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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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冷蔵庫にビール













   冷蔵庫にビール













日本に一時帰国した時の話である。


「冷蔵庫にビール買ってあるよ」

「あ、うん」


冷蔵庫を開けると本当にそこにビールが冷えていた。親は私を毎日お酒を飲む酒飲みだと思っているのかも知れず、そして、親以外にもたくさんの人にそう思われている。ただ、私、普段は家では飲まないんだけどな。


そう思いながらもなんとなく期待に応えてそのビールを飲んだ。


私は母のことをよくわかっていなかった。ここ数年しみじみと思うこと。わかってなかった。


とある日に日本の実家に帰ると、母が通販で注文して気に入らなかった靴を、足が同じサイズだからといって姉に譲っていた。それをみた時に誰も知らないところで私は急速に嫉妬した。それはもう自分の理性が追いつかないようなものすごいスピードで嫉妬した。もう子供も産んでるいい年した大人なのに、お母さんとお姉ちゃんが仲がいいのをみて嫉妬した。


その時分かった。自分はきっと昔からお姉ちゃんとお母さんの仲の良さに嫉妬してて、そして、本当はもっとお母さんに甘えたかったんだなと。


お母さんはお姉ちゃんと気が合うというか話が合って、でも、私はお父さんと気が合って話も合うからそれでいいんだと人生のいつかの時点でそういうことにして封印して生きてきたんだなと。それに気づいてしまった。どうしよう?それから目を瞑って私が子供の頃から辿ったであろう心の軌跡のようなものを思い出そうとした。古い記憶。どうしてそんなふうに思うようになったんだっけ?


洋服……、洋服だと思う。


父母は元々は関西の出身。母は若い頃は大阪に出て遊んでいた人。おしゃれな人で父と結婚して東北へ移住。田舎の子供である自分たちに都会的なおしゃれをさせた。


自分は顔が地味なのに服装が微妙に他の子と違うので、それがチグハグでもっと恐ろしい絵画になってしまったようで、その目立ち方、嫌でした。自分で服を買うようになると、私は母の路線に真っ向から反発し、しかし、母がおしゃれな人だったので、その反対を行くと自分はおしゃれな人ではなくなるわけです。簡単に言うとそう言うことだ。


母のセンスに支配されて、自分には服を選ぶスキルは発達しなかった。そして、ピカソに青の時代がありキュビズムに走った時代があるように、私はまずキュビズムに走り(あの完成された美の域に達したということではもちろんなく、みんながあっと思うような変な服を着た)、それから青の時代に至る(今度は地味で無難で人海に埋もれる方向へ走った)。そして、堂々と新幹線に乗って、最近だと飛行機と新幹線だが、母にその姿を晒し、ありとあらゆるダメ出しを喰らってきたのである。


なかなか短くまとまったぞ。うまいではないか自分。


母というおしゃれ番長がそばにいながら、この番長、後輩育成ができない人で、人をリカちゃん人形のように着替えさせることしかできなかった。いまだに父は着せ替え人形ですので、歳の割におしゃれです。着せ替え人形だけどな!そして姉もまた私と同じでただダメ出しだけを喰らって何がダメだかわからず服を選ぶことはできないのだけど、ただ、姉はずっと母のそばにいて、そして、私よりはそれでもおしゃれに育っている。お母さんの服の選び方を教えてもらってるし、靴をもらったりしてる。


そのことで、見捨てられたような気持ちに自分はなっている。


私も本当は素敵な服を着てそんな自分に満足して毎日を過ごしたいんだな。お母さんみたいに。


母が変な服を着てきちゃったなって出かけた先でドギマギしている様子を見たことがない。いつも自分が何をかっこいいと思うのかを知っていて、迷うことがない。そして、服を選んで合わせてきさせて必ず出てくるあのドヤ顔。


「ほら、お母さんに任せていたら間違いないでしょ」


そういう人に憧れてたんだな、私。でも、洋服を着て人に会う時、というか、洋服を着ないで人に会うなんてこと普通はないので、誰と会う時にも洋服は着ているのだから、毎日私は周りの人に私自身と洋服と一緒に評価されているわけ。


母は、自分は素敵な服を選ぶ人だったけど、残念ながら育成のプロではなく、自分はそのオシャレの真髄を横で見ながらよくわからず適当に選んで適当な服を着て母の前に立っては、ありとあらゆるリアクションと表現で、ダメ出し受けてきたな。


洋服というのは自分の一部なので、それを選ぶセンスに対して宇宙から繰り出されるほどのチョップのようなもので何度も攻撃を受け、自分の服を選ぶセンスは死滅したと言ってもいい。しょうがないんですよ。育成に向かない人というのはいるものです。


洋服を買いに行って、選んで、試着室に籠り、試着してみる。この時、床が抜けそうなほどに怖くなり、店員さんも自分のことを心の中で嘲笑しているかもしれないと思い、買い物を中断して帰ろうと思ってふと気づく。私、本当にお母さんのダメ出しが怖かったのだなと。


それから、考えを改めた。自分の給料で好きな服買って何が悪い!誰にも文句は言わせないぞ!はぁー!(→カメハメハのようなものを出している)


それからやっと自分の好きなものを買っては、失敗を恐れず色々着てる。母のレベルには達していないだろうが、そんなことはどうでも良くなった。


そんな折である。姉と母が靴をやり取りして仲がいい。姉が私から見てちょっといいなと思うショールとかなんかを持ってると、やはり母がくれたのだという。


母を離れ、いうこと聞かず、遠くに行った自分は、何も教えてもらえず、自由にはなったかもしれないけど……


自分は本当はずっと、寂しかったんだな。素直ではなかったけれど。


そんな時である、冷蔵庫にビール。


「よいしょ、よいしょ」


そして、最近足腰も弱くなってきた身体で2階から何かをおろしてくる。


「何やってるの?」

「ちょっと手伝いなさい」


階段を上り、その大きいけれど軽いものを受け取る。


それは、自分と息子が帰省した時のために買われた新しい布団でした。


「くる前にやっておこうと思ったんだけど」

「うん」


それからその布団に清潔な布団カバーをかける。


冷蔵庫にビール、2階から布団。


私は子供の頃から、普通なら子供が読まないような難しい本やらなんやら片端から読んで、分かったような分からないような抽象的な話をする子供でした。読んでいることや考えていることは難解でも、やはり子供であまりに純粋に潔白にその課題に取り組んでいたので、清廉すぎたのです。あの頃は大人の矛盾を見て、それを指摘するようなところもあった。母も批判の対象に入っていたでしょう。


扱いにくい子供だったでしょう。だけど母はずっと私を愛していた。だから、母を近寄らせない私に手を焼きながら、寂しかったと思うんです。母も。


性質、という意味からすれば姉の方が私より母に近い。それはきっと色々な親子の間で起こることですが、それならば親は自分に似た子をより愛すのだろうか?


そんなことはない。


母は、父と違って不器用な人間で、愛情表現をまっすぐに言葉や表情や動作で表現することができない人ですが、娘が帰ってくるのを待ちながらビールを買ったり布団を買ったりしているのです。


その母の愛情というとても細やかに醸し出されるメロディを、もう少しで聴き逃すところでした。


私、お母さんが大好きなんだな。そんな当たり前のことを最近になって再確認しているのです。そして、お母さんだって私が大好きなんだよ。


何歳になっても、大好きという言葉は心に響く。私を元気にしてくれる言葉です。

2024.05.15

お笑い芸人と乙女共著



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