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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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私なりに書き方の進めその⑦『テンポ』












  私なりに書き方の進めその⑦『テンポ』













今日でやっとこの書き方の進めも思いついたことを書き切りお休みに入りそうです。最後がテンポ。テンポの話に入る前にここのところ続けてきたお話のおさらいなのですが、私が言いたいことは総じて言えば、人には個性があるようにその人の書く文章にも個性がある。だから、時間はかかっても自分を大切に。まず、自分はどんな個性を持っていて、どんなふうに物を考えているのか、それを掴むところから始めた方がいい。様々な文章テクニックで、自分の書いたものを整えてもいいけれど、文章テクニックという型に自分を押し込んで書くのは私はあまりお勧めしません。


これが私の今まで書いてきたことのおさらいで、それで今日のテンポに入るのですが、まず自分が考える時、文章を書くとき、自分はどんな速さで論を展開しているか意識されたことがありますか?これも人によって違うと思う。


論の展開が速いとは何か、ポイントのみ掴んで結論までが短いということですね。展開が遅いとは何か、詳しい説明がたくさん入って結論までが長いということです。


どっちがいいか?どう思います?


こっから私の持論ですが、全てにおいて詳しく説明されると読むとき疲れるし、何が大切だったのか印象に残りづらい。反対に展開が速いと、感動できない。あっさりと結論まで続くと人間は感動できない。


文章の展開を歩行速度に例えてみる。人間には癖があり、常に丁寧に説明しながらゆっくり進む人もいる。あるいはパッパと歩いてゆく人もいる。どちらも自分の癖の速度で最初から最後まで歩いて終わったとしましょう。


印象に残らない。


一つの文章の中でテンポを変えたほうがいい。このテンポのパターンはいろいろあると思うのだけど、オーソドックスには、最初は普通に歩いている。そして、核心が近づいてくるとゆっくり歩く、そして最後は立ち止まりしゃがみ込む。その道端に花が咲いている。


言いたいことはその花だと言うわけです。


ゆっくりと述べるとはどうするのか?体言止め、同じ言葉の反復、改行、空白また、ゆっくりと述べた後に一番言いたいポイントを述べる時には、語調というものがあります。ポイントでは激しく。しかし、激しく述べる直前ではコントラストをはっきりさせるため、静かに語ります。


この激しく語ると静かに語る、この表現力をつけるべきです。ただし激しく語るとなると、小説なら主人公が激情を語る。つまりは興奮している。随筆でも作者の感情表現を混ぜながら語るので語調は出せますが、論説文で語調はどうするのかという話がありますね。やはり文末ではないでしょうか。


です、ます             ここで事実を淡々と示し話題を提起するではないか、かもしれない、と思う  ここで柔らかく論を展開しだ、に違いない           強く示す


大体こんな感じかと。そこまで整った文調ではなくある程度カジュアルに書いても構わないのであれば、口語的な表現を入れて注意をひきたいところで強調をする。


おーいなんじゃそりゃ


最初の文と次の文の間に改行しながらこういうものを入れてしまうとそこで一旦一拍の空白が入ってくるので、文章にアクセントやリズムが出てくるのですね。やりすぎるとうるさい。長い文と長い文の間に、短い呼びかけや単語をいきなりポンと置いて、その前と後に空白を置き、頭の中に流れている音にメリハリをつける要領です。


そして、ここで年寄りのような苦言を。白髪で眉毛も真っ白で長くて、髭も長くて仙人みたいな人に言われていると想像してください。


おっほん


最近の若い人の文章はむしろ、改行ばかりで本当に読みにくいですっ!ポッキー砕いたような文だよっ!どこにチョコがあったんだ?食った気しねえぞと思うぞ。ボロボロポッキーだ!


ふぅ、つい言ってしまったぜ。これで自分が年寄りであり若者ではないと証明し、若者と仲良くなる機会を失ったな。しかし、わかって欲しい。長い文章がダラダラと続くとやる気がなくなるというのもわかる。改行し続ける気持ちもわかる。しかしもし本当にその短い文だけで文章としての効果を上げたいならむしろ、俳句の世界とか短歌の世界に勤しむべきです。短ければいいというものじゃない。それなら言葉を吟味してください。かなりの超絶技巧ですよ。


改行には意味がある。意味のない改行の多用は延々と続く長文同様に読みにくいものです。音は変化をつけながら流れるから心地よい。それでも改行気味に文章を書くのなら、その短さの中でも 長いと短いを作って 音の変化をつけるべきです。水音を想像してください。時々変わる部分があるから聞いていて落ち着くでしょう?もし同じ長さで 短いものを組み合わせて文を作るならリズムは同じになるのだから、その効果が出るように、言葉の音で韻を踏むか、同種類の言葉を並べて印象をつけるとか、そういう工夫があるから響くわけで、ただ改行を繰り返せばいいというものではない。


言葉に敏感に生きて、そして、言葉の数を増やしましょう。それでいけるはずです。意味だけではなくその音や漢字というビジュアルの印象も目で追うべきなのです。また、同音異義語を頭の中で並べ、どの言葉を使うのか選ぶ。音を響かせなきゃいけないから、意味だけで選んでは効果が出ないのです。


もう一度ここで髭の生えた仙人になったつもりで苦言を、言葉の数が少なければそもそも無理な話なんです。自分の母語である日本語を愛し、たくさんの言葉に丁寧に寄り添ってくださいね。えー、偉そうでした。失敬失敬。


最後、ポッキーのくだりから結構脱線しましたが、本日はここまでで。で、これからですが、自分でも書き方というテーマを見た時に、自分の中にトピックがあったことに驚いています。私の中にいる子供たちが、「これも書いてくれ」「これも書いてくれ」とアイディアを持ってワクワクと列に並んだような感じでした。それで、思いついたので書いてみるかとここまで書きました。


学生の時に学校提出用などで書いた文章や仕事で書いた文章を除けば、自分の書くことの本格的な夜明けは2010年ごろに処女作になるはずだった小説を書いて途中で挫折し、2019年にやっと四苦八苦しながら処女作を仕上げ、投稿を始めた時に来たといっていいでしょう。今回書いたような書き方について明確な考えがあったから書いたわけではなく、全て本能的にやっていました。始めたばかりの頃よりはある程度は上手くなかったかと思うのです。


でも、今、壁を感じています。


自分のもともと持っている能力と努力でこられるのはここまでかなと思っている。だから今、他人の力を頼らなければなと思っているところです。それで自分も遅ればせながら小説の書き方というような本を読もうと思っているわけです。だから、こんなものを偉そうに書くような人間ではないわけです。本来は。書いていて楽しかったですけど。


ただ、読んでくださる皆様に十二分に役に立ったかということは傍に置いていて、自分がやっていることの見直しと自己反省という意味では非常に役に立った。無意識に勘でやってきたことを文章にすることで、実体化させたわけですから。


ですから、これからは、私が書きながら「これかな?」と感じたテクニックの切れ端や、また、有名な方達の書いたものや文章術を読んで、いいなと思ったものを書くような形で続けていこうかなと。


私のお散歩にちょっと付き添ってみたいなと思う方がいらっしゃいましたら、いつでもどうぞ横を歩いてくださいませ。


体系的なものではなくポコポコ浮かんだものを書く形ですみませんね。いつかどこかの将来で、こんな私が本当に偉そうに文章術なんぞ語っていたらいいな。長生きしないと。可能性はいつだって誰にだってゼロではないですからね。


それでは(優等生とお笑い芸人 共著)2024.04.25



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