒に託しました。
通過儀礼と言いますか、なんといいますか、やはり昔から行われてきている形には意味があるのだなと思う。
小さなことであればこういう強烈な罪悪感のようなものは感じませんが、命がなくなるようなことが起きてしまうと、自分が悪くなくても、自分たちが無事で今まで通りいるということを喜べないというか、簡単に言えば申し訳なく思うものなのだなと思います。カウンセラーの方も 普通に生活していいんです と言っていて、ああ、そういうことなのかと思った。
そして、昨日、息子から聞いた話によると、学校で顔を合わせた人みんな、鎮痛な面持ちで、あの子に言わせると やばい雰囲気 だったそうです。各個人により程度の差はあれ、皆、大なり小なり私と似たような状態なのかもなとその話を聞いて思います。
門の前に置かれる花は、中国人の人や日本人の学校関係の人、どんどん届き、とても門の前には置いて置けない量なので先生や職員の方達で6階ホールに運んだそうで、息子はその6階に花を持って行ったそうなのですが、それはもうすごい量だったそうです。その花の傍で号泣している保護者の方がいたそうで、お母さんだったそうですが、息子はそれも やばかったと言っておりました。
私は仕事ですから行けませんでしたけど、もし自分が行っていたらまず間違いなく泣いただろうなと思いながらその話を聞きました。
献花というのは、半分は自己満なのか?という疑問についての答えですが、
自己満なのではなくて必要な行為だなと思います。
この儀礼を通して、神様や仏様にこの悲しみや苦しみを渡しました。神様や仏様がこの子の苦しみをきっと少しでも和らげてくれるだろうと信じると、自分の心も癒されます。
そんなの結局自己満じゃないかとなってもですね、でも、永遠に悲しんだり苦しんだりすればそこに何かが生まれるのかということです。
ただ、わたしは今回の事件の円の中にいると言ってもね、それでもまだ円の外郭の方です。中心に近い方はそんな簡単に悲しむことを止めることはできないと思いますよ。時間が必要です。
昨夜主人から中国語の文章を見せられました。現在中国のネット上で飛び交っているもので、亡くなられた子の父親の方が中国語で自分の心情を書かれて親しい中国人の方に託し、転載して広めても構わないと書いているものでした。
本物なの?という疑問が湧きましたがまず読みました。本物なのかどうかはわかりませんが、ディテイルのある内容であり、創作でわざわざこんなディテイルを書かないだろうというのと、そもそもこんなものを創作して広める意味がないという点から本物なのだろうと思っております。
その内容の詳細をここに書くつもりはないのですが、ただ1点、お子さんは日本人と中国人のハーフであり、我々には中国に対する憎悪も日本に対する憎悪もない。だから、この事件をきっかけに中国にあるいは日本に対する憎悪が広がることは望まないと書かれていて、これに関しては私も賛同して言葉を綴りたくなったのです。
うちの子もハーフです。そして、日本人学校にはたくさんのハーフの子がいます。たくさんの中国人ママが日本人パパの帰任に伴い、あるいは子供の学校のために慣れない日本で生活しています。
今回の事件をきっかけに、自分自身は実際の被害を受けていない立場で報道を見て、中国けしからん、中国人けしからんとなり、今日本にいる中国人の人たちに敵意を向けないでほしい。それもまた暴力なのだということをわかってほしいのです。
中国外務省の方が、『このような事件はどこの国にもある』と発言して、その発言の詳細を私は興味がなかったので読んでおりませんが、おそらくボコボコにアンチコメントがあがったのだろうと思います。ただ、私の立場でならまた違うと思うので書きますが、どの国にも行き過ぎた愛国心、或いは間違った方向へ走る愛国心、それはもはや愛国心とは違う感情なのでしょうが、それを持った人はいます。中国だけではなく日本にも、アメリカにも、ヨーロッパにも。
今回の事件を受けて中国国内で、 良い愛国心 と 悪い愛国心 を選別して分けるべきだという話が、中国人の間で出ていると読みました。
一人の人間が極端な行為を行いそれが大々的に報道され国際問題になった時に、そこですなわちその国の人間が全て同様な人種であるなどと判断するのは愚の骨頂です。それはつまり、日本人は昔日中戦争や太平洋戦争を起こしたのだから、戦争好きな民族なのだろうと思うことと同レベルの思考です。
報道は報道、でも、生きている人間と向き合い交流するまでは、その国の人間は本当はどういう人間なのかなんてことは理解も判断もできません。
それが現代は情報の手段が飛躍的に発展したためか、映像や文章のみで判断をする人が多すぎる。家の外に出て、国の外に出て、自分の目で見て、耳で聞いて、口で話して、ちゃんと世界を見てください。それをしないのであれば、それだけで過激な発言をするのは控えていただきたい。
そういう行為の延長線上に今回のような事件もあるのだといいたいのです。
今、自分自身もそうですし、身の回りでも見ているから知っていますが、非常にたくさんの国際結婚をしている夫婦がいて、ハーフの子供たちがたくさんいます。ここでこんなことを書いてもそれで、行き過ぎた愛国心を持った人々が減るとは思いません。どの国にもいますし、昔から今までずっといました。
そういう発言を抑えつけて閉じ込めることというのは、どこぞの国では熱心にされていますが、無理だと思うんですよ。私も上で控えていただきたいといいつつも、それはできないと理解しているのです。いいたいことを言うなと言っても、言うなと言われたら人はもっといいますし、そんなものを消すためにいちいち歩き回るのは意味のない行為です。ストリートの落書きを延々と消し続けるようなものですね。
じゃあ、どうすればいいのか?こちらも落書きをする。これしかありません。だから、辛い状態でわざわざ被害者のお父さんが自分の文章を公開しているというその心情をわかってほしい。これは中国の方向けのものでした。日本向けに出されるかどうかはわかりません。でもそこに呼応して私もこんなものを書いているわけで。
政治的、とでも言うのか、社会に対しては、自分は自分的にはサイレントマジョリティに属していると思ってます。好んで政治や社会に物申す人間ではなく、おそらくどの国でもここに属す人間が多いと思ってる。このサイレントマジョリティの人たちも落書きをしようと私は呼びかけているわけです。
なぜならば、現代はあまりに情報社会で、大多数が普通に道徳的に常識的に生きていたとしても、情報により操作されて過激な方向に走る人がいる、そういう人が現代であれば、なんでもない個人が、たくさんの人が見る壁に堂々と落書きをできる時代だからです。
私もそのなんでもない個人なわけですが。
これは 新しい常態 です。昔からこうだったわけではない。だからこそ、今までになかった いわゆる対策を考えるべきで、私なりにはそれが、サイレントマジョリティも落書きをして、わざわざいう必要もないような 普通の道徳というか常識というかを 広める必要があるのだと思う。刺さる言葉でね。
このような現代であれば、言葉は十分に武器になりうる。ひっくり返して言えば、言葉とか映像や画像により表現するその表現力が非常に重要であるとも言える。伝えなければならない相手に伝わる表現力でなければならないわけですから、自己満の狭い世界の中で流通する美辞麗句ではダメなわけです。
私が今回の件で伝えタイのは、6階の花束の量なんです。そこに中国と日本の壁はありませんでした。確かに中国にも行き過ぎた愛国心を持った人はいるでしょう。だけどそれよりも大多数の道徳的な中国人の人数の方が多いんです。胸を痛めて中国全国津々浦々から花束が贈られてくるのです。
このニュースでは数がイマイチ稼げないから、メディアは報道しないでしょ?別にメディアの報道を見るなといいたいわけでなく、それだけを100%にするなといいたいわけで。一番理解しなければならないのは、メディアニュースは切り取られた現実で、またその現実の構図はメディアの意図が反映されていて、自分で決めて選んだ構図ではないということです。他人の構図だと理解してそれを見るのと、他人の構図をそのまま自分の構図だと思って見るのでは全然違う。
自分の目を持っていて、耳を持っていて、そして頭を持っているのだから、他人の構図を参考にするにしても、自分の頭で考えましょうよ。
中国人も日本人も大量の花束を贈ったなんて出来事で私は感動を煽りたいわけではなくて、戦争責任を取れなんて迫ってくる中国人よりも、あれ?今日って満州事変の日だったんだっけ?と戦争の日を忘れてしまっている中国人の方が多いんだってことです。だってそれを知ってて給料が増えるわけじゃないし。それよりも小さな男の子がお母さんの横で刺されて亡くなってしまったことに胸を痛める、ごく普通のそこは日本人と変わらない中国人の方が多いってことですよ。同じ人間じゃないですか。同じ地球人だしね。髪の色と目の色と肌の色も同じです。
これで中国が危険な国だとわかったから、日系企業は全て中国を引き上げよう、ザマアミロなんてコメントもあったように思いますが、
ここで日本人が考えるべきは、あくまで会社の利益です。まず間違いなく今回の報道を見て中国に関連会社のある日系企業はすぐに、日本人個人の損益ではなく、経営上の影響を考えたと思います。この件で商売が減るかどうかです。
個人の安全が損なわれる これは会社員の福利厚生の問題ですね。日本の会社が今まで、個人の福利厚生を考えてきましたか?働き方改革の最中ですね。電車に飛び込んで自殺してしまったり、うつ病になる人の数が多い国が何を言ってんですかってことですよ。
家族が危ないのだったら、君、単身赴任しなさい。
これが企業の答えでしょう。単身赴任なら経費も減ります。ここで戦うのは企業対駐在員であって、もはや中国対日本なんて構図は全くありません。社員が反発して、ますます海外赴任したがる社員が減りますよね。ここが問題と言えば問題でしょう。
企業にとってのリスクとは、例えば米中摩擦のせいで、中国発の製品のアメリカへの売れ行きに影響が出るとか、政治的な理由で関税の掛け合いがひどくて輸入材料の原価が上がってしまったり、そういうことなんですよ。
ここには厳しい天秤があって、そりゃもちろん安全快適なところで誰だって暮らしたいし働きたいわけだけど、みんながみんなそうやって生きていて、10年後、20年後の日本の経済がきちんと成り立っているかは分かりません。若い人の所得倍増と大きい声で叫ぶことは誰にだってできるんですよ。大切なのはどうやってやるのかです。できなかった政治家のせいにして文句を言ったって、どっからもお金は降ってきません。リスクを取らなければリターンのない現実がある以上、危険な場所でも働いている人がいるという現実を知ってほしい。
最後のところ、ただの文句になってしまいましたが、もう今日はこれで終わろう。
不幸な事件があって、そんな事件の傍でも文章を投稿する自分ってどうなんだろう?とか、冷静に働いている自分ってどうなんだろう?とか、今週は正直そんな気分でもありました。だから、投稿には画像をつけなかったし、タイトルには今回の事件と関係があるようなものを使いませんでした。ハッシュタグも中国だけにしています。
今日の記事も書きたいことは書きましたが、悲しい思いをした人がいて、それがネタになると言うのはそれは自分にはどうも合いません。ただ、自分もそれでも投稿をしているわけですから、同類だと言われたら、それもしょうがないかなと思ってます。書きたいことはありました。だから書いたわけで。
誰も傷ついていない時であればもっと堂々と目立つところに書きましょう。本日の文章は、たまたま立ち寄った方がこんなところにこんなものがという状態であれば良いなと思ってます。それでは。
汪海妹
2024.09.21




