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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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私なりに書き方の進め14:マクドナルドは形容詞である













  私なりに書き方の進め14:マクドナルドは形容詞である













中学生の頃、どっちかっていうとサバサバしていてボーイッシュな女子でした。しかし、隠れて乙女でした。そして、わからないくせに柴門ふみさんの大人向けの漫画を読んだり、俵万智さんの短歌を読んでました。


これっぽっちもわからないくせに、いわゆる 恋に恋しているような状態で、しかも、外面はサバサバしてた人だったので、こおっそり、そういう大人っぽい恋を覗いてました。


今になってふっとその柴門ふみさんの漫画のとあるセリフとか、俵万智さんの短歌が一首、浮かんだりするのですよ。覚えてたんだな、自分と思いつつ子供の頃意味も分からず憧れてた言葉を、大人になった自分が味わう。その中の一つにマクドナルドが出てくる歌があります。


「元気でね」マクドナルドの片隅に最後の手紙を書きあげており

(サラダ記念日 俵万智 より 抜粋)


これは私にとってはかなり衝撃的な一首でした。ま、一言で言うと、マクドナルドって形容詞なんだな!で終わるんですが。つまりはね、マクドナルドを知らない人は少ないと言うことです。この言葉を文章に含むことで、みんながすぐにあのマクドナルドを頭の中に思い浮かべると言うことがすごい一首だと思う。マクドナルドの片隅で男女が別れると言うのも私にとっては衝撃的すぎました。


なぜかというとですね、マクドナルドがあまりに身近であまりに有名で、だからこそ、この一首を読む人の心に、この男女の別れが非常に臨場感を持って迫ってくるからです。


そして、マクドナルドを使う凄さというのはまだ他にもあって、というか、これはこの短歌がすごいだけではなくて、そもそもマクドナルドがすごいんです。世界中にあって、みんなが知っている場所ですから。そして、みんなが知っているのだけど、でも、それぞれのマクドナルドがあるってことがまたすごい。


マクドナルドってあのマクドナルドなんだけど、だから、有名なあれで、全部同じようでいて、でもね、やっぱり一人一人にとって少しずつ違うマクドナルドの思い出というか画像というか場面があると思うのです。


だからこの一首は普遍的な マクドナルド という存在を利用しながら、しかし、まるで万華鏡のように 読んだそれぞれの人の頭の中にちょっとずつ違う印象を生んでいると思うんですね。私はその広がりに心を打たれました。


そして、この取り合わせが好き。赤くて、賑やかで、ハッピーセットを置いていて、スマイル0円のどこをどうとっても陽気なマクドナルドと、愛している人との別れというもののミスマッチが良い。


ここでこのマクドナルドの普遍さと、やたらの陽気さを背景に、最後の手紙という三つの要素で私の心に浮かぶ情景はこうです。


本当に愛した人と会えなくなった日々、自分は人生の何割かを失ってしまったわけですが、それでも、彼を失ってはいなかった日々と、失ってからの日々、あいも変わらずマクドナルドが陽気でハッピーなことに違和感を覚えていました。


喪失感ってそういうものではないですか。自分は大切なものを失って、変化したのですが、世界は大抵変わらず陽気なんですよ。ある部分はね。悲しい時に、人は怒らない。ただ、皆が前へ前へと歩いていく中で、自分だけが立ち止まっているような気分で、元気なものや陽気なものに違和感を覚えているのです。


このマクドナルドの一首を思い出すと、あの違和感を思い出す。世界は変わらずハッピーで、自分だけが変わってしまったと思ったあの時。


それでも人間は生きていかなければなりません。


とても大切なものを失った時とその場面はきっと一生記憶に残ります。この一首が俵万智さんのリアルから出ているのかどうかは知りませんが、あの時マクドナルドで手紙を書いたなといつまでも覚えているかもしれませんよね。


最初はね、嫌なんですよ。そういう変わらず陽気であるものたちが。だけどしばらく経つと、そういう変わらずいてくれるものたちに助けられるわけです。


あの時自分は、時間が経てば自分は元気になって、彼と知り合う前の自分に戻るのだと思ってました。だけど、今は知っています。何かを失い、そして、痛みは小さくなったとしても消えることはなく、自分は失う前の自分に戻ることはない。


人は痛みとともに生きてゆくものです。人生は二つに分かれる

そういう深い悲しみを知らずに生きていくか、

あるいは知って生きていくか。


どっちが幸せかと言えばそれは、もちろん悲しみなぞ知らず、マクドナルド的にハッピーに生きていくのがいいですよ。いいんだけどね。ただ、悲しみを知らずに生きている人には、私の心に響くほどにはこの俵万智さんの一首は響かないだろうと思います。


マクドナルドはあり続けるけれど、私はもう二度とあなたに会えない。一生。

この絶望と取りあわせるにはやはりマクドナルドでなくてはならないでしょう。


今日はもうこれで終わっていいのだけど、書き方と銘打っている以上、書き方的にもう少し何かを書きましょうか。


江國香織さんの小説には素敵な名詞がたくさん出てくる。洋服とかお酒の名前とかね。村上春樹さんの小説には素敵な音楽がよく出てくる。そして、俵万智さんの短歌にはマクドナルドが出てきたわけですが、自分という心を言葉に乗せて表現するならば、そこに出す名詞については、完全に自分に馴染んでいるというか溶け込んでいるものにした方が良い。


とてもナイスな何かがさりげなく出てくるその技法も、まぁ、いいとは思うのですが、非常に普遍的なマクドナルドを詩的に化けさせるのがすごいというか、私はどちらかというと後者に感嘆する人間です。


ローソンの青、カップヌードルの黄色と赤。スタバのセイレーンの微笑み。ヤクルトの桃色、薬屋の前のオレンジの象。マツキヨの黄色い看板。


誰でも知ってる何かが、突然、何かに化ける、そんな時、固有名詞は立派な形容詞になるし、それに、私たちは何かを共有してるんです。上手く言えないけど、同じものを知っていて、こういうものはわざわざ説明しなくても読んでる人にも通じるわけですから。


ちなみに、よほどこの俵万智さんのマクドナルドの一首がショックだったのでしょうね。私の小説には時々マクドナルドが出てきますし、また、マクドナルドで別れる男の子と女の子の場面もあります。


これは、マクドナルドに何か、払わないといけないやつでしょうか。自分は小説で儲けたことがないので大目に見てもらえないかしら?


ダラダラ続けてもな!ここらで終わりにしましょうか。

湿度の高すぎる広東省より愛を込めて


乙女著

2024.07.04

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