目隠し
目隠し
2021.12.26
話のはじめをどこに置けばいいのかな?ちょっと悩みますが、そうだな。結論から持ってくるというのもありでしょうか。
最近、結婚して以来自分の中で考えないようにしてきたことについて考え始めています。錆び付いてしまった車輪の軸に油をさして、キーキー音を立てながら回している。それは、回すことを自分に禁じていた、私にとっては危険な車輪です。
考えたくなかった。結婚について。
考えることも、そこに目を向けることも、したくなかった。
見ないことで、保っていたんです。
だけど、限界が来てしまったのかな?
口に出さなければ自分の心の中にあることは自分の心の中だけにある秘密。手足を持って歩き出したりしない。私の場合ですね、誰かに話さないだけじゃなくて、言葉として書かなければというのも含みますね。
言霊の延長のようなものだと思うのですが、人間は、自分でも無意識に言葉にせずに心の奥の方にしまってしまう本音のようなものを抱えて生きているのだと思うのですね。言葉にしたくないというのも自分の気持ちだから、言葉にできないうちは自分の心の中でも囁かない方がいい。
言葉にしてしまうと実体を持ってしまいますから。
自分の言葉が強いのか、あるいは、本来だったらうやむやとしていて言葉にはならないようなものまで言葉にしてしまうからいけないのか、自分が言葉にしてしまったことに自分が支配されてしまうこともある。
そんなこともあるから結婚について考えるのは避けてきてました。
でも、まぁ、ゆっくり目を向けていくべきなのかと思ってます。
どこまで具体的に書くかは悩むところですが。自分の書いたことで傷つけてしまう人もいるわけですから。
中心の部分を外して外側から行くと、結婚というのはな、両目を開いていてはいけないのだと思う。
時々、いう話ですよね。結婚する前は両目をひらいて相手を見て、結婚したら片目を瞑る。
なんの話だと独身の方は思うかもしれませんよね。でも、既婚者はピンとくると思います。
人間には必ず欠点がありますから、お互い。相手がどんな人間かということを結婚前はしっかり見なければならないけど、結婚したら大目に見る必要があるという話です。
私はそこできっと両目を瞑ってしまった。目隠しをしてしまった。
見ないように考えないようにしながらこの結婚を私的には守ってきたのだと思います。
そうじゃないと、爆発して飛び出したくなるくらい、不満を抱えてました。
結婚したばかりの頃は喧嘩ばかりしてました。その時はですね。
外国で結婚して、主人の両親と同居した。結婚して間もなく子供も生まれた。
働きながら育児をする。舅と姑が家事も育児も手伝ってくれるから、自分の時間がないというストレスはなかった。
だけど、自分のスタイルで生活ができない。24時間。
海外だからという理由だけじゃなく、主人の両親と同居してるからという二つの理由で、最悪でした。
例えばね、こういう悩みをネット上のどこかに書いたとする。
そんなの結婚する前からわかってただろ、と書く人が必ずいますよね。
こういうこという人はきっと、何もしない人なんだろうな。
だって、なんだって大抵何かをするには必ずデメリットがありますからね。
メリットしかないことだけを選んで行動していたら、生まれたところから、ずいぶん近いところで人生は終わるのではないかしら。
最近思うんです。
主人は中国人で、結婚当初は収入も低かったですし、共働き以外の選択肢はなかった。
だから、主人の両親と同居せずに子供を持つことはできませんでした。
私はあの時、主人と結婚するかしないかの選択肢しか持ってなかった。
結婚しない方が良かったか?
そうは思わないんです。
縁がありました。私はやっぱり主人と結婚して子供を持つ運命だったのだなと思うんです。
息子に会えましたから。
あの時、主人と別れて日本に戻ったとしても、きっと子供を一緒に持つほどの縁を持った人とは巡り会わなかったと思うんですね。人生の中で親になる喜びを味わうことができました。贅沢なことだと思ってます。
そして、新婚当初の回想に戻って喧嘩ばっかりしてた時のことを思い出す。
おばあちゃんとも喧嘩した。主人ともした。
私一人が日本人で、日本と中国の経済成長の時期はずれてますから、息子を除いた4人のうちの3人にとって私がしている生活スタイルというのは贅沢なんですね。特に両親、おばあちゃんにとっては。今となっては笑い話ですが、私のコンバースのスニーカーの値段を聞いて、そんなに高いスニーカーはおかしいと、私が会社に行っている間にスニーカーの底を勝手に外して何か特別な仕掛けがあるから高いのかと確認されたことがありました。
「別になんの変哲もない普通の靴だ。お前は騙されている」
と帰宅早々言われたこともあったな。いや、何してんの?人のスニーカーでって話で。
今となっては笑えますが、当時はうんざりもしたし、怒ったな。
価値観の違う人たちとの共同生活は想像以上に大変で、特におばあちゃんと喧嘩するし、主人とも喧嘩しました。気が狂いそうになった。二人だけで暮らしている間はそんなことなかったから、こんなになるなんて想像してなかった。
ただ、居心地が悪かったのは私だけじゃない。舅と姑も居心地が悪い。突然外国人と同居することになって、向こうも向こうで色々我慢してた。私と二人だけの時はいつも私を優先してくれた主人がガラッと変わってしまった。当然と言えば当然で、両親は主人にとってとても大切な人だから、私の姑に対する態度がひどいと言って怒った。
どこの家でもあることだと思うんです。
でも、経験するまでは他人事。
浮気もしない自分だけを大切にしてくれる人だと思って、そこが一番よくて結婚した。
初めて浮気された相手は母親だったかと。
浮気というのはもちろんわざと使っているわけですが。
自分はね、プライドが高くて独占欲の強い女だと思うんですよ。
どうしてそうなってしまったのかというと、父親に溺愛されたからですね。
自分のものでない男性に対しては興味もないし、もちろん期待もしない。
だけど、自分のものだと思った男性に対しては、父親が私を溺愛したくらい常に最優先されたい人間なんですね。
最近知りました。
だから、主人が母親を優先した時に、プチット切れた。大したことじゃなかったんだと思うんです。普通に考えれば。
でも、溺愛のプールにつけられて育った自分には許せなかった。
で、心を閉じてしまったんだな。私も相当に頑固な人間で、それで、もうずっと長い間閉じたままなんだ。
ため息が出ますね。
主人と別れて、新しい相手を探しても私のこの溺愛を求める性質は奥に残るわけですから、また失敗するかもな。
そうだなぁ。よく男性を見ていて、奥さんはあなたのお母さんじゃないよって心の中で呟いてたけど。
恐ろしいね。鏡で見るように逆のことが自分にも起こってる。ご主人はお父さんではないですね。
お父さんと一緒にいた頃のような充実感とか安心感、あの絶対にこの人は私を裏切らないという幸福な感じ、それと、男の人から得られるものというのは、本当は違うのかもしれませんね。
似ているけれど、違うのかもしれない。
そして、残念ながら私はまだそれを本当の意味では味わってないのかもな。
私はまだ、本当の意味で男の人を手に入れたことはないのかもしれません。
このまま死ぬかも。
落第生ですよ。来世でやり直す?でも、来世、虫だったらどうしましょうか?
また、変な方向へ話が脱線しそうなので、戻そうかな。
主人もな。私と似てますよね。そうそう。不思議なものだ。夫婦というのは似ている。
母親に溺愛されて育ってる。そばでおばあちゃん見てるからわかる。
きっと主人も、私と一緒で、母親というものと奥さんを切り離して見られないし、それ以上に、今母親と一緒に住んでますからね。
そして、私も息子を溺愛しているわけだ。
ふふふふふ。
主人と私が別れるのかどうかはよくわかりません。
これはきっと簡単に結論を出してはいけないことだと思いますからね。
ただ、それは脇に置いておいて、最近思うこと。
姑と私はよく似てる。子供が大好きなんですね。
だけど、愛が空回るときがある。
簡単にいうと、大人になった息子は、母親をそこまで必要とはしていないのです。
だけど、母親は必要とされないと心の平安を保てない。
そこで一喜一憂してしまう。
どこにでもいる普通のよくいる老いた母親、おばあちゃんです。うちの姑は。
これはね、未来の私の姿なんですよ。
息子が大好きですから。
愛ってさ、多すぎても問題なんだよ。
息子が大好きで、この子が大きくなってもベタっとしてさ。
この子の奥さんとまるで自分がかつてやったような嫁姑をしてもな。
このままではいけないな。
この子が今、支えてくれている部分を別のところから得ないといけない。
結局は自分は今、幸せではないわけですよ。
息子に支えられて幸せなんです。
だけど、息子に逃げて夫との関係をほっておくと、将来息子が離れた時に砂漠のような毎日を送ることになる。
息子が高校生になって日本へ行ってしまう。夫と二人になっても、主人はいつも仕事やら付き合いで帰ってこない。そんな毎日には耐えられないだろうと思ったから、息子について日本に帰ると決めている。
その時に思ったんです。
本当にこれからもこの人と生きていっていいのだろうかと。
一緒にいる時間の多少ではなくて、心がちゃんと通い合ってるかどうかなのかなと。
憎しみあってるわけじゃないけれど今のような関係で二人で居続けることに意味があるのかなと思ってます。
私にとっての問題は、ま、身も蓋もない言い方ですが、相手が悪いから失敗したのか、それとも、私が悪いのか。
私が悪いのであれば、私が反省すればまだ続けられるのかもしれません。
相手が悪いというと主人に気の毒なので、悪いというよりはお互いに合わないのであれば、お互い相手をかえればうまくいくのかもね。
ただ、なんとなく、私たちは二人とも、親に溺愛されて育っているというのがポイントなのかもしれませんね。
愛って多すぎるのもそれなりに問題だし、それに、親子が近すぎるのも、問題なのかもしれません。
だからといって、人は、ちょうど良い量も距離も取れないものなのかもしれませんが。
まとまりのないままに失礼いたします。
書くまで怖かったけど、書いてみたら意外と心が落ち着きました。
汪海妹