中国の赤
中国の赤
2022.1.1
深圳の端っこにある鳳凰山という山のお寺へ初詣へ行きました。
中国版の絵馬がごっそりと木にかけられている。
中国はね、赤が好きなんです。で、絵馬もまっかっか。
木の緑と茶とそして、赤。曇り空、冬の少し寒くて人恋しくなる季節の中で、その中国の赤を見た時に、不思議な感覚がありました。
私、お正月って苦手なんです。
クリスマスは好きです。
それがどうしてなのかというと、お正月はあまりに家族的だから、かな。
クリスマスはね、キリスト教徒の人にとってはやはりあまりに家族的な行事なのだと思いますよ。
でも、私は仏教徒なので、ただ、わー、きれーと眺められる。
お正月はね、あまりに感傷的になるの。
うまく言えないのだけれど、お母さんのお腹の中に戻りたくなる。極端に言うとこんな感じです。
自分が孤独かどうか、それを突きつけられる感じです。忙しい毎日の中で見ないようにしてやり過ごしているものについて、突きつけられるような気がする。お正月は、孤独な人間にとっては酷な行事だと思うんですね。
でも、あなた、結婚して子供もいるでしょう?と言われるかもしれない。
結婚して家庭をもつと、時折、何かにかられたように自分の育った家庭のことを思う瞬間があるんです。
幸せな結婚をしている人には訪れない瞬間です。
人はきっと、幼い頃に幸せな家庭で育っていたら、その子供時代のうちで最高に幸せだった瞬間というものを、持っているのだと思うのですね。
結婚を望む人はきっと、その最高の瞬間を、今度は自分のパートナーと繰り返したいものだと思うんです。
それが、さまざまな事情で叶わない時、そんな時、お正月は酷な行事になる。
過去の幸せをまざまざと思い出すからです。
私の場合は、強烈な郷愁が襲う。日本に帰りたい。
そんなの、結婚する前にわかってたでしょ?と言われたら、返す言葉がない。
だから、結婚した女の人というのは、滅多にこういうことを誰にも言わないのだと思います。
聞いてくれる人というのは、意外と少ないんですよ。こういう愚痴は。
誰にも言わなければなかったことにできる、そんな感情なんです。こういうことは。
そして、今日、この絵馬の夥しい赤を見て感じた。
その感覚に驚きました。
何度も何度もこの中国の赤を私は見てきました。中国に来てから。
そして、いつしかそこに、懐かしさの横にあるような感覚を覚えていたんです。
中国では赤は魔を祓う色として愛されている。
安らぎを覚えた。
ああ、お正月だなぁとポツンと思った。
この国で重ねてきた時間がある。このままいけば私の中国での時間は、実は日本での時間を追い越します。
嫌ってきたわけじゃない。だけど、私の中では日本がいつでも一番でした。
きっとこれからも変わらないでしょう。
だけど、私が最も求めているもの、懐かしいという感情。
私の心の中にいつの間にか、中国に対する愛着が生まれていたことに、驚いた。
本当に驚きました。
日々を過ごすというのには、こんな意味があるのでしょうか。
ずっとこの国で暮らして、中国人を家族として、その身近にいた。
今、ここにいるから気づいていないだけで、私はきっと日本に帰った時に、この国を懐かしむに違いない。
どうして近くにいる時はそれを感じられずに離れてからわかるものなのでしょうね。
私の未来はどこにあるのでしょうか?
それでも私は、故郷へ帰りたい。
子供の頃のあの最高の幸せな瞬間をもう一度味わいたいのです。
親とではなくて、自分の対となる人と。
お正月は苦手なんです。
いつもは蓋をして考えないようにしてることを考えてしまうから。
今日もまた、これに蓋をする。
いつか
いつかどこかの未来で、悔いのない答えを見つけると知っている。
それまでは、川に浮かべられた舟の中に横たわって、流されていこう。
川の流れがつれていく方へ。櫂もこがずに。