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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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美食について

とりとめのないことは2020年より魔法のIランドで毎日コツコツと書いてきた私の創作日記です。最近、小説家になろうでの作品の発表の仕方を見直し、月水金には小説家になろうの方にも活動報告に載せるという形でこのエッセイを公開するようになりました。

活動報告に載せる都合上、軽い口調のものを中心になりました。結果、困ったことが起きてしまいました。読んで面白くなくとも、執筆のために考えをまとめる場として活用していた日記を活用できなくなったのです。みんなに読んでもらえるかどうかわからなくても考えたほうがいいこととでもいうのか、少し硬い文章を書く場面が減ってしまい、自分の文筆バランスが崩れてしまいました。

そこで、一週間に一度を目安に少し硬い文章を書く癖をつけようとまとめたのがこの抜粋の文章達です。活動報告のような見る人が多いところにはおきたいものではなく、こちらに一つの本として出すことにしました。興味のある人だけ覗いていただけたら、私の心の庭の1番奥にある文章達です。


2021年10月31日 汪海妹












   美食について

   2021.10.17












 私の父は小学生の頃に父親を胃癌で亡くしている。だから私は祖父に会ったことがない。父親を亡くしてから裕福とは言えない環境で育った父は高卒で働き出した時、少しでも裕福になることを目標に仕事に勤しんだ。大成功と言わぬまでもその夢は叶い、私たちは少しずつ裕福になった。


 父はそのお金を使って家族を連れてたまにちょっとした贅沢をする。美味しいものを食べにいくのだ。最初はごくごくささやかだった贅沢が少しずつグレードを上げていく。時折父は私たちに向かって昔話をする。それは、やはり食べ物の話が多かった。初めて餃子を食べた時の話、ハンバーグ、カレー。身振り手振りを交え語る父の食べ物の話は面白かった。


 父は、食べるということをとても大切にしているのであった。


 初めて自分の稼いだお金でハンバーグを食べた話。あの当時はまだ家の中でハンバーグを作る家なんて珍しかったんだって。でも、そこにあったのは、ただ、珍しい味が美味しかったとかそういうことだけではなかった。高度経済成長の真っ只中で、どんどん珍しいものに手が届くようになる。もう貧しくはないという実感を父は食べ物から得ていた。


 時折そういう贅沢をする。目で見て美しく、忘れられないぐらいいい香りがして、記憶に染みつくような美味しいものを食べる。そういうものを食べられる自分になったんだって実感して、満足して、また明日から頑張る。父にはそういう美学があった。


 私も大概ファザコンで、その父の影響を受けて大きくなる。一般的に世間で重要とされるもの、金銭とか、それよりも消えてなくなるものに自分はより価値を見出したい人間になった。一流のものたち。贅沢な料理や絵、音楽。それを味わう。お金さえあればそれは味わう機会を得る。しかし、本当の意味でその価値を味わえるかどうかは別なのだ。


 一流のものをきちんと味わえるか。


 その時、金持ちも平民もある意味では公平なのかもしれない。

 一流の料理に対して自分はどのような態度で望むのか。こんだけ高かったのだから、上手いはずだとか、うまくなければならないと思って、それで、さすがだと分かりもしないのに言ってみたりする人だっているかもしれない。美食というのはただ美味しいものがそこにあるだけではなくて、それを味わう人間にもスポットライトが当たるものなのである。


 一流のものを味わうことができる、ここではそれはお金があるかどうかということではなくて、味わうことができる自分になるということ。


 美食の意味とはそこにあるのではないかと思う。健康でなければ、美味しいものも美味しいと思えない。いつも贅沢をしている体では、染み渡るように食事を味わうこともできない。


 季節を感じ、自分の体の調子を見ながら、自分に必要なものを必要なだけ食べる。そういう風に体を整える。さらには心を整える。そこまでして初めて、たまにする贅沢、その贅沢な味を十二分に味わうことができるのではないかと思うぐらい。生きながら季節を感じ、体の調子が良ければ香りを感じる。無駄に食事を取らず適度に体を動かし、また、頭も動かしていれば、お腹が空く。そういう時に初めて、研ぎ澄まされた感覚で味を感じることができると思う。


 本当に美味しいものというのは五感に訴えかける。そして、視覚と嗅覚と触覚と味覚、そこに刻まれる。何年経っても忘れられないほどの強烈な印象を刻みつける。食べてから何十年とたって、そして、似た味に出会った時に、どこかで食べたことがあると思って、そして、身体中の細胞がざわざわとしてしまうような経験をしたことがある。味が記憶を蘇らせる。その時に微かにその似た味を食べた時の感情までをも揺さぶる。


 子供の頃に家族で、幸せな気分で囲んだ食卓と、美味しいものの記憶。それは味とともに自分の奥深くに眠っている。その幸福感はとても深い。本当に美味しいものとは人を癒し蘇らせる力を持っているものだと思うのだ。


 なぜこの世に贅沢な食事があるのか。高級なチョコレートや宝石のようなケーキがあるのか。


 生きている、確かに自分は生きていて、そして生きる喜びを享受していると実感するためではないかと思う。

 そして、それはただ食べるだけでは手に入らないのだ。美味しいものを食べてそれを味わえる自分になるために、私たちは自分の背筋を伸ばさなければならない。無駄なものを削ぎ落とすからこそ、真の美を感じることができるのである。











   

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