仕事の流儀
仕事の流儀
2022.1.14
わざと、こんな大それたタイトルにしてみました。でも、実際はそんなたいしたことを書くつもりは……
なぜって、私はサラリーマン向きではないというか、たいした仕事をしてる人間ではないのです。開き直るなよという話ですが、
向いてないなと思いながら働いてる人の話って、それはそれで意味があるのではないかと思うんですよ。がんがんばりばり上に行く人は行けばいい。でも、この世の中って会社も世界もそういう人だけで成り立っているわけじゃないじゃないですか。
二番手である勇気、あるいは無名なままで生きていく勇気とでもいうのかな?必要だと思ってます。
(ちなみにこの勇気というのは、アドラー心理学についての本、嫌われる勇気にインスパイアされてます)
そういうこともあって私のつまらない仕事の上での感慨をここに。
会社に迷惑をかけるつもりはありませんので詳細は省きますが、社内での面子をかけたぶつかり合いというのはあるもので、我が財務課は総務と仲が悪い。総務の責任者は態度がでかい。社内に敵が多い。
でも、トップの信任厚い。なぜか?仕事ができる人なんですね。いけすかないやつだけど。よくある話だと思います。
で、ですね。のんびりやな私も相当いじめられていたわけです。私だけじゃないんだけどさ。
そして、目覚めた。覚醒でございます。
サラリーマンとしてやり合うなら、仕事するしかないなと。
「あの人、アンビリバボーに態度悪いです。悪い噂もあるでよ」
と、上司に密告することではないわけです。
何を当たり前なこと言ってるんだと、日々戦っている男性諸君は思われると思います。しかしね、男女差別をする人間ではありませんが、日本人女子は、こういうところはまだ甘い人が多いと思うんです。自分を含めね。
どうしてかっていうと、社会で男性並みに叱られる場面が少ないからだろうね。もちろん全員ではなく立派に仕事されてる女性も複数知っております。
で、腐っててはあかんと、彼奴が憎いなら、立派な仕事をしてやり返そうと頑張り始めたのですが、部下がついてこない。ただ彼奴の化けの皮をはがし、足を引っ張ってやろうと画策するわけです。
もちろん裏目に出る。
上の信用また落ちる。彼奴は上がる。
そして、裏で私の悪口を言い出すわけだ。
自分たちは悔しいのだよ。義はこちらにある。
なのにわからないトップが悪い。ついでに地味なことしかできない私が悪いと。義はこちらにあるのだから、もっと派手に喧嘩しろおっと!
下ばかりが悪いわけではない。エコ贔屓するのは確かに悪いかもな。
しかしだな、世の中そんなに甘くないのだよ。
勝てば官軍だ。
会社の中で逆賊の位置につくなかれ。
感情は使うな。理性的になれ。
ブルースリーと逆のこと言っちゃったな。
で、たまたま私不在のところでその部下の話を聞いていた子がですね。真っ直ぐな気性の子なんでね。
私が彼奴とやり合ってそれを上に見せたところで、何にもならないと、彼には分かるわけですよ。
男性ですし、全体的なことが見えてたらそうなる。
私が苦しい立場にいることもわかってて、なのに、味方すべき部下は陰で悪口を言い、しかも、私のあれが悪いこれが悪いと言いながら、じゃあ、自分がその立場になったらできるのか?っていうようなことを言っていたようなんです。
怒った。それで、私にそれを告げ口したわけです。
そして、言われた。
下に甘いと。厳しくしなければ育たないよと。
そして、部下と私とみんないるところで、言いたいことがあるなら直接私に言うべきだという正論を言ったわけです。
私に聞かせるつもりはなかったことを裏で言っていたわけだから、部下は困っちゃったのね。
それから、考えました。
確かに私は甘いです。
いいところも悪いところも優しいところ。
優しいところといえば聞こえはいいですが、ぶつかり合いを避けるところなのかな?
そんなことは重々承知で、だから、私は本当は一人で働きたいんですよ。
管理職なんてね、やりたくないの。もっと、専門的な仕事をした方がよかったと思うのね。独立性の高い。
それこそ、美大とか言って、広告とかのデザイナーになるとかさ。よくわからんけど。
本来ならリーダーはね、私に部下に甘いと言った子のようなリーダーシップの高い人がやれば良い。
そう思います。
だけど、リーダーシップの高い人がそこらへんにごろごろしてるかといえばいない。
だから、色々な会社の中でやっぱり私みたいに管理職ってちょっと苦手だなと思いながら、管理職している人もいると思うんですよ。
これ以上上になんていけないし、行きたくもないなと思いながら。
そして、私のあれが悪い、これが悪いと言っていた子達が、じゃあ、私がいなくなったら私が今やってることをできるかといえば、できない。
会社に、私か部下かどっちか選べと言ったら、会社も私を選ぶでしょう。
総務の彼奴にも勝てない。私にも勝てない。そういうことを本当はどこかでわかっていて、だけど認めたくないからみんな悩むわけで。
本当は彼奴が憎いわけでも、私が憎いわけでもない。
自分は自分をできる人だと思ってる。だから、他人に必要とされたいんです。
私はこの気持ちをちゃんとわかってるじゃないかと思ったんですよ。
なぜって?
小説に書いているんです。そして、小説の中では、そんなちょっと弱いところもあるけれど、本当は真っ直ぐに生きていきたい人たちを理解して引っ張っていくリーダーがいる。
私は、そんなリーダーじゃないなぁととても納得した。
不思議なものだ。頭では理解している。だけど、良いリーダーにはなれない。
理由を知っている。
自分は……、これは私という人間を構成する要素の中で結構重要なことだと思うんですが、
私は、壊れているんです。三分の一くらいかなぁ?
昔ね、大昔ですが、クラスの全員に無視されたことがある。
短い時間でした。
私には無視されたというこの経験ともう一つ、どうして無視されるような人間になっちゃったのかという経験、この二つがあって、
これが私の人格形成に非常に大きな影響を与えてます。
こんな長い時間を経てもその影響を拭いきれない。
ずっと、あの惨めな自分を克服するために生きてきました。
心理的には非常に苦労をしながら。それで、やっとマシになってきたのね。
だけど、だからといって、人とぶつかり合うことなんてできないですね。
リーダーシップを発揮して仕事をするなんて、私には無理なんです。
そして、ずっと、黒歴史というのかなぁ?なければよかったこととして、その経験を頭の隅っこの方に置いてたんです。
歳をとるというのは素晴らしいよね。
その考え方が変わりました。
思うに、人というのはですね。きっと多くの人が、試練のような嫌な出来事を経ているのではないかと思うのです。
そして、その嫌な出来事の大小は人によって違うのだろうな。
その試練を乗り越えるか乗り越えないかは自由です。
だけど、乗り越えたものにしか手にできない宝物のようなものがあります。
そして、変な話だけど、何もなく幸せにやってきた人より、自分は強いなぁと思ったんですよね。
頑張らなければ生きてこられなかったし、それなりに努力もしてきました。
神は乗り越えられない試練は与えない。
これはキリスト教の教えですよね?私はキリスト教徒ではないのですが、このことを最近よく考えます。
試練というのもギフトなのではないかと。
乗り越えられなければその嫌な経験は、ただの嫌な経験で終わってしまいますが、クエストをこえなければ得られない強さがある。
自分が、本来サラリーマンなんて向いていないし、それに、管理職なんて苦手なのに、それでも、縁があって働いている。
それもまた、一つの試練のようなものなのかなと、思うようになりました。
いずれ、仕事はやめるでしょう。だけど、その時は、投げやりにではなくて、きちんと努力した上で辞めたいです。
自分にできる限りはやったとちゃんと思えるように。
本当はね、私の下の子達もそうなんだと思います。なかなか前向きになれない。甘さもある。
でも、成功を手にすることはもちろんできる。誰の手にだって本当は櫂は握られている。
ただ、それを、現実の自分と妄想の中の自分とを取り違えて、むやみやたらに漕いではならない。
自分はもっと本当は優秀な人間なのに。
自分が自分の力を発揮できないのは周りが悪い。
だけれど、仕事というのは形にしなければなりません。
あなたが思う自分は、見上げるほどの大きい仁王像のような立派な姿なのかもしれないけれど、
みんなに見えているのは、狛犬くらいの大きさのあなたなんですよ。
それが、ジャンプして仁王像になろうとするのをやめて、小さなことから形にすべきなんだと思います。
思ってるだけではなくて、できることをきっちり形にして、周りの人に認めてもらう。
ここまでいって初めて、仕事をしたと言えるのだと思います。
周りの人はあなたを無視しているわけじゃない。
きちんと形にすれば、ちゃんと見ていてくれる人がいるものです。
こういうことを下に一生懸命説いても、わかってもらえないかもしれません。
私は私の小説の中のような理想的な上司になれるでしょうか?
わからない。
わからないですが、ただ小説を書くだけじゃなくて、苦手でできないことにももう少し……
そうだな。とりあえず、とりあえずやってみます。
自分で自分に自分の限界の線を引くのはやめて、小さなことでもいいからもう少し。