私は今日もまた彼を絶望の淵に突き落とす
彼の瞳の中に色濃く滲み出る恐怖が、今にも堰を切って溢れそうな涙が、額に伝い輝く一筋の脂汗が、小刻みに震える身体が、私の心をどうしようもなく昂らせ、力強く揺れ動かし、仄暗い凶行へと駆り立てます。彼の口から零れ出る必死の懇願にも、決して耳を傾けたりしません。
くれぐれも誤解しないでいただきたいのですが、彼を憎悪し、忌み嫌って、傷つけようと企んでいるわけではないのです。むしろ彼以上に相応しい、最高のパートナーなんてこの世に存在しないと心の底から思っているのですから。たとえ生まれ変わっても、必ず彼と巡り合い、再び私達はこの悲劇的な喜劇を繰り返すと確信しています。
私たち二人は、気持ちの籠っていない形式ばった挨拶のような、社交界に蔓延するお世辞の応酬のような、表面的に交わされる薄っぺらい言葉よりも、もっと奥深い、光の届かないようなところで確かに互いを認め、信頼し、通じ合っているのです。彼が情けない臆病な仮面の裏側で本当に望んでいるものを、その狂気じみて止まることを知らぬ欲望を、私だけが理解し、受け止める器となりうるのです。
周囲の人間からすれば、彼の姿は待ち受ける地獄を、残酷な結末を恐れて、惨めに震えているように見えるのかもしれません。でもそれは冒涜的で馬鹿馬鹿しい勘違いなのです。彼の心を、体を、脳髄を震撼させ支配しているものは、これから襲いくる惨劇を想像することで湧き上がる、痺れるほどに甘い蜜のような極上の歓喜に他なりません。
彼は心の奥底で私の裏切りを、与えられる絶望を、際限ない苦痛を渇望しているのです。細く伸びた救いの糸が無慈悲にも断ち切られ、両手が虚しく空を掴み、奈落へと転げ堕ちるその瞬間、彼は人生でもっとも美しく、神々しく、光り輝いています。まるで人形師の束縛から解放され、自由を謳歌するマリオネットのように。
数秒後、彼は耐え難い苦しみから逃れようともがくのではなく、観客の視線を集め、心を鷲掴みにする悦びを全身で表現して軽やかに舞い踊るのです。彼が顔を醜く歪め、私の裏切りを罵倒する言の葉は、心からの感謝と労わりの気持ちを包んだ単なるオブラートに過ぎません。
二人の関係は決して加害者と被害者などではなく、彼こそがスポットライトを一身に集める舞台の主役であり、私はそれを引き立たせるただの脇役でしかありません。
私こそが、私だけが、彼の真の理解者なのです。
大丈夫……私はちゃんと分かっていますよ、竜ちゃん。
「押すなよっ!? 絶対に押すなよっ!?」
バッシャァアアアン!!