はたらく
はたらく
主人がスマホで日本語の動画を見ていたので覗いてみたら、ユニクロの柳井社長が今年の新入社員の皆さんに対して行なっていたスピーチでした。中国人の人、こんなのも見るのね。いろいろ素晴らしいことをおっしゃっていたのですが、全部をちまちまと長々と書いていると、結局はなにを言いたいのか纏まりませんし、そのスピーチの一言だけを引用しそこに自分の考えをプラスしてこの文章を終わらせたい。柳井社長がおっしゃってたのは「相手のために働いてください」そしてその後に、人というのはなかなか上の人間の思うようには動かない。自己の利益のためにしか動かない。だから、会社も儲かり、みんなの給与も上がり、社会のためにもなる、そういう方向へ、大体こういう内容です。細部に不一致があればすみません。お見捨ておきください。リーダーとはどうあるべきかという色を少し薄くして、わたしははたらくという言葉とかけて思ったことを言いたいのです。父が昔とある日に教えてくれたことがある。
「はたらくという言葉の語源を知ってるか?」
「なにそれ?」
「はたとは隣とかそばという意味で、らくは楽だ」
「はぁ」
「つまりははたらくという言葉の意味は自分の周りの人が楽になるという意味だ」
「ふうん」
親の言う言葉というのは、徐々に効くボディブローである。その時はふうんと思っただけだった。とある時にふと思い出して、これはなかなかに真実をついた言葉だなと思いました。
どこから話せばいいのか、思うに、自分というのは頭が良かったために子供の頃から親や先生に期待される田舎の優等生でした。でも、期待された割には安い給料で働いています。短くまとまったな。それで、働きながらモヤモヤすることが多かったのです。これでは人間不幸せです。ただ、時々働きながら、そういうモヤモヤから自由になる瞬間がある。純粋に自分が人の役に立ったと思える時だ。誰に教わったわけじゃないが、自分は仕事ができるぞと思ってる。その仕事が、立派なプレゼンができるとか、新しい企画を打ち立てたとかそういう部分じゃない。相手が困らないように気を配れるのだ。そこまでやろうと思えるところで、自分は仕事ができると思ってる。
相手のことを想像して仕事をする時、できるだけ早くメールしてあげたほうがいいだろうとか、この前こんなことを心配していたなとか、思い出せることがある。それで少し気を使う。すると相手が感動してありがとうと言ってくれるのだ。
親や先生が願ったような私はもっと偉大な何かだったのかもしれない。だけど、自分にはそれは重かった。それよりもっとシンプルに地味なことを丁寧にやって感動される、そんな毎日が好きだ。
ありがとうはもらう。私は感謝されているし、名前を覚えてもらえる。仕事が丁寧だからだ。そういう部分ってひっそりと小さく咲いた花のようなものです。
私は働くのが好きだ。褒められなくても、ありがとうがあれば本当は毎日気分が良くて美味しくご飯を食べられる人間だ。だけどその反面、自分の人生はずっと重い期待をされてしまって、鉛を引きずって歩いているようだった。そして、ある日、残念ながらブルドーザーのようなもので根こそぎもぎ取られてしまった。
空を飛んでいく飛行機を眺めるのが好きなんです。綺麗だなと思って。忙しい日々の合間に空を見上げて綺麗だなと思える自分がいれば、何が起こっても上を向いて歩いていけます。
私の花はどっか行っちゃいました。それはもう結構ひどい最後だったけど、多分一番本人がけろっとしながら、次の会社に通ってる。そんなある時、新しい会社で電話に出た。会社名と自分の名前を言ってから、上司に繋いだ。その後仕事をしているともう一度電話が鳴った。もう一度出た。
「あのっ」
「はい」
さっき電話してきた日本人の人でした。
「〇〇さん(本名)ですよね?あの〇〇(前社名)の?」「はぁ」
私の名前はちょっと珍しい名前だったので、気がついたようだった。その人は以前同じ会社だったことがある人でした。お互い今は違う会社にいますが。
「お久しぶりです。お元気ですか?」
その人は、真面目で勉強家で頑張り屋さんで、ただ、コミュニケーションが苦手だった。つまりは昔の自分のようなところがある人でした。その口下手な人が電話の向こうで一生懸命話してるなと思う。多分自分は、昔、この人に親切だったのでしょう。自分は自分が昔、人と話すのが苦手でしたから、そういう人と話すのが苦手な人にどうしてあげたら助かるのかよく知っていて、何をしたかは忘れましたが、それはきっとこの人にとってはありがたいことだったのだろうな、そう思った。
彼は十分に能力を発揮できる人でした。ただ、彼の上司が厳しすぎる人で、彼も含めたくさんの人が辞めてしまった。彼も私もそんな過去を克服して新しいところで元気にやってるのです。
だから、いいのか?よくないだろう。
会社の人、すべてが嫌な人だったわけではなくて、むしろいい人の方が多かった。真面目に頑張っていた人が嫌な辞め方をしたら、私のいうところのいわゆる「はたらく」で繋がっている人たちもやるせない気分になるだろう。そういうことが二度と起こらないように変えていかないと、少しずつ嫌な空気のようなものが溜まってしまう。働きにくい会社になっていってしまうだろう。
次は負けない。もし自分が似たような案件に出会うことがあれば、せっかく稀有な経験をしたのだから、次こそ仕留めます。人間はこうでなくてはならない。水戸黄門は勝たなければならない、つまりは正義が、ですが。
悪いことをしていない真面目な人が負けるなんてことがあってはならない、負けてない、まだ生きているし、ピンピンしてるからだ。次こそ仕留める。もちろんそれは、本当に仕留めたい誰かではないのだけど。
例え踏み潰されたとしても、そこに咲く花には意味がある。その花はみんなのものだからだ。花が消えてしまっても、花の記憶は少々の痛みとともに残るであろう。昔、しょぼんとしていた彼が元気に頑張っていると聞いて嬉しかった。自分も励まされた。帰り道の足取りが軽くなった。そうだビールを買って帰ろう。私が家でビールを飲むと、息子が体に悪いと怒るのですが、たまにはいいではないですか。今日はビールを買って帰ろう。
2024.05.13