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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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台湾について思ふ













   台湾について思ふ

   2024.02.06











数日前に台湾の選挙のドキュメンタリーを見ました。


大陸出身の中国人女性で台湾人男性と結婚した人が、ネットを中心に活躍するインフルエンサーで、台湾で様々な年代の人たちのもとへ訪れては大統領選挙について、政治についてインタビューをして番組にまとめている。


そこに出てきた台湾の学生たちの話を聞いていて、心に去来した漠然とした感覚がありました。


学生たちはこういうのです。

もしもあちらがここへ攻めて来るというのであれば、それはもう我々にはどうしようもないことだし。

わたしたちに選択できることではないのです。ただ、総動員ということになって徴兵が行われるのなら、わたしも行きますよ。


涼やかな笑い声が学生の間に広がる。それは、そう言ったわたしが女性だったからです。


本当に?


ええ、わたしも行きますよ。


それから、彼らは、そういう自分たちには選択権のない大陸の動向にばかり政治家は留意しすぎだし、また、その案件を政治的な道具として使いすぎだと言って批判するのです。独立するとかしないとか、本当にそう思っているとかそれが必要だと思ってるとかそういうことではなくて、その主張を票を集めるために使っていると批判するのですね。


そして、いうのです。自分たちではどうしようもないそういう大陸の動向にばかり留意するのではなくて、もっと他にもやることがあるでしょうと語る。みんなの生活を良くするためにできることが。


大学を卒業した後、なかなかいい仕事が見つからず苦労している人が多い状況がある。半導体に関しては景況ですが、皆が皆半導体業界でご飯を食べているわけじゃないのでね。


台湾の大統領選挙の援助演説ではなくて、なんていうのだろう?激励スピーチ?現職の大統領が自分の後任を推挙する際に口にした言葉。


「一国二制度、香港のような自由が、わたしたちは欲しいか?違うでしょう?」


大陸で生活しながらテレビでこんな発言をしているのを見ると、流石に背中がヒヤッとしました。そうか。大陸の外でならばこんな発言もするものなのか。


自分は日本人で、中国の政治に関わることもない。いわば傍観者なのですが、この国の言論統制の厳しさは肌で感じている。特にそれが年々厳しさを増してきているように感じているだけに、ヒヤッとするのです。


長くこの深圳という香港に近い街で暮らし、何度も何度も香港に通ってきました。その移り変わりを目に刻みつけている。

雨傘運動があり、その後の様々な騒動があり、そして、ありとあらゆる活動家が逮捕と釈放を繰り返されていますね。


わたしは何度も何度も香港に通ってきました。普段は中国で暮らし、買い物に香港に出る。そこは空気が違ったものです。

昔、自分の大学の一角にはかつての学生運動の時に書き散らかされたような政治的な主張の文字が踊っていた。それと似たようなものを香港のチムサッチョイのフェリー乗り場の近くで見かけたものです。


香港の人はほんのちょっと前までは、自由に考え、自由にその考えを書き散らかし、表していた。その様子を見て、私は傍観者として、深呼吸をしたものです。声を顰めて生きている、そのこと自体は、長くなってみたらそこまで苦しいものではない。日本とは違う制度の中で生きている。だけど、気をつけて暮らしていれば自分が危険な目に遭うこともない。


何よりも自分はこの国では客人、すなわち余所者であり、傍観者でいられる。

なぜならばこの国は自分の国ではないからです。


もし、日本が……

もし、日本の学生たちが雨傘運動をした香港の学生たちがあったような目と同じような目にあったら……


こんなふうに淡々とはしていられない。


香港の子たちにとって、香港はホームです。自分たちの故郷。

その空気が変わってしまうことについて、どんな気持ちだったでしょうか。


このことを思うとき、私は傍観者でいながらも非常に複雑な気持ちになるのです。

なぜなら、本来は香港は中国の一部であって、イギリスのものではなかったからなのです。国の一部が切り取られ、皮肉にも切り取られたがゆえに大きく発展した。そして、本当の親の元に返そうとした時に、子供は親の顔を忘れてしまった。


別の国の一部として割譲されるようなことがなければ、きっと人々は何の矛盾も感じずに国の制度やあり方を受け入れていたでしょう。でも、香港は割譲され、発展し、異なるアイデンティティを持ってしまった。


深圳からでて香港へゆけば空気が違う。


あの頃から時間はたって、深圳は目まぐるしく発展し、美しい都会になりました。わざわざ香港まで行かなくとも、ご飯を食べるにも買い物するにも事足りるようになった。しかし、あの空気。あの空気はただ単純に美しく所狭しと並べられた世界中の品物があれば漂ってくるものではない。それでもまだ深圳にはなくて、香港にはあるものというのがあったのです。


それがあの、デモ隊と警察のぶつかり合いの中に消えていってしまった。

境界線のこちら側には中国側の軍隊が待機した。この軍隊が香港へと入り込んでゆくことはなく、実際には香港の公安があれを鎮圧したのですが……。あの時、深圳側にいた私たちは、大量の軍の車が高速道路を連なり向かうのを見ていたのです。


香港にそこはかとなく漂っていたうまく言葉や絵には表されないような何かが、力でねじ伏せられ消えるのをみてしまった。


あの時、学生たち若い人は頑張っていて、でも、年寄りの人たちの中には、そんな若者の反発を迷惑に思っている人たちもいた。みんながみんな同じだったわけではない。


そして、香港はどこか、変わってしまったのです。

抵抗していた人たちは集中的に攻撃を受け、海外に住んでいた人が香港に帰った途端に捕まった。有無を言わさず拘束を受け、しばらくすれば解放された。そう言ったことを数度、数人に行う。繰り返すうちに誰も何も言わなくなる。


もうチムサッチョイには、私が昔大学の一角で見たのと似たような跳ねて踊る主張する字はなく、そこには代わりにどでかい真っ赤なモニュメントが立っている。どこぞの政党が好むようなそんなモニュメント。それが、しんみりと寂しいのです。


その後に、あの踊りながら主張する字について思う。

うちの大学の古い校舎の一隅にまだそういう字があって、そういう人がいる。

つまりは私の親の世代の学生だった頃の時代、学生運動の名残なのです。


日本で昔、学生運動をした人たちはいったい何を失いたくなくてあんなにも激しく抵抗したのだろうか?

それを私たちは知らない。


学生運動の後で、日本は何かを失い、そして、変わったのだろうか?

答えはイエスであり、そして、ノーである。


時代は変わったのだと思う。香港は雰囲気が変わってしまった。

ただ、変わったのは香港だけではなくて、世界中でそんな風に時代の節目というのはあるのかもしれません。


変えたくない人たちの闘いというものがあって、でも、その闘いはいつまでも続かず何らかの終わりと新しい朝が来る。


台湾はどうなるでしょうか?

色々な考えの人がそれぞれの立場で揺れている。


香港の人たちの葛藤や、台湾の人たちの抱える恐れについて想像する。


……私は傍観者なのです。

ナショナリズムというのはそういうものだと思います。

ある程度の愛着や思いを持っていたとしても、自分の国以外の場所に対しては冷静でいられる。


これがもし日本での話だったら、私も冷静ではいられないでしょう。

自分の国が新しい支配者に支配され、その成り立ちを変えてしまうような、そんなことがあれば、私も傍観者ではいられません。


生まれた時から暮らしていたからだけではなく、自分の親や、親の親や、自分の国というのは自分だけではなく自分と自分と連なる家族や先祖のものだからだと思いますね。自分たちのものだから、突然きた他人に奪われてはならないものなのだと思います。


そして、ここでもう一度思う。


どうして、かつての日本の大学生たちは、闘ったのだろうと。

何を失いたくなくて闘ったのだろうか。


我々は何かを失い、そして今もなお失っているのでしょうか。


汪海妹








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