悪人END
プロローグ
首筋に寒気が走る。
僕の終焉まであと一歩のところで、上からガラスの窓が割れる音がした。
顔を上げる気力さえ無かったのに、自然と顔が上がる。
最初に目に入った長い髪は、菫色になびいていた。黒いコートを羽織り、手にあったのは刀身が紅色の鎌。
その姿はまるで、御伽噺に出てくる死神のようだっった。
第一章
よく晴れた空の太陽は、今日という日を待ちわびていたかのように眩しかった。
その太陽を遮る大きな屋敷の廊下の隅で、肩よりも少し長い金髪を赤いリボンで結んだ少年が、書物を持って歩いている。
すると、後ろで可愛らしい少女の声が少年の名を呼んだ。
「ゼル!」
ゼルが後ろを振り向くと、高貴なドレスを身に纏った可憐な少女がこちらへ小走りで来る。
「ルーヤお嬢様⁉どうしてここにいるのですか?」
ゼルは驚くと、段々顔が曇っていく。
「…まさかお嬢様、勝手に一人で部屋から抜け出してきたりしませんよね…」
「今回はね、警備が厳しくて抜け出すの大変だったのよ!おかげで抜け出すのに20分もかかっちゃた」
“ルーヤお嬢様”と呼ばれた少女は、ゼルの言葉を遮るように得意げな表情をして言った。
対するゼルの表情は、今にも死にそうである。
「…明日が何の日か分かっいて、抜けだしたんですか?」
ルーヤは誇らしげに、胸を張った。
「もちろん‼明日は、私の16歳の誕生日に決まってるじゃない!」
「そうですよ‼しかも、16歳からは社交界の仲間入りで、誕生日とあらばデビュタントですよ!人生で一度きりの‼それに、ルーヤお嬢様はサリレット侯爵家の一人娘。どれだけ注目されていることか…」
ルーヤは、やけに熱血なゼルの言葉を聞かないふりをして、話題をすり替えた。
「それはそうと、ゼルは何でこんなところにいるの?部屋に戻ってくるのが遅いと思ったら、この本は侍女に返すように頼んだはずだけど…」
ゼルは視線を斜め下に移す。
「えっと…僕から侍女に返すと言ったんです。急ぎの仕事があるらしいので…」
沈黙が流れる。
「はぁ…ゼルは本当に嘘をつくのが下手ね。それとも、気づいてもらいたいの?急ぎの仕事なんて、どう考えても嘘じゃない。急ぎの仕事があるなら、こんな離れた図書館の本返しなんて頼まないもの。…その本は侍女に返させるから、もう戻っていいわよ」
「…いいえ」
ゼルは、笑顔を取り繕った顔をルーヤに向けた。
「図書館はすぐ近くですし、ちょうど本を借りようと思っていたので返してきます」
ルーヤは少し不機嫌つつも、すぐに気を取り直してゼルの隣のに並んだ。
「しょうがないわね、私も行くわ。このまま戻って誰かに見つかったら、言い訳のしようがないもの」
「そもそも怒られるのは僕なんですから、これからは抜け出さないでくださいよ!」
そうして話しているうちに、図書館に着いた。
図書館の扉を開くと、音が存在しない幻想的な世界に来たかと思うほど、とても美しい図書館が目の前にあった。
五十万冊は平気で超えそうな書物が棚にしまってあり、ゼルは(さすが侯爵家ですね…)と、内心つぶやいた。
ゼルはカウンターで本を返すと、ルーヤと借りる本を選び始めた。
「そういえば、ルーヤお嬢様が好きな本って、何ですか?」
何気なく聞いてみたが、ルーヤはやけに真剣だった。
「そうね…ゼルの目の前にある棚から、右側にあるわよ」
「なんで宝探し形式なんでしょう…」
ルーヤは何かを試すかのような笑みを浮かべた。
「もし見つけることができたなら、二度と部屋から抜け出したりしないわ。見つけられなかったら…これからも部屋から抜け出すわよ」
「それ脅しじゃないですか‼」
ゼルは声を潜めて言ったが、それでも静かすぎる図書館には少し響いてしまった。
「タイムリミットは二時間。それでは、よーいスタート!」
右側といっても、三十万冊はある。その中からたった一つの本を見つけなければならない。
(見つかる可能性は低くても、見つけないとこれからもルーヤお嬢様が部屋から抜け出してしまう。それにもしも、ルーヤお嬢様が部屋から抜け出したことがバレたり、万が一のことがあれば…僕がどれだけ罰せられることか…)
ゼルはそんなことを思いながら、ルーヤが読みそうな本を考えた。
(ルーヤお嬢様が個人的によく読む本といえば“セレニア令嬢と執事の紫のヒヤシンス”っていう、メリーバッドエンドの恋愛小説だけど…どこにあるんだろう?)
一時間半後…
「はぁ…はぁ…やっと…見つ、け…た」
ゼルは息を切らしながら、一冊の本を手に取る。
(この図書館、広すぎる!!本当に迷子になるところだった!あとは、ルーヤお嬢様に見せるだけ!!)
そして、ルーヤお嬢様のところに行こうとしたとき、先ほど取った本の棚に一冊だけ題名のない本が目に入った。
本のカバーは、たぶん本当は真っ白だが、墨のようなものでひどく汚れていた。とてもこの図書館の本だとは思えない。
ゼルは、この本を見つけたのが必然か、偶然か、分からないまま何かに導かれるような衝動に駆られて、この題名のない本も手に取った。
一時間五十八分後…
「ぎりぎりセーフね。それで、見つけれた?」
ゼルは息を整えてから、“セレニア令嬢と執事の紫のヒヤシンス”の本を渡した。
「この本であってますか?」
そのとき、一瞬だけルーヤの肩が震えた気がした。
(一番好きな本でありますように!!一番好きな本でありますように!!)
心で祈り続けるゼルの期待を裏切るように、ルーヤが口を開いた。
「残念でした~。この本じゃないわよ」
「えっ!?そ、そんなぁ…」
力のないゼルの声が、少しだけ響く。
「でも今回は、見つけれたことにしてあげる」
「!?どういうことですか?」
ルーヤは、ゼルが持っているもう一つの本を指した。
「ゼルが持ってるその本が、私が一番好きな本だからよ。本当に惜しかったわね」
「この題名のない汚れた本が!?」
ルーヤは驚いたように目を開いた。
「なに言ってるの?その本のどこが汚れてるのよ?それに題名だってちゃんとあるじゃない」
「えっ?ルーヤお嬢様こそ何言って…」
その本をよく見ると、題名は書かれており、カバーは真っ白でどこも汚れてはなかった。
「“罪と姫騎士の叶わない約束”…?」
(おかしいな、あの時は題名なんてなかったのに。それに墨みたいなもので汚れてた…疲れてるのかな?)
「その本ゼルにあげるわ。読んだら感想聞かせてね!」
そう言いながら、図書館の扉を開けて歩き始めた。ゼルもその後を続いた。
「一番好きな本なのに、なんで僕なんかにあげたんですか?」
太陽が雲に遮られ、光が差し込んでいた廊下が暗くなる。
「…ゼルに見てもらいたいからよ。それに…その本はゼルが持っていなければいけない本だから。あっ、結構長い時間図書館にいたから、早く部屋に戻らないとやばいかも」
「それなら急いでくださいよ!!」
ゼルはルーヤの言ったことが分からなかったが、急いで戻ったため聞きそびれてしまった。