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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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ドラマ感想文:虎に翼 其の二














   ドラマ感想文:虎に翼 其の二













虎に翼の中で、結構すごいなと思った役所が、主人公のトラちゃんを法曹の世界へ引っ張り込んでしまった穂高先生です。小林薫さんが演じているのですが、今週の小林さんの演技には胸が打ち震えました。


うめー!


食べ物がではなく、演技が。


それと、穂高先生に関しては、キャラ設定というか、脚本も見事だった。女性に理解があって社会進出を後押ししているようでいて、女子が法律を学べる女子部を明治大学に開設した人であるのに、晴れて資格試験に合格して弁護士として働いている虎ちゃんが妊娠した時に、弁護士を辞めさせようとするのですよ。もう君は十分にやった。あとはお母さんとして生きていきなさい。ご苦労様でしたねと。


これに虎ちゃんは非常に傷ついてしまうのです。そして、本当に弁護士を辞めてしまう。そしてブランクを得た上で、また戻ってきて家裁で働いていると。


「辛いだろ。もっと楽な仕事を見つけてきてあげたから」


そう言って勝手に良家の家庭教師の口を探してきてしまうという。


その穂高先生が退職する際のパーティーの席で、教え子として花束を渡すはずだった虎ちゃんは、先生のスピーチを聞きながら、もう頑張るなやめろと言われた屈辱を思い出して、花束の上に涙を落とす。そして、花束を近くの人に押し付けてその場を逃げ出してしまう。


スピーチが終わった穂高先生が虎ちゃんを追いかけて廊下に出てきた時に、ありったけの恨みをぶつけてしまった虎ちゃん。その趣旨は、先生が女子部を作って先生が何人もの女性の弁護士を誕生させたのに、軽々しくそれは上手くいかなかったなんていうなというもので、それに対して、ですよ。


今まで一度も他人に対して怒鳴りつけたようなことのない、いつも穏やかな穂高先生が、怒鳴るんです。


「謝っても許さない。反省しても許さない。じゃあ、どうしろっていうんだよ」


ここの小林薫さんの演技がすごかった!それこそ子供の頃から小林薫さんのことはテレビの中に見ていて馴染みの俳優さんですが、この人一倍穏やかな人の演技、そして、いい人だと思っていたのに中途で、女性を応援すると言いつつも矛盾した言動をとる演技、そして、自分は大したことはできなかったと繰り返しいって、なんだか無責任にも見える晩年の演技、そして、突然怒鳴りキレる演技。


全部すごかった!超リアルでしたっ!


この穂高先生が、登場した当初の部分では旧弊的な社会の中で、社会で地位と影響力をそれなりにもつ人物として女性の社会進出を促すという意味で、素晴らしい人として描かれていて、女子部に通い始めた虎ちゃんにとってはとっても大事な恩師であるわけです。そんな人に突然、もう頑張らなくていいと言われる衝撃。裏切られたような気分になりますよねぇ。


この穂高先生を徹頭徹尾、理想を貫いた好人物としてドラマで描くこともできたろうに、それをせずに、不完全な人物として描いた点。この点において自分はむしろ、いいね!を押すわけです。非常にリアルで人間らしいです。脚本もキャラ設定もいいですが、それを演じる小林薫さんの演技がうまかった。


若い頃は、生命力にあふれ、正義感にもあふれ、正論をかざし、武器にして突き進む。人生が半ばになったりもう終わりに近づいている人もかつてはそうだったわけですが、武装暴走列車みたいなさ。


武装暴走で天下を取る人も少ないわけで、皆、理想と現実のギャップにギャフンと何度か言わされて、満身創痍な状態で大人になるわけです。


私も口が立つ方ですし、理想家に生まれついているので、間違ってるよ!と思うことに噛みつき、負けてなるものかとほんの何年か前までは強く思っていて、暴走していたわけです。暴走したまま一度崖から落ちました。崖から落ちたら普通は死ぬのですが、これは比喩ですので、自分は落ちた崖から海辺に打ち上げられ、そこで目が覚めたわけで、その時もしばらくは立ち上がらず空を眺めるわけです。


まだ武装暴走されている若い方には、こんなふうに私が言ってもやっぱりわからないだろうとは思うのですが、理想があれば現実があり、いくら理想や正義をかざしてそれに靡かない周りの特に上の人たちを殴りつけようとしても、それでもうまくいかないことってあります。上の人たちを自分の邪魔をしてくる敵だと思ったり、すでに枯れてしまった花だと思ったりもするでしょう。


ただ、きっとそんなあなたも私が崖から落ちたように崖から落ちて、立ち上がれないまま見上げた空の色を見る日が来る可能性が高い。


大事なのは敵などいないということで、今では枯れた花のように見える人の胸中にもかつてはきちんと理想があり、今もその理想が完全には消えていないということです。


ドラマはどちらかといえば、高い理想を掲げていたが、いまいちその理想の体現に貢献できなかったと落ち込んでいる穂高先生が、「あとは君たちが頼む」と哀愁の中に退いてゆくのですが、そこまで落ち込むことはないじゃないか穂高先生、あなただっていろいろやりましたよとみんなが思うわけです。


それで、松山ケンイチさん演じる桂場さんがお通夜の席で酔っ払った勢いで皿を齧るわけですが、本当に食ってた。すげーと思った。


虎ちゃんが真っ直ぐすぎるから、強すぎるから、見ててイライラしてたかとかそういうわけじゃないんです。


私はもう角の取れた人ですから、枯れた花の仲間入りをしているわけで、半分何かを諦めて、でも、完全には諦めていない人間です。若い人から尊敬される対象なのかどうかが微妙なところですが、ただ、でもね、自分は若い人から尊敬されるために生きているわけじゃないので、敵対しようとしているわけでもないですが、それはもういいじゃないですか。


若い人の気持ちもわかる。ちょっと前まで自分もそこにいたわけですから。居酒屋で酒飲みながら気の置けない友達と毒を吐いては、居酒屋の利益に貢献していたわけですから。


ただね、その、理想というか正義というか、半分捨てて、自分は本当に楽になりました。


「あんた、負けたね」


と誰かに言われたら、こう言い返すと思う。


「どうしてわたしが負けたとあなたにわかるんですか?」


そしたら、その相手は嫌な笑顔で笑って、


「ほら、負けたってことだ」


とだけ言って、あっちに逃げていってしまうでしょう。人間はいつもこんなふうに他者からの評価に振り回されているからです。自分も人生半ばですので、結論は言えないのですが、ただ、いまの時点で思うことは、若い人にも歳をとった人にも少しずつ形の違う承認欲求がありますが、他者からの評価を求めて右往左往すると、結局は自分は振り回されてしまうと思うんです。


みんながみんな、人生の最後まで若い頃のままの理想に燃える姿で生きていかなければならないですか?


最後まで勝つ人もいる。だけど、その数は少なく、途中で折れれば、その苦しみは晩年に襲ってくる。でも、社会では負ける人の数の方が多いんです。


自分はどちらかというと、純粋に自分の欲求に沿って理想や正義を掲げていたとも言えず、幼い頃から他者の欲求を汲み取り、右往左往していたことが多い。長い時間を無駄にしました。


決定的な結論をここに述べることはできないんですけど、ただ、わたしは楽になりました。一つだけはっきりしていることは、あのまま無理をしてあの方法で頑張っても、自分がいわゆる成功をすることはなかったと思います。


崖から落ちた、と例えましたが、あの事を機に自分は変わったと思います。落ちる前の自分であれば、穂高先生に食いつく虎ちゃんを見て、なんだかイライラするなと思って、テレビを消したかもしれない。あるいは、そもそも虎に翼を見ていなかったのではないかと思います。


自分はうまくいっていないのに、真っ直ぐに頑張っている人の姿を見るのは、ドラマでも嫌です。心がザワザワするから。崖から落ちる前の自分は常にそうだったと思います。


誰のためにがんばろうだったのかなぁ。それは自分のためにだったんだろうか?


何度も考えて、その時答えは出るのに、気がつくとまた同じ問を心に浮かべている。私にとってはこの問いはとても重要なもので、何度も答えを出し続けないと前へ進めないんです。


そして、ひとつ思ったんですが、思い出したというか、英雄の姿というのは、あまりに固定化するべきではないというか、つまりは、簡単に言って仕舞えば、この世の全員が英雄なのであると私は言いたいわけです。


みんながみんな虎ちゃんみたいじゃなくてもいいじゃないですかって話です。虎ちゃんが間違っているわけじゃないんですが、虎ちゃんの強さや真っ直ぐさに憧れても、虎ちゃんとは違う人間である私に虎ちゃんみたいになるのは無理です。


他人のようになり成功するのが無理といった時点で、お前は負けたと決められるのは、成功した人、勝った人、即ち、英雄の姿が固定化している、つまりは、固定観念で一般化してしまっているからで、それが社会が生きにくい原因だと思う。


だから、大きなことをしていても、小さなことをしていても、生きてこの社会に所属している人はみんな英雄なんだということを自分は言おうとしているのだと思います。ドラマでいえば、花江ちゃんだって英雄なんだよと。


英雄というのは自分のこじつけですが、しかし、次から言うことは嘘ではない。世の中に必要なのは虎ちゃんだけじゃない。花江ちゃんがいなければ、猪爪家の子供たちはどうなるんですかって話ですから。目立つことをしている人だけが、社会を支えているわけではなく、自分も社会の一部は確実に支えているわけです。


それでいいじゃないですか。これも、アドラー心理学なのかな?私はアドラーの心理学にどうも共鳴する部分が多いようです。


天下を取るために、理想や正義を抱えて暴走してもうまくいきません。それより大事なのは、自分に求められていることは何かということで、一生というある意味膨大な時間は、膨大なようでいて実は限られている。自分が求められていることのみに集中して取り組まなければ、きっと途中で終わってしまうのが人生です。


人間にはいつも憧れる人がいますが、ただ、物事に真剣に取り組むのなら、憧れは憧れでそこに置いておいて、自分と向き合い、自分の強さも弱さも受け入れなくてはならない。


他人の称賛など簡単に受けられるような世の中ではありません。でも、自分が自分の価値を感じ、楽しく生きていられれば、それだけでいいじゃないか。


ね、虎ちゃん、そして、穂高先生。。私は私にできることを今日もやるだけです。


2024.07.06

優等生と乙女 共著

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