柔らかな揺籠 その1
柔らかな揺籠 その1
2024.02.12
子供の頃はなんでなのかわからないのだけど、なんとなくお正月が苦手でした。その日常を外れた数日が、そこはかとない寂しさを醸し出している気がして、怖かったのです。非日常よりも日常がいい。忙しさの中に見ないようにしているもの、考えないようにしていること、そういうものが迫ってくる日々。それが、お正月だったような気がしている。
そんな感覚がとある時を境に変わったようにも思う。シーソーがカタンと落ちて、今までの世界と一変するように。私はとある時からその侘しさを受け入れるようになった。人は歳をとるにつれ、パッと目を引く分かりやすい派手な何かに次第に魅力を感じないようになり、若い頃には理解できなかったような真っ白に塗り込めが画面にほんのわずかに何かを描き込まれたような、そんな画に目を凝らし、離せなくなるようなこともあるのだと思う。或いは、その淡々とした様子に興味を持てなかった東洋的なものの静の中の美にふと意味を見出すようになるのかもしれない。
春節を迎えギリギリまで仕事をした後に休暇に入る。旧正月を迎える中国には赤い提灯が下げられる。風に揺られるその提灯を眺めていると、私の胸中に郷愁が湧き上がる。
いつの間にかこの深圳で長い年月を過ごしました。この赤が風に揺れるのを見ていると、胸に去来する様々な出来事があるのです。
また一つ年を重ねる。いろんなことがあった。来し方が映画のようにパラパラと画像で自分の心を駆け抜けてゆく。
最近、心の中にとある変化を感じている。それは、私の深圳に対する思いです。中国に対してではなく深圳に対する思い。長く暮らして深圳の発展を眺めてきました。今、この都市に愛着がある。くどいようですが、それは中国という国にではなく深圳という都市にです。
お昼で仕事を抜けて、午後一時帰国の荷物をパッキングする。翌朝、最後に洗面用具とか細かなものを詰めて日本へ帰る準備をしていた。息子にはすでにあれを着て、これを着ろといった言葉をかけてました。深圳は沖縄より南の都市で、冬もコートを着ることが少ない都市です。そこから東京経由で真冬の東北へと帰郷する。当然、防寒具はきちんとしなければ風邪を引く。
しかし、出かける寸前になっても息子はまだダウンジャケットを羽織らずにいた。それを見た姑が
「着ないと風邪引くよ。そんな格好で日本に帰るつもりか?」
それから、ガミガミとというよりはキャンキャンと、女性らしく息子に小言を言ったのです。
「別に言われなくても着るつもりだったし。なんでこっちがしようと思っている時に……」
私の息子は、私に似たのか、口を開けば口が立つ、歳の割に理屈っぽいところがある。やろうと思っていたことを先回りして指摘し子供扱いする祖母に対して、それでは人のやる気というか自信を削ぐというふうに手厳しくやり込めたのです。
あーあ、またやってるなと。
息子は私に似ている。ほっといてほしい族。あれこれ世話を焼かれると吠える動物です。祖母はあれこれ世話を焼きたい族。悪気はないのだが、組み合わせが悪い。息子は反抗期でもあり、特におばあちゃんに噛みついている。以前なら、ほっといて族、族長のような自分も参戦し三つ巴のようになっていたのです。
ほっといて族から見たら、おばあちゃんのこの過剰に世話を焼きたい癖というのは悪癖なのですが、ただね、女性でこういう人はたくさんいる。そこまで目くじら立ててどうこうするほどのことではない。
春節ですこし、感覚が普段とは違っていたからでしょうか。ツンととある感情につかまった。
それは、私の十八番のノスタルジィともいえる強烈な懐かしいという感情です。10年後、20年後、もっと先ですね。
おばあちゃんが逝ってしまった後にきっと私たちは、おばあちゃんのこの『悪癖』を懐かしく思い出すだろうという感慨です。それは強烈な感慨でした。
春節というのは、お正月というのはこういうのをつれてくる。過去、現在、未来が曖昧になって、大昔のことを思い出したり、大昔からざっと現在に至り、そして、自分たちの未来に想い馳せる。
私は家族というものを大切にして生きている。家族とは何か?それは人生を共にする人々です。
家族とは思い出を共有していて、そして、家族で集まれば私たちはその来し方と共に行末について言葉を交わし、想いを交わす。
人はその時、孤独から逃れられるのです。
不幸にして家族を失ってしまう人もいるし、離婚するなどして自ら縁を断ち切ってしまう人もいるでしょう。
だけどそうすれば失うもの、また、傷つける人がいる。それらは透明で場合によっては見えないのです。
家族とは巨万の富でもなんでもなくある意味ではありふれたものなのですが、ただ、奪われることもあるわけですし、そうすれば取り返すことのできないかけがえのないものでもあるわけです。
一生懸命働いてお金を稼いでも買い直すことはできないのですから。
普段なら感情的にならない主人が珍しくカッとした。そして、私が加わらないその息子とおばあちゃんのやり合いに参戦したのです。そして、息子以上におばあちゃんをやり込めてしまった。
「何でもかんでも手を出して、もう、幼稚園児とかじゃないんだから」
息子と私と半ばぽかんとして、それを見ていた。おばあちゃんはまず怒りました。
「ああ、そうですよ。そうですよ。わたしが悪いんです。わたしなんていなくてもいいんだ」
そして、プイッとあっちを向くと、
「もう見送りはいかない」
空港行きのフェリーの着く港へはついてこなかった。
家族三人で駐車場に降りる。車の傍で主人がいう。
「携帯忘れた」
荷物と私たちを残してもう一度上に上がるとしばらくして降りてきた。車に乗り込み、10分ほどかけて港へと向かう途中で主人が淡々と話し出した。
「おばあちゃんには優しくしてあげないと。おばあちゃん、泣いてたぞ」
「……」
息子は助手席で、私は後部座席で、ちょっとギョッとしながら主人の話を聞いていました。その後もしばらく主人は息子の姑に対する態度について注意をしていました。港についてチェックインをすまし、船に乗り込むために二人で前に進む。
「じゃあね、寂しいね。ごめんね」
「寂しいっていっても1週間で帰ってくるでしょ?」
あっさりとそういって主人は帰って行きました。
家族にとっての一番にイベントはやはり春節でしょう。息子が生まれてからもう何年も、主人を置いて日本へ帰国しています。最近ちょっとすまないなと思ってる。思ってるけど、仕事が休みの時にしか母国に帰れない。やはりここはわがままに故郷を目指す。
船を待つベンチで息子と並んで座りながら、おばあちゃんのことについて話しました。
「人というのはなくて七癖。おばあちゃんの過剰なお世話好きは辟易することもありますが……」
大好きな息子の反抗期は、木の芽が伸びてきたようなもの。道理を説明しつつも折りたくはない。脳みそをフルに回転させながら言葉を選ぶ。
「欠点のない人などいない。私もあなただって短所はある。そして長所もある」
私が言いたいのは、理想の世の中というのは、お互いの短所を知りつつ、そして、相手の短所を己の長所で補い協力し合って生きてゆく世の中。そんな世の中こそが美しい。
「家族だから喧嘩してもいい。だけど喧嘩はするけど受け止める。泣かせるほどに言ってはいけないね」
「うん」
「ただ、今回泣かせたのはお父さんだけどね」
「うん」
主人はですね、お父さんのこともお母さんのことも大切に思ってる素直な息子ですよ。おばあちゃんに向かって反抗的に言い募るなんて珍しい。なんで、突然?なんだか心配になってしまうほどですよ。
ただ……、どうもお義兄さんがどちらかといえば反抗的で、それに反する形でより主人は従順だったようなんです。穏やかというか大人しいというか。それでも心の中には吐き出してなかった何かがあったのかしら?言語化できないような負の感情の原石とでも言いましょうか。
自分自身も含め、子供というのは親に対して盲目だよなと思うのです。親を客観的に見られず、親の放ってくるものが良いものであろうが悪いものであろうが、全てを良いものとして飲み込もうとして生きている。親子関係が愛情で成り立っていたらそういうものではないかなと。
だけど、親も人間ですから当然長所と短所があるわけで、だけど親の短所は自分では見られない。結婚すると家に入ってくる人は他人ですし、他人のうんだ子供も血は繋がっているけれど祖父母に対してはもう少し客観的です。
盲目的に愛している親の欠点を自分の息子に目の前で指摘される、そのことが主人の無意識の負の感情の原石と反応し、必要以上に感情的になってしまったのかしら?
つまりは主人の遅すぎる反抗期が、息子の反抗期に呼応して出てきちゃった?
大人の反抗期というのは厄介です。病気みたいなものですよ。やれやれ。だから、行きすぎて泣かせちゃうのです。高齢者というのは心も体も弱くなりがちですから、泣かせちゃダメです。喧嘩はしてもやりすぎちゃダメ。
後からしまったと思った罪悪感を、息子が悪かったということにして誤魔化そうとしたな。
ふっ……
ちょっと笑ってしまいました。子供だな。
主人が遅すぎる反抗期に入ってしまったなら、今まで1ミリも可愛くなかった嫁がもう少しおばあちゃんに優しくして、バランスをとりましょうかね。これは別に全体からすれば悪いことだとは思わないのですよね。だって、主人がいつもいつもおばあちゃんの方に傾いていて、私に傾いてくれなければ親子はうまく行っても夫婦がうまくいかないのですから。
家族という名の人間関係もまた、不思議なものです。
結婚をして、そして、本当の意味での家族になるには時間と努力が必要です。
人生の中盤から後半にかけては、我慢という名の地味なスキルがかなり重要になってくるのかもしれません。
自然の中に生きていれば、毎日晴れることはない。
長い人生を歩んでゆくとき、凪の海の向こうに輝きながら日の落ちるような風景を見られる日は限られているのです。
ただその美しさに深く感じ入ることができるのは、風雪の中を耐え忍び進むような別の日々があったからこそでしょう。
汪海妹