蘇州の出来事
蘇州の出来事
エッセイはしばらく休むつもりでしたが、今日は例外で書くことにしました。昨日の夕方、蘇州の日本人学校のスクールバスを待っていたお母さんとお兄ちゃんかお姉ちゃんをお母さんと一緒に待っていた未就学の男の子が中国人の男に切り付けられて怪我をしたって。2人は命に別状はないようですが、そばにいてやはり切り付けられた中国人女性が意識が戻らないそうです。それから、そばにいた日本人の父母が傘や鞄を使って男を取り押さえたという話で。
蘇州で起きた事件の影響で、息子の本日のプールは中止になりました。深圳でも警戒が広まってます。
体の傷は治っても、心に傷は残るだろうし、そして、中国人女性は大丈夫でしょうか。どうも、子供を庇って盾になったようなのです。
子供を守りたいとか、大切にしたいという気持ちは国境を越えますので、そういう人たちの方が人数としては多いだろうに、それでも少数派の人たちの中にこのようなことをする人がいると、事件が起きてしまう。未就学児のようなそんな小さな子に切りつけるなんて、その子が何をしたっていうんですか。どんな主義主張も、そんなに小さな子を傷つけていい理由になんかならないと思います。
まぁ、ただ、こんな風に身近に起こってみて私は感情的になっているわけですが、今、戦争が起きている地域ではやはり罪もない小さい子供を含め女の人や民間の人が殺されているわけですからね。今更ながらその残忍さに色がつきます。
いざという時にはやはり、身を守れないとなと思います。
こんなことが起きないように治安を維持するとか、日本人学校周りの警備を強化するとか、もちろんそういうこともあるのでしょうけど、私はかつてSARSの時に学びました。
絶対の安全、絶対大丈夫なんて、この世のどこにもないんです。
だから、いわゆる絶対の安全のための努力はしつつも、やはり、いざという時には身を守れないとなと思う。
もしも日本国内の学校でこんなことが起きたら、今ならきっと被害にあった子だけではなく周辺の子供達でショックを受けた子はカウンセリングを受けることができますよね?もちろん大人だって受けようと思ったら受けられるわけだ。
海外にいるとそれも難しいです。日本語が話せるカウンセラーは多分いないと思うんですよね。いたとしても希少でしょう。
こういうことが起きた時は、そのご家族のお父さんが所属されている会社はすぐに特例で対応してあげてほしいなと思います。会社都合で日本ではない場所で生活をしていて、そして危険な目にあったのですから。
日本にいたってね、危険な目に遭うことはあるよ。ただ、自分から来たのではなくて会社の命令で来た場所で何か酷いことにあった場合、日本にいたらこんなことはなかったのにと日本人なら必ず思うし、恨むでしょう。
そんなことを思いつつ、でもね、同時に別のことも考えてました。
こんな事件が起きて、ああ、やっぱり中国やだ!と思って、日本に帰ることができるなら、日本に帰るという手段で安全を確保して解決してもいい。それでいいんです!ただ、日本人全員がそうだといけない。大部分はそれでいい。でも全員はダメです。
何が言いたいのかというと、日本に帰るというのは、別に本当の解決にはならないということですよ。
日本が安全なのは、努力して日本の安全を確保している人たちがいるからで、別に永久に無条件で続くものではないということです。尚且つ、日本だって完全完璧に安全なわけではないですよね?
いざという時には自分で自分の身を守れなければならないし、また、同時に、どうしてこういうことが起きるのかということを冷静に分析すべきで、こういう事態に至らないための手段について思い馳せるべきなんです。とにかくできることはやり尽くすべきだし、それでも、そういう事態に至る可能性はあるとどこかで覚悟しておくべき。
そして、安全のために正しい選択肢とは何かを考え、常に自分にできる安全や平和のための選択をし続けることだよね。私なんかは個人でやるしかないわけだが、社会的に影響力のある人はもっと大きい範囲でそれをやるでしょう。
日本が安全なのはそのために努力し続けている人がいるからなんですよ。
そして、ここで私たちが忘れてはいけないのは、中国人だから危ないわけじゃないってことなんですよ。世の中にはいきなり刃物で斬りつけてくる危ない人がいます。何人にもいるんです。そして、日本人の子供だろうが中国人の子供だろうが関係なく、とっさに子供を守ろうとする女性だっているわけです。他人の子ですよ。
それなのに、また中国で危ないことが起きたなんていうと、中国を嫌いな人が日本で騒ぐかもしれない。騒ぐ人に言いたい。どちらかといえばあなたは、刃物を持って切りつけた男の方に近い人間ですよと。
中国にも日本を嫌いな人がいて、日本にも中国を嫌いな人がいるわけですが、ただその割合は低いはずです。本当は子供が近くにいて危険な目に遭いそうになったら、何人の子供でも守ろうとする人のほうが中国人にも日本人にも多いはずなのに。
国と国の間の不信感というものは高くなったり低くなったりしながら、必ずいつもあるものだし、長く中国で暮らして中国人と結婚している私の心の中にもあるといえばあります。
ただ、本当にその国にいて、自分の目で見て耳で聞きながらその心にもつ不信感と、実際にその国に来たことがなくテレビの画面やスマホの画面を通じて知り、実体のないままに大きく膨れ上がる不信感というものは違う。
私は、この男はきっとそういう実体のない不信感によって人に切りつけたんじゃないかと思う。或いは日本人を狙ったのではなくただもう不特定に切りつけたのかもしれない。動機は発表されていないからわからないし。
実体のないままに膨れ上がらせる不信感の方が危険だと思う。そして、こんな不信感はきっと昔に比べて現代の方が多いのだろう。それが、情報過多な現代の副作用なのだと思います。
情報はただただ多ければいいというものではありません。情報が溢れてまるであのもののけ姫のダイダラボッチのように闊歩してゆくのだからこそ、自分の頭で考え、自分の目で見定めないと。簡単に操られてしまう。
そういう意味で、この事件のニュースがそれこそ、広がっていってその先に第二、第三のダイダラボッチを産むことのないようにと願います。
意識不明の女性の方が回復されますように。
汪海妹
2024.06.25