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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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私なりに書き方の進め 13 ジャンル













   私なりに書き方の進め 13 :ジャンル













どうも ジャンル というこのテーマは自分の鬼門だったようで、書いては消してを繰り返し、今、4度目の原稿を書いています。


自分が書きたいジャンルをどうやって選ぶのかという話を書こうとして頓挫してました。どうして書きたいことを書けないのかなぁと考えるに、多分、それは、最初にあるのはジャンルじゃないんだよってことを言いたいからかもしれません。


よし!転生ものを書こう!


と思ってスタートするのは違うんじゃないの?と思っているのよ。じゃ、どうやってスタートするのだよというと、


「この道はどこにつながっているんでしょうか?」

「さぁ」


チーン……


思うに、小説を書こうとする時に人はプロットを立ててから書く人と、私のように大まかなプロットは一応あるのだけど、書いていくうちにラストが変わってしまうような人と二つに分かれるように思うんです。


そして、ジャンル。自分は自分が何かのジャンルに属することとか、作風やテーマを決められてカテゴライズされることと、ラベルを貼られることから逃げ回っているように思う。


その心が何かというと、何か一つのジャンルに縛られることが嫌だから、なんだろうなぁ。


たまに眠れない夜に漫画を読んで眠くなろうと思って電子書籍の漫画で無料の巻を片っ端から読んでいるのですが、悲しくなるほどに似通った筋の漫画が多いんです。流行のあらすじの型というか展開があって、それをみんな真似して書いているから、本当につまらない漫画ばっかり山ほどあるんです。


それを読んでいると、自分の小説もこんなのと似たり寄ったりだぜ!という悪魔の声が聞こえてきて、そして、悪魔はマイムマイムを踊り出すのだや。


マーイム、マーイム、マーイム、マーイム


この眠れぬ夜に大量読みする、似たり寄ったり漫画は自分の創作意欲を大いに傷つけるので、今後、読むのはやめようと思う。


それで、つまらないなぁと思いながら、有料になる前のところまでをせっせと読み進める、ここで自分が思うのは、ジャンル、やカテゴリーに冒されていて、ちっちゃく収っちゃってるなぁという感慨です。わかりやすいものが求められるから、どうしても典型的な展開を取らざるを得ない、すると、なんか小さい水槽に閉じ込められた金魚みたい。


そのジャンルやカテゴリーのものとして作り込むから返ってつまんなくなると思うのですよね。常に面白さというのも変化しないと。だから、ジャンルなんてもので箱に詰めて、変化する余裕のようなものを書き手に与えないのは、養鶏場に鶏を詰め込んで、運動させずに飼育するのと似たようなものだ。


いわゆる、型にハマる。


少年よ!大志を抱け!型にハマるなー!(先生、そこ、現代では少女もつけないと)


あくまで自己流の考えですが、創作というのは内側からベクトルが外に向かって進む時と、外側から内に入ろうと進む時がある。色々な書き方があるのだから、外側から内に入ろうと進むのが悪いとも言えないと思五つ、いわゆる物語というのも水が変化するように定まらずにゆらゆらと動いているものだと思うんです。


批評家と創作者は違う。カテゴライズするのは批評家の役目であって、創作者というのはむしろ、ジャンルやラベルのようなものから自由に解き放たれて複数のジャンルを泳ぎ回ったほうがいいんじゃないかなぁ。複数のジャンルを横断して自由だからこそそこに、新しさが出てきて面白みが生まれてくると思うんです。


これがきっとね、誰にでもできることじゃないんですよ。だから、自分には才能があるとか、ないとか、そういう話が出てくるわけで。


ジャンルとか流行の型とか、小説だけではなくて、現代というのは情報が溢れていて、人間の生き方はゼロから組み立てるものではなく、あるものからセレクトするようになっていると思うのですが、じゃあ、もう、生きること自体もAIに頼んじゃえばいいんじゃないかしら?なんて捻くれ者の私は思うわけです。


じゃあ、ジャンルや型にこだわらずに書くとはどういうことなのかというと、好きな作家さんというのはいていい。すごいなと思う作家さんと、同調するというか共鳴する作家さんは別々にいます。だからすごいなと思う作家さんに圧倒されるんじゃなくて、共鳴する作家さんの本を繰り返し読む。読んだりみたりしていると自分も刺激を受けて、自分にも何かとある物語の場面や、登場人物の顔が見えそうになることがあり、冒頭の言葉が浮かぶことがある。


私は場面が先に浮かび、それを繋げながら書いていく人間です。そういうインスピレーションを大事にしたほうがいいんじゃないかな。今何が流行しているかを大事にするんじゃなくて。


自分のインスピレーションを大事にして作品を書くとね、悲しいかなトレンドを捉えてなくてあんまり読んでもらえないこともあるかもしれない。


そういうことを何回か続けるうちに、インスピレーション派ももっと売れるプロットを使おうとどこかへ行ってしまうかも。それはそれでしょうがないよね。インスピレーションが浮かんで、それに沿って話を紡いでゆくと、不思議とその話の流れには自分の生き方というか考え方が滲むものです。


例えば自分を例にとると、私は暴力的なものや争いから目を背けて生きてきていますから自然に、物語の中にそういう要素が含まれにくい。含まれたとしても比較的穏便に物事は悪化せずに解決していきます。それでは物語として盛り上がらないから、読まれるプロットのために展開を変えようとする。創作にはそういう側面もあるわけで、すると、筆が進まなくなります。


こういうことを何回か経験するうちに自分はこういうふうに思うようになったんですが、物語というものは作るものではなくて、おりてくるもので、作家というのは器なんです。


パンを作る器械とかお米を炊く器械とかあるじゃないですか。作家というのは物語をポンと出す器械なんですよ。自分がパンを作る器械だったら、逆立ちしても餅は出せないんです。


作家にできる努力は多分、パンしか作れないのに餅を作ろうとすることではなくて、自分という器を磨くことなんだと思う。パンに生まれついていて、パンが売れない街に住んでいたら、一生貧乏だけど、美味しいパンを作れよってことで。


とことん自分とつきあっていくしかない。面白い話を書くために、自分を無理に歪めてはなりません。人はいつだって気をつけていないと、自分ではない何かを演じようとする生き物ですから。


いつもはつらつらと半時間ほどで書いてきた文章を、今回は珍しく書いてはけし、書いては消しを繰り返しました。こんなことがあってもいい気がします。毎日書くことだけが、進歩でもないですものね。


それでは、また。

2024.07.02

汪海妹

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