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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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この人本当に私の友達なの?と思う時












   この人本当に私の友達なの?と思う時












多分、こういう経験をしたことがある人は私だけではないだろうルンルンとスキップしたいくらい元気な時にその人と会うと、会った後でずうんと落ち込んでいることがある生粋の根暗な人間なので、何が嫌だったのだろう、何が?その人と会った後に家に帰ってからパズルを解くように自分なりに心理分析をして答え合わせをしている


「ぶつぶつぶつ」「会って元気がなくなる人とはさ」「うん」


横にいた主人が声をかけてくる


「会わなきゃいいよ」「……」


もっともな話である。


人間関係って不思議である。SM関係が成り立つことがある。夫婦だったり、友人だったり、恋人同士だったり、SMというとちょっとイメージが湧きにくいので、こう書いてもいい人に従うのが好きな人と人を従えるのが好きな人がいる恋人募集中の女の人がいたとして理想の男性像を聞くためにこんな質問をすることがある「デートに行きます。その行き先はどうやって決めたい?」


A:相手の行きたいところB:自分の行きたいところC:相談して決める


これで自分の傾向がわかります。私は、過去コミュ障だったのかしらと思うくらい人間不信だった時期がありますから、いまだに人を誘うのが苦手な人間なんですよ。だから、Bの人に誘われて友人関係をするのが楽なんです。相手にとってはなんでも合わせてくれる私が楽なんだと思う。


でも、こういう友人関係って落とし穴があるのよね。本来、友人関係って対等なものだと思うのだけど、でも、世の中そんな綺麗なものでもないじゃないですか。私のような相手に合わせるのが上手い人間を選ぶ人というのは、常に人の上に立ちたいタイプの人が多いんです。


私、自分の恋人にはこういうタイプの人は選ばないのだけど、と、いうのは私は子供の頃から家の中ではわがままな人だったんです。従順なのは外でだけ。だけど、友達はボスっぽい人と絡まることもある。つまりは、男に対してはわりとしっかりしてるのだけど、女性に対しては脇が甘くてボスっぽい人に選ばれ、子分になってしまっていることがある。


そうすると、ボスはこうなんです。こうなのよ、ああなのよと色々アドバイスをくれます。そして、庇護下においてくれます。私のような適当な人間はヘラヘラ笑って済ませるので、よし、しっかりいうこと聞いているなと安心されます。


ところが、そんな自分がボスから見て庇護下から離れて飛び立とうとすると、


「何やっとんねん!お前は飛べない鳥なんじゃー!」「クエー」(←鳥として鳴いている自分)


自分も随分鳴かず飛ばずな人生を生きてきましたが、小説を書くようになってから心理的に安定し、遅ればせながら花を咲かせようと思うのですが、なんだか庇護下にいると思ってた妹分が巣を飛び立とうとするのが許せないらしく、あの手この手で人が不安になるようなことばっかり言われちゃうのです。


トリッキーな関係です。主人の言う通り、ここまで会って元気が失われる人とは会わない方がいいんですよ。そうなんだけど……


何を隠そう、自分は自分からグイグイ行く人ではありませんから、友達が少ないんですよ。


チーン


友達がいないわけじゃないんだけど、みんな日本にいたりとかして。


そして、悲しいかな、大昔にいじめられた過去があり、友達を作るのが苦手だった過去があると、自分と友達してくれる人に……


弱い


この私の文章を読んで、何やっとんねん、アホンダラと思う人もいれば、あ、わかると思う人もいるだろう。友達作るのが苦手なシャイな人というのは、実は向こうからグイグイ来る人としか友達になれません。だから、向こうからグイグイきてくれたら、とりあえず


感謝……(イメージとしては相手に向かって合掌しておじぎをしている)


しかし、あまりものラリホーな傍若無人ぶりに、気が遠くなることがある。


もうそろそろこの、私の、友人は来るもの拒まず(私が人付き合いの苦手な変人なので、そもそも来る人数が少ないのだが)路線改めた方がいいのでは?そう思いながらもぐずぐずし、誘われたら会ってぐったりと疲れ、家でまったりとしながら命の洗濯をして数日かけてリカバる。そんな私の様子を見て、主人にもう一度言われる。


「会って元気がなくなる人とは会わない方がいいよ」「……」


たしかに……必要以上に繊細な人間で、若い頃は自分の操縦の仕方がわからずぐったり疲れてばかりいたが、そんな自分もわりかし最近は器用になりましたよ。だけど、それを上回る強者がいる。大抵の人は平気だが、それを乗り越えて津波みたいなのをドバッと人に浴びせかけてくる人もいる。


「……」「おーい」(ぐったりとして動かないので主人が呼びかけている)


しかし、きっとお人好しな自分はこれからも苦手な人とも付き合い続けると思うので、こういうトリッキーな人の言動を解析し、色々言われてしまってもなるたけ早くリカバれる道筋を立てよう。


思うに、人が別に問題なく元気に幸せに生きている時に、その自信を挫くような言葉を吐く、この言葉は呪いのようなものである。呪い返しができれば生きていけるぞ。


人と争うのが極端に苦手な自分は、争いを避けるために常に自分を低く見せるような言動を取るのです。特にボス的な人の前ではそれをやるので、気に入られる。その代わり、常に下に扱われるようになっちゃう。私が謙虚に発言しているのは気に入られるためのフリで、自分で自分のことをそこまで下だと思ってないのですが、ボスは下だと思ってますから、私が下らしからぬ言動や活動をし始めると、徹底的にこれを叩いてくるんです。


ボスだけでなく他の人たちに対しても常に争いを避けるために低い位置で行動をし続けると、結局周りの人には大した人間だとは思われず、何か大きなことを期待されたり頼まれたりすることもないでしょう。


自分のこの弱さ。弱いセルフイメージを持ち続ける限り、発揮させたい自分とみんなに見せている自分にギャップがあり続ける。


それでいいのか?ってことなのかなぁ。


自己主張の強い人間の横にいて、弱かった人が強くなろうとしてイニシアチブを取ろうとすると、すぐ隣の強い人間にまず叩かれるでしょう。その時に喧嘩をしろというわけではないけれど、冷静に跳ね返すようにならないと。私は本当の意味で変われないのだと思います。


人間関係というものは不思議です。どちらかが主導権を握っていることが多い。私の中にもう会わなくてもいいやという気持ちがある。会っても嫌な気分になる人とは会わなくてもいいや。すると相手が慌て出す。少しだけ、関係が変わった気がします。


誰にだってなりたい自分というものがあって、一部の成功している人を除いては毎日、足掻いているのだと思います。変身しようと思って足掻いている、そういう時に、味方になってくれない人とは一線をおくべきなのだと今更ながら思います。時に人はそんなことをしては意味がないのだけれど、他人の足を引っ張ろうとしてそれは必死になってしまうものですから。


私にもそんな余裕はないのですよ。必死に浮き上がろうとして水面に向かって泳いでいるのだから、そういうことに付き合っている余裕はないんです。


本当は人には色々な顔があると思うんですね。自分が目指すより良い面、いや、自分がもともと自分の中に持っているのだけど人に見せることのできない良い面を表に出して、いわば変身してステップアップしていこうとする時、それを阻もうとする人はいるかもしれない。


弱いけど強くなろうとする人にとって、その人は敵に思えるかもしれない。


ただきっと、既に自分を発揮できて上のところにいてさまざまなものを見ている人にとってみれば、この世は敵だらけなんだと思いますよ。その人はすでにそういう敵と戦って負けなくなったから上にいるわけで。


自分で勝つしかないんだと思う。それを上にいる人は知ってるから、手を伸ばして引き上げてはくれないわけですよ。この世で強くて何かを成し遂げているように見える人だって、最初から強かった人もいれば自分を変身させて強くなっていった人もいるでしょう。


自分で少しずついい方に変わってきたと思う時に、「そんなものはまだまだ大したものではない」とわざわざ呼び出して忠告してくる人は、私の友達ではないということです。肝に命じました。


人付き合いをすれば嫌な思いをすることもあるけれど、悪い出会いだけでなくいい出会いもあるのだから、奥に引っ込んでいてそれでもそこまで訪ねてくる人が万が一悪い出会いだった場合、その人に呪いをかけられても助けてくれる他の人がいない。勇気を出して自分の庵のようなところからでて、色々な人と出会い話してみれば、少数の人が自分を評価する言葉ではなく多数の人が自分を評価する言葉によって生きていくことができるので、つまりは呪い返しとは、一部の偏った人にのみ自分を評価させるのではなく、より多くの人に評価してもらって自信をつけること、そして何より自分自身が他人の言葉に必要以上に左右されずに、己の考え方や生き方に自信を持つことなのかもしれません。


その人の放ったその呪いの言葉には、客観性はあるのだろうか?ということです。本当に私はそんな「まだまだの人間」ですか?むしろあなたの方が「まだまだの人間」なんじゃないでしょうか。私は一度もあなたに向かってそんなひどいことを言葉にして伝えたことはないですが。


2024.05.12優等生、お笑い芸人 共著

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