父と私
父と私
2021.12.12
最近、父と自分について考えてました。昔のことを思い出しながら考えていた。父と私は性質が似ているのだと思います。父は独特のユーモアがある人で、人を笑わせるのが好きな人です。感受性も強い。
でも、全く同じかというとそうではない。
きっと父の年代、戦後生まれの日本人は似たような方が多いかと思うのですが、お金の苦労をして育ってます。
だから、父にとって大切なことは自分の力で貧しさから脱することだったのだと思います。
そして、お金が手に入ったら今度の夢は自分の子供が自分がお金がなかったがために大学に行けなかったために手に入れられなかったような成功を手に入れることだったのかなぁ。うちは二人とも女の子だったから、二番目の私に期待がかかりました。
父の時代は日本が高度経済成長を遂げる時代で、成功するチャンスが今よりもっとあったのだと思うんですね。
中国へ来て、中国の経済成長を横で見ながら思います。成長中と成長が鈍化した時は世の中は違います。
だけど、親にはそれはわからない。だから、私に夢を見る。
でも、私のしたいことは父のしたいこととは全く別でした。
芸術家に憧れていました。死してなお作品を残す芸術家の生き方に惹かれていました。
本を読むことと絵を描くことが大好きだった自分は、文か絵の世界で生きていきたかった。
ところが、才能を試す勇気が、結局なかったんですね。
父のせいでもない。母のせいでも。
過剰な期待をかけてプレッシャーをかけすぎたという点では、問題があるかもしれません。
でもね、結局自分が自信がなかった。才能を試して生きていくなんて、そりゃ、貧乏必至の人生でないですか。
最初の一歩が踏み出せなかったのは、そして、歳をとってしまったのは、自分に勇気がなかったからです。
あの、大学に入る前から入った後、社会人になるくらいの自分にとって、お父さんは偉い人でしたね。
貧しさから脱するという夢をきちんと叶えた。
そして、いつも父と自分を比べて、それでまた、自信を失っていたのだと思います。
父のようにならなくてはならないのじゃないかと、自分のやりたいこととは別のことに中途半端に足を突っ込んで、もちろん成功しない。
不思議なものです。
うちの家族は仲がいいし、私と父も仲がいいのに、肝心なことでは心を開いてなかったんだな。
親もきっとそれなりに私のことを心配していたのだと思います。だけど、私が何で悩んでいるのかわからなかったんだと思うんですね。言えなかったから。
小説家になりたいという私の言葉を親は喜んでました。私に期待して夢を見てたからです。
その期待が重すぎたのも確かにありました。やってみて失敗したらどうしようという怖さがどんどん大きくなって、全然書けなかったし、どこにも出すことができない。誰にも見せられない。そのまま歳だけどんどん取っていった。
そして、もう一つ不思議なことがあって、それでも、どうしても、小説を書くということに自分がこだわり続けたことです。
やらずに死にたくないという強迫観念があって、いつも苦しんでました。
不思議ですね。今日は何度もこの言葉を吐いていますが。
父にとっての強迫観念はきっと、貧しさからの脱却だったのではないかな?父はそれを叶えたと言っていた。だから、概ね自分の人生には満足しているのだと。
私はいつの間にか、死ぬまでに作品を書くという強迫観念を抱えていたのだな。
とりあえず、書いたのでもう死んでもいいということだろうか。
どうしてこんなに遅い最初の一歩を踏み出したのか。
運命だったのだろうなぁ。
自分に自信がなくて生きることに悩んでいなければ、自分は中国には来なかったと思う。
外国でこんな苦労はしなかったです。自分に自信の持てない私が、少しでも父に近づきたくて、苦労を買ったのだと思う。
でも、父に近づきたかったのは、自分に自信をつけて、そして、やっぱり小説を書きたかったのだな。
夢を叶えたかったのだな。
昔の中途半端な自分ではやっぱり、書けなかったのだと思います。
書けたとしても、人に見せることなんてできなかったのだと思う。
親の育てかたが悪かったというようなことまで考えてましたよね。
親の育てかたが悪いと思うのは、とても自然な考え方だと思うし、こういうふうに考えながら生きている人って結構多いのではないかと思うんです。
自分の人生がパッとしないのは、親のせいだ。
文字にして書いてみるとわかる。
堂々と文字にして書いてみるとわかります。
こういう心理的状態からは、自力で抜け出すしかない。
思うのは自由ですが、思う限りずっと永遠に無限に、自分の生きたいようには生きられない。
私の中ではずっと父が、父とは違う生き方をしようとする自分を認めてくれないという観念があったんですね。
冷静になって思い出してみると、父が私の生き方を否定したことはないんです。ただ、私が自信を持って堂々と自分の生き方を父に話すことができなかった。できてこなかったのだな。
私は親のために生きているわけではない。
だけど、もし私が自分の望むように生きて、それが満たされた時、
きっと両親は喜んでくれます。
親というのはそういうものではないですか。自分だって息子に対してそうする。
どうしてわからなかったのだろうな。
不思議なものです。