としょかんライオン
としょかんライオン
2021.12.11
本日のエッセイは、本日活動報告に書いた内容と繋がってます。
意味が繋がらなくなってしまうから、異例ではありますが活動報告をコピペしてその後に本文を続けます。
↓活動報告はここから
カフェバーで、美容院行く前の時間を潰しております。
もちろん昼間から酒なんて飲んでおりません。カフェモカを飲んでます。
それにしても、酒瓶が棚にずらっと並んでます。
カクテル用のお酒もね。
ア“ー!癒されるっ!
なぜ酒瓶ってこう色とりどりに美しいのでしょう。
これ、昼間に見るとまた格別に気分いいのだよな。
ええっと、すみません。
今週、既刊お読みくださった方、ありがとうございます。
変わらないのですが、A型だからか、半ば強迫的に同じことを反復したい癖がありまして……今後の掲載予定を……。
12月 未定
1月 かみさまの手かみさまの味② 執筆中 12万字
2月 未定
まだ長編の終わりが見えません。
(やべ、響あるぞ。このバー。山崎、白州、知多、竹鶴みっけ!)
えーすみません。煩悩が邪魔をしていますが、チタチタチタチタと書き進めてきたひろ君と暎万ちゃんと愉快な仲間たちの話、紆余曲折をえ、当初予定していたのとは違う方向に暴走し、そして、今、起承転結の転の嵐の中にあって、とうとう
……収集がつかなくなってきました。
この、名前は知ってるけど、飲んだことのないものの多いカフェバーで大人しくカフェモカを飲みながら思います。アイスにしました。12月なのに暑いんですよ。深圳。
あ、酒に逃げたいな。お酒を飲んだら、パァッと素敵な文章が書ける気がします。
……
もちろんそんなことはありません。別につまらないものを書いたからと言って、期待外れだったからといって、警察が私を捕まえにくるわけでもなし。お酒を飲むのは書き上がってからにしましょうね。クリスマスまでにはきちんと終わらせて、ケーキとシャンパンか?
その前に死ぬほど忙しいのです。財務なので年末はね。師走、先生も走る月ですね。
廊下を走るなと本来注意すべき先生が、廊下を走るって設定なんですかね?
この言葉。
でもさ。もっと昔にできた言葉だよな。はて?
ググってみました。インターネットは便利だね。
ああ、師とは僧侶のことみたいですね。他にも諸説あるようですが。
だけどね。現代人としては、やはり、先生に走っていただきたいなぁ。廊下を。
それも、若い先生じゃダメです。教頭先生あたりに。こう、ちょっと頭が寒くなって、眼鏡をかけてきっちりとした服装に態度言葉遣いの、教育者の鏡のような人。
その人に全速力で廊下を走ってもらいたいですね。
先生、足、速かったんかーい、みたいな展開でね。
ウケる(もちろんただウケるためだけに)
かなり演技力のある人でないとあかんな。少しもニコッとしないで、ストイックな顔で走っていただきたい。
そんな馬鹿話をしている間に思い出した絵本があります。
としょかんライオン ミシェル•ヌードセン
名作です。ニューヨーク在住の方なんですね。
すみません。下記ネタバレします。
図書館にある日ライオンがやってくる。
秩序を重んじる図書館という場所に外から異分子が入ってくる。
ややこしいものは排除しようとする人もいる中で、館長は秩序、図書館のルールを守るならとライオンを受け入れる。
ぱっと見ライオンはルールを受け入れるようには見えない。
でも、館長に信じてもらえたライオンは本当にルールを守る。
徐々に周りの人もライオンを信じるようになる。
だけどとあることがあって、ライオンはルールをある日破ってしまうんです。
ルールを破った後に、ライオンは自ら図書館を去り二度と訪れなくなってしまう。
ライオンが来なくなって寂しがるみんな。ことに館長は心を痛めました。
そんなみんなを見て、いなくなったライオンを探しに出たのは、ライオンを受け入れることを反対した館員で、館員に言われた言葉をきっかけに再び図書館にライオンが訪れる。
それを聞いた館長が、ライオンに会うために図書館の廊下を走り、注意をされるシーンがあるんです。
感動しました。
秩序を守るべき人が、ルールを破る場面。
ルールとは何か、共同体とはどうあるべきかを考えさせられる名作だと思います。
子供のために書かれた本というのは時々、素晴らしい真理をついている気がしますね。
途中まで酒瓶について思い馳せつつ途中から真面目になりました。
髪を染めながらで失礼いたしました。
それではまた。
良い週末をお過ごしください。
汪海妹
↑ ここまで
としょかんライオンの秩序について思うこと。
これを読んで我々は、誰もが館長のようでありたいと思うことではないと思うんですね。
信じるに値するかどうかわからない人を信じて受け入れる。
理想のリーダーはこうであってもらいたい。
だけど、異分子を怖いと思うのは、非常に自然な感情だと思うんです。
共同体には必ずそれに反対する人が出る。
そして、この絵本ではたまたまこのライオンはいいライオンでしたが、いつも外から我々の共同体に入ってくるライオンがいいライオンであるとは限らない。
外から来た人を疑い、信じられないという感情は、非常に自然なことなんです。
大事なのは、リーダーが受け入れると決めた。
そして、受け入れた。
そして、ライオンはいいライオンだった。
この後に館員が変わったということだと思うんです。
良い経験は人々をまた少し良い方に変える。
みんながみんな館長のようであることなんて、現実的には無理なんです。
そして、館員には館員の正義がある。
理想はこうであるべきとして、リスクを受け入れ異分子を受け入れる館長のような人と同時に、共同体には対立する館員のような人がいるべきなんだと思います。そして、秩序とルールがある。
平和であるために必要な秩序とルールがある。
秩序とルールというものは、対立する人たちをまとめるためのツールなのかもしれません。
そして、それが機能するうちは、対立する人たちも平和的に話し合うことができる。
そして、時々変化する。
頑なだった館員も、ライオンがいなくなって寂しがっているみんなのためにライオンを探しに出るんです。
この話のいいところは、館長ではなくて館員がライオンを探しに出るところだと思うんですね。
館員だって元々は、みんなを守るためにライオンを排除する立場をとったと思うんです。
角度を変えれば館員には館員の正義がある。
でも、ライオンは誠実でした。
その後に、もう一段階上のレベルで、ライオンは共同体に受け入れられてもらえる。
秩序やルールとは、本来信じることができないバラバラの私たちが分かり合い信頼し合うためのツールなのではないでしょうか?
そして、歳をとってきて最近思うことです。
私は理想家で、夢想家だと思います。もうちょっと言えば綺麗事をいう人間です。
私の綺麗事が好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
自分の考えてることというのは完全ではありませんから、気分が高揚した時に理想的なものを書き溜める。
その後に必ず、波が寄せては引くように、こんなこと書いたって無駄だと思う時間が必ずありました。
自分が書いていることは所詮綺麗事の嘘の塊だと思うのです。
ひどい罪悪感に襲われる瞬間もあるぐらいで。
自分が自分の書いたものをなかなか発表しようと思わなかった理由は幾つかあると思うのですが、上のようなこともそのうちの一つかもしれません。
ただ、その殻を破って書いて発表するようになってから少し考え方が変わりました。
世の中というのは一人で成り立つものではない。
だから、私が考えていることや書いたことに、穴があっても構わないのです。
あなたは間違っていると言ってくる人がいても構わない。
私はこの世界のバランスを取るために存在しているたくさんの要素のうちの一つなんです。
理想的なことを綺麗なことを大きな声で言っても構わない。
私が声に出して言ったことと、私とは対立するような考え方や出来事が、拮抗しながらまた別のラストへと向かっていく。
世の中とはそういうものなのではないでしょうか?
私が思う方向に世の中は動きません。
でも、自分が声を上げたことで、方向は少し変わるかもしれません。
さまざまな考えが世の中にあって、それがぶつかり合うことで、世界というのはバランスをとっているものではないでしょうか?
そのバランスのために、偏っていたって自分の考えを大きな声で声に出したっていいんです。
だから、私は今後かえって、あなたは間違っていると言ってくる人と語り合うべきなのだと思うようになったのです。
なぜなら、その人はきっと私に私の知らない何かを教えてくれる人なのだから。
真の対話力とは、自分とは真逆の相手を理解しようと努力するときに生まれるものではないでしょうか?
だから、キリストは汝の敵を愛せよという言葉を言ったのではないですかね?
ちょっと高尚な話になりましたが、普通に会社で働いていても思います。
立場の違いで社内でぶつかり合いが起きた時、自分の考え方に固執ばかりしていてはいけない。相手の考え方もよく聞き相手の立場にもなって考えた上で、自分の考えを説くようにすることが物事を進めることもあります。
そして、その時、自分の考えが100%通らないことに一喜一憂することはないと思うのです。
館員が、ライオンという新しい異分子を受け入れて少し変わったように、自分も少し変わってもいい。
共同体が目指す結果に納得できたのなら、立場を少し変えて、変わったっていいんです。
歳をとっても自分の考えに固執することなく、柔軟でありたいものです。
そして、本当の意味で賢くありたいものです。
マックカフェでアイスコーヒーを飲みながら。
どこも満杯で、ずいぶんひどい席に座りました。
汪海妹