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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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私なりに書き方の進め 16:Master of the world












   私なりに書き方の進め 16:Master of the world













少女漫画の形式をお借りして小説を書き始め、最初はとにかくルンルンしていたのですが、そのうちなんだかなと思うようになった。


なんというか、書いているときは必死で、そして、書き上げたばかりの時は恍惚として、それで満足しているのですが、そのテンションが徐々に下がってきた頃に自分の作品を読み直すと、なんというか、悪人が出てこない小説だなと思う。優しい、心の綺麗な人が多い小説だなと思う。


そこで、フィクションというものについて、結構深く考えました。小説家というのはいわば、マスター オブ ザ ワールド、作品世界の主人なわけです。その世界をどうするかは全て作者の自由。


フィクションですから、現実社会の闇に光を当てずに、心救われるような綺麗な部分や明るい部分にのみ光を当てて切り取ってもいい。


いいんだけど……


こんなことを考えた時に、自分的には背筋が凍りました。


もともとどっかで分かってはいたのだろうけど、小説を書いて自分の理想の世界が実体化したことでよりはっきりしたのです。自分は見たくないものを見ないようにして、考えたくないことを考えないようにして、自分の人生で起こったことに脚色を入れて、忘れたいことは忘れて、生きてきたのだなと。


まぁ、そんなのは誰だって、多かれ少なかれやっていることなのでしょうけど。


人はとても主観的に生きている。その主観度合いは人によって違うのですが、主観的に生きている。


私はそんな自分が自分を救うために施した脚色の手法を使って小説を書いて、それを時間を置いて自分自身で見直す際に、自分を客観的に見てしまった。


そこで、なんか違う、と思った。


ここでもう一度フィクションについて考えたいのですが、作家が描く世界は、別に現実と同じでなくてもいい。いろいろな世界があっていいのだと思うんです。むしろ、場合によってはフィクションは現実から逃避できるものであるがために、現実よりもっと甘い展開であったっていい。


その甘さの度合いを決めるのはマスターである作家なのだろう。


だから、小説家は書きながら、自分なりのリアリティについて考えてみるのもいいと思う。リアリティとは、厳しい現実というか、辛い展開をどの程度入れるかということなのでしょうね。


これが人によって結構違うと思います。


人間の思考や欲求が実はバラバラだから、それをギュッと束ねるために社会のいろいろな仕組みが必要で、社会的、国家的なルールとしてはみんな似たような正義感や倫理観、人生観をもっているように一見見えるのだけど。ただ、小説を読む時は人は自由ですから、自分にとって心地よいリアリティの程度を選んで読んでいるんじゃないかと思うんです。


厳しいのが好きな人もいれば、甘いのが好きな人もいると思う。コーヒーの好みみたく、フィクションに求めるリアリティにも好みがある。


その中でじゃあ作家は何に照準を合わせて世界を作っていくのか、といえば、そりゃもう他人じゃないわけです。


自分の心の中にある、自分が生きるために使っている基準のようなものを軸に世界を作ってゆく。その世界に訪問する人が増えるかどうかは神頼みです。


ただ、作品を綴って投稿することをしながら自分も少しずつ変わってきました。なんというか、自分の中の厳しいコーチのような人が、自分が見ないようにしてきたものを見ろと言ってくるというか。人生の美味しいところだけを書くなというか。


つまりはもっと悪人を書けと言ってくる。そこが、自分は人を悪く言わないように生まれついているので、自分のシステムとぶつかっちゃってエラー音が出るんですよ。


困ったなと思いながら、自分の生きてきた道をぼんやりと俯瞰してみるのですが、


この世に根っからの悪い人なんていない、話せばわかる


と思ってやってきて、何度転んだか。かなりの長い時間を一見悪い人に見える人の心をのぞき、理解するために費やしました。結果は常にエラーだった。


この世に理解できない人はいる


そして、自分が巻き込まれるトラブルは年齢を重ねるとともにパワーアップし、洒落にならないことが起きてくる。そこで自分は子供の頃のように本の世界という現実とは違う世界に逃げ込み、自分の心を守るのか?


作品を書くのと読むのは結構似ていて、自分の世界にゴジラを持ち込まなければ、そこはお花畑でいられますから、かなりの癒しの世界なわけです。


ただね……


私の作中に悪人らしい悪人が出てこないのも、キャラが他人を必要以上に責めないのも、結局は自分が他人と争うのが苦手な人間で、他人と争って生きるよりは自分を曲げて相手に合わせて生きていくような人間だからです。


そういう私と同じような人も結構いると思うんですが、こういう人にとって現実社会というのはそれなりに暮らしにくい場所ですよ。


そういう暮らしにくい場所で、それでも自分の信条を変えずに生きてゆく。その困難をできるだけリアルに書く。


それが私が書くべきリアリティなのかもしれません。


自分は変われませんから。この道が金塊をもたらすかどうかは謎ですが、私にとって一つだけはっきりしていることは、威風堂々とした人が悪者をぶっ飛ばす話なら、それこそ私なんかが書かなくても書いてくれる人がごまんといるという話で、自分にしか書けないものを書くというのはつまり、


このままじゃ、なんか損して生き続ける気がするな


と思いながら、それでも、横にいる人をぶん殴れない自分のままで、どうやって生き抜いていくかということなのかも。結局、自分の人生と作品世界が連動しているわけですが。


完璧な人間なんてそうそういないのです。ひっくり返せば、自分を不完全だなと思って嘆く時間を減らし、勝ち筋を探ることが人生においても、創作においても求められているかもしれません。


2024.07.15

汪海妹

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