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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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柔らかな揺籠 そのに













   柔らかな揺籠 そのに

2024.02.13












 飛行機に乗って日本へと向かう前日の昼、知人の日本人女性とランチをしてました。


「日本へはいつ?」

「ああ、わたしは前半はこちらで後半だけ日本です」

「そうですか」


 食事を終えてわかれる。


「それではどうも。良い春節を」

「良い春節を」


一人になってからつくづくと思いました。長く海外暮らしをしていて、日本人女性の中にはバリバリ仕事をしながら独身の方も結構いる。そうすると、春節まるまる実家に帰るわけではないのだなと。その身になって考えたことはなかったけど、ま、でも、そういうものなのかもなぁ。


反面自分はせっせとこの歳になっても父母のもとに休みになれば足を伸ばしてる。めったに鏡に映った自分の姿を見ることって、これ、比喩的な意味で使ってますがね、ありませんが、このふとした一言が鏡になった。よくいえば仲がいい、別の言葉で言えば密度が高いというか、依存しあってるというか。


……


人間なんて、バランスのいい人なんて一握り、あとは何かに依存してる。あの寂しがり屋の父が日本からやたら私を呼び寄せるものだから。もういくつ寝るとお正月の、もういくつ、が、父にとっては、もういくつ寝ると娘(私)が帰ってくるなのですよ。


黄疸になった写真を送られてから、その父へと向かう歩みに拍車がかかったようです。せっかくの休暇だというのにどこにも寄らずに実家へと帰るわけですから。


ふと思う。ここまでしているのは全国的にいって何%?たまにはフツーにどっか観光したいよね?

一生に一度お伊勢参りが昭和でいうワイハだった江戸時代に生きているわけではなく、グローバリズム真っ只中な21世紀に生きているのに、息子を連れてオーストラリアとか行って、コアラにガシッと掴まれてみたいよ。アロハ(←ワイハと混ざっている)


やれやれ


父も困ったちゃんだと思います。学生時代、私と姉が二人でタイへ旅行しようとした時、実家に帰ってこないのか!と旅行をキャンセルさせた人です。


ベストチャイルド賞!ハハハハハ!

いらねー、こんな賞、いらねー!


しかしだな、束縛されてもなんだかな、ですが、束縛されずに無視されても辛いのだろうけどな。


どこにも寄らずにせっせと帰り、だるいと言ってこたつに入りこんで寝っ転がってる母を見る。父はまだ歳と病気をした割には元気。母がいかんな。

父は分かりやすく束縛をして、母もそれなりに束縛をしてくる。


仲のいい家族なんだけど、我々、家族の外に対して頑張らない人々なのよね。つまりは、友達を大切にしないというか、ハートをオープンしないわけ。だから、家の外に依存できるものがない分、家族に対する依存が重いのよ!


あー、私も気をつけないと将来親のようになる。


冷静に眺めてみて、父母が友達を作れない人というと、そうではない。普通にチャーミーな人たちです。ちゃんと友達ができるでしょう。本人たちがもっと外に対して心を開けば。しかし、それができずに内に対して重くなる人というのは、まぁ、いるものだよね。


私自身も、人づきあいの悪い方です。今は、家に息子がいるので息子に依存しながら幸せに生きていますが、息子がいなくなったらまずいですね。今からその心配をしている。人付き合いが苦手ならそれなら今度は、ものでもいい。心の拠り所を見つけないと、仕事だけでは人は幸せに生きていけないよね。


そして、あーあーとため息をつく。

私は、人づきあいが嫌いなのではないですが、苦手なので、もっとお互いに束縛できるような相手と結婚すればよかったのですよ。夫婦で休みの日に一緒に出かけるようなそんな人と結婚すればよかった。失敗したなー。


ま、でも、大抵の旦那さんが奥さんほっといて外に出かけているけどね。

旦那は依存先としてあてにならない。いつも家にいないからな。

どうやって生きていきましょうかねぇ。下手すると外にお相手を探しに出かけてしまいそうだよ。


恋愛に大事なのは、いい相手と巡り合うというよりは、組み合わせなのだと思う。うちの主人が悪い男なのではなくて、組み合わせが悪いのですよ。私はもっと重い恋愛をする相手と一緒にいればよかったのかもね。私は重いです。一人の人に重くのしかかるタイプ。相手がのしかかれる相手ではないと知った途端に、その相手に興味を失ってしまうのです。それでも普通に生きているのは、自分の子供という最高にして最大の愛情の捌け口があるからで、これを失ったらどうなっちゃうんだろう?


ヒジョーに下世話に他の男の人を探しに行くなんて解決策とならないためには、韓流ドラマでもみて2次元の世界に救いを求めるか、書画の世界でも初めて芸術の世界に没頭するか、あとは、なんだ?


変なものです。結婚して子供もいるのに、1人で生きていくことを真剣に考えてる。

主人には期待しない。私が描くような幸せな夫婦像の片割れ役を主人が演じてくれることには期待しない。

しないけど、だからといって、全てがダメだというわけでもないでしょう。この世はブラックオアホワイトというわけでもない。そういう考え方は偏りすぎですから。人間の基本の最小単位は一人ですから。やっぱり自分を大切に生きていくしかないのだろうな。


一人でちゃんと立てることと、毎日を大切にしてゆくことしかないのだと思います。


束縛したり、束縛されたりしながら皆が生きていて、時折その対象を失うこともある。

それでも頑なに一人を固持することなくしなやかに生きてゆく。

私はひとりぼっちではないと肩に力を入れながら生きるのが固持するということで、

そうではなくて、ひとりぼっちだから寂しいし、機会あれば人と交わりたい。それが、自然ではないですか。

歳をとって、だんだんと孤立してくるのは誰もが同じで、それは恥ずかしいことではないですね。

だけどだからといって無理により多くの人と心を通わしたいなどとは思いません。疲れますから。


機会があれば、いろいろな人と話したいなとか、楽しみたいなと思いながら、自分が寂しいということを隠すことはなく、しかし、一人を楽しめる大人でいたい。一人で楽しめる人でなければ、きっと人を楽しませることはできません。


束縛の形、これが愛の形でもあると思っていて、そして、多くの人が愛し愛されるという名の糸に絡め取られている。その姿をもう少し、正確に描けるようになればと思います。それがなかなかに透明で分かりにくい糸であるものですから。


もうそろそろゆっくりとですが、次書くものの準備をしなくては。

暖冬の故郷より

汪海妹


そうそう柔らかな揺籠というのは、私からみた家庭です。家庭というものは柔らかで温かな中に薄い毒を持っていると思う。子供というのは甘い毒を少しずつ飲まされながら育っているようなものです。自分が何の毒を飲まされて育ったのか、人は知らない。それと決別する必要なんて、本当はないのかもしれません。ただ、時に、それが故に、一歩も前に踏み出せなくなってしまう人もいる。そのために思うのです。それを書けないかと。ただ、親がいなくて苦労したとか、そういう分かりやすい大変さについてはあちこちに書かれたものが溢れている。だけど、一見何不自由ないように見えて、でも、飛び立てなくなってしまった子供達については、分かりにくくて言葉にできない。

そういった分かりにくい辛さというものこそが、現代なのではないかなと思うからこそでしょうか。食べ物がないわけじゃない。学校に行けないわけじゃない。だけど、だからといってすなわち幸せだと言われても、何かが足りない。この何かが足りないという発言をすること自体を許されないのが現代の子供達ではないでしょうか。私自身がそこで苦しんできた。


誰もわかってくれなかったからですね。自分で自分を理解して、癒すしかなかった。

今年はそんな漠然とした何かに対して格闘する一年にしようかと。少しでも前に進めるといいのですが。

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