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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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ブルー オア ホワイト












   ブルー オア ホワイト

   2024.01.29












コーヒーカップを洗いにオフィスの共有スペースのトイレ脇の給湯室へゆく。給湯室とは名ばかりの洗面台が二つ並んだだけの個室。一つは食器を洗う洗面台で、もう一つは雑巾とかモップとか、清掃用具を洗うためのシンクである。とある朝にカップを洗っていると、隣に並んでモップを洗っているおじさんが挨拶してきた。


「おはよう」


どうして、この人は私に話しかけるのだろう?


そう不審に思って返事はせずにオフィスに戻る。


その後、さまざまなことを考えました。


清掃工で、もちろん知人でもない人がオフィスワーカーである私に挨拶をしてくるのは珍しいことですし、やはり彼は変わっていると思う。思うのだけれどそれとはまた別の角度から、一つのことに思い当たった。つまりは、私は彼を一段階下の人間だと思っているということです。私に話しかける人ではないと思ってた。


実際に、彼の他にも何人もこのビルに清掃工はいる。彼女らはよくトイレに座り込んで仕事をサボっている。休憩室なんてないんです。トイレに行くと床から不景気そうな顔で私を見上げる。でも、こんにちはなんて話しかけてくるおばさんなんかいない。おばさんは私に話しかけないし、私はおばさんをそこにいるけどまるでいないかのように無視をしてトイレで用を足すと事務所へ戻ってゆくのです。


家へ帰ろうと外へ出る。会社から家へたどり着くまでに必ず見かける人たちがいる。毎日のように目に入る人々。それは、デリバリー業の人たちです。Eコマースの急速に発展した深圳。文房具から洋服、食料品、ありとあらゆるものがネットで販売されている。また、ありとあらゆるレストランが、デリバリー業の人たちに託して出前を出している。


雨の日も晴れの日も、寒い時も暑い時も朝から晩まで街を駆け抜けている。


清掃工のおじさんおばさんに加え、このデリバリーの人たちも私にとって透明人間のようになってしまうことがある。いて当たり前で、そして、私がその存在を気にかけない存在です。


若い頃の自分はこうではなかった。もっと純粋で、そして、世の中は公平だと思っていたのです。

士農工商のあった江戸時代を眺めては、江戸はひどいなと現代はこんな不公平ないぞと、若い頃はそんなふうに思っていたのです。

社会に出て長くなってくると、自分の浅はかさを思い知るに至りました。


世の中は公平ではありません。皆が皆ホワイトであったなら、世の中は成り立たない。常に一定数の人たちはブルーであり続けるのです。ブルーの人たちは奴隷ではないけれど、でも、搾取される側の人間が、様々な歴史的革命を経て、いなくなったとはいえない。


ちょっと話が飛んで、父は小学生高学年の時に父の父、私の祖父を病気で失っています。家計は父の兄と母(私の祖母)が担い、末っ子だった父は叔父に育てられたと言ってもいい。家は貧しくはあったが、父の大学に進学するチャンスがゼロだったわけじゃない。ただ、勉強量が足りなくて希望の大学を受けたが落ちてしまったそうです。浪人する家計の余裕はなかった。父は商社マンになりたいという夢を諦め、高卒で働き始めた。そして、私の母は短大卒です。


明治大正昭和と移りゆく中で、日本で大学に進む人というのは一握りの人で、父の世代での大学卒は数も少なくエリートです。


それが、戦後、高度経済成長を遂げた頃には、日本は豊かさを背景に発展し、大学に進むというのは珍しいことではなくなった。父はそれでも大学卒の私や姉に、高卒の自分にはないものを求めました。


それが、そこそこに重荷だったのだなと今ならわかる。

そして、おそらく大卒の親に育てられた大卒生というのは、私とは違うのだろうなとふと思い至ったのです。


大学に進学して、卒業して、就職活動に前向きに取り組めず、派遣社員を経て海外へと出てしまった。正社員になろうと努力しなかったので、自分は契約社員という立場で、ずっと搾取される側のような被害者意識がありました。


上の人から見たら、私は確かに下の人間なのかもしれない。だけど、自分は自分より下にいる人間のことをあまり意識してなかった。中国に来た時、私は四大卒の日本人で、中国人から見たら上の人間でした。そのプライドが無意識に染み付いている。工場で働く子たちは自分とは違う人間だと思い、清掃工も違うと思う。全員に対して優しく接していましたが、そこに同等の人間に対する気持ちとは別の何かがあった。


うすーい同情とでもいうのでしょうか?

若い頃は私はもっともっと理想家で、そして、この世には士農工商もカースト制もない、奴隷制ももちろんないし、公平なんだって思ってて、というか、公平であるべきだと思ってた。共産主義を唱えたマルクスの思想に通ずるような未熟な何かを抱えていたのです。


若かった頃、中国で働いていて、時々日本から日本人大学生のインターンシップを受け付けていた。

なに不自由なく育った日本人大学生は、安い給料で朝から晩まで働き、当時16人一部屋なんてこともあった工員の宿舎を見て驚愕し、


「同じ人間なのに可哀想」


そんな趣旨のことを言い、そして、豊かに育って暮らしていることへの罪悪感を口にした。

すると、とある日本人のおじさんが言いました。


「可哀想なんて思う必要はない。みんな誇りを持って工場で働いているのだから」


そのおじさんのことを実はあまり好きではなかったのだけれど、この言葉にだけは頷いた。


みんながみんな公平になれば、この社会は成り立たない。工場で半導体を作ってくれるワーカーがいなければ、この世が成り立たないように。下の人は上へ行きたいと願い、自分の生活を送りながら機会を伺っている。みんな必死に生きている。

逆境を乗り越えて一段階上の世界へ行ける人は一握りだろう。

そして、時には、上る際に上の世界の人を一人か二人か、引き摺り落とすかもしれない。

私だって引き摺り落とされるかもしれない。


だから、必死に生きるしかないんです。憐れみを持って他人を眺める必要なんてない。

恨みつらみを言ったり言わなかったりしながら、みんな元気に生きてるんだから。


気をつけないとコイツに取って代わられるな。

そんなふうに思いながら、挨拶を返す。


「おはよう」


憐れむ必要なんてない。むしろ、警戒してやろう。

そして、自分のパンが他人に取られないように必死で食いつくのみだ。


それが、礼儀である。


汪海妹

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