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08. やっと、あなたに

 夏至祭、前日。突然の来訪者に、エルヴィユ伯爵家へ緊張が走った。先触れも無しに、第二王子ジュリアンが現れたのだから、動揺するのは当然だろう。いきなり押し掛けて来るなど、迷惑行為に他ならない。だが、相手が王族では追い返せるはずもなかった。


「ジュリアン第二王子殿下におかれましては、当エルヴィユ伯爵家へ御来訪いただき、至極光栄に存じます」


 玄関ホールにズラリと並んだ使用人一同が、最大の敬意をもって出迎える。歓迎の挨拶を述べたのは、屋敷を預かる執事であった。伯爵と後妻のゲンティアナ、幼い嫡男の姿が見当たらない。


「伯爵は不在か」

「はい、殿下。奥様が、運悪くお怪我をなさいまして、ご実家で静養されることになりました。旦那様は、若君とご一緒に奥様へ付き添っておいでです」

「怪我?」

「奥様は、ご自分で美容効果のあるハーブティーを淹れる習慣がございました。一週間前になりますか、熱い湯を注いだポットを割ってしまわれたらしく、お体に火傷を……」


 事故のショックからか、ゲンティアナは怯えて手が付けられず、実家で静養したいと泣きながら願ったという。後妻に甘い伯爵は了承し、本人の希望に沿うかたちになったそうだ。


「ゲンティアナ夫人は、災難だったな。それで、リナリアは、いるのか……?」


 恐る恐るジュリアンは尋ねた。執事の顔が青ざめる。


「リナリア様は、ご在宅です。殿下のお出迎えをして下さるようお願い致しましたら、ご自分のお部屋でお待ちになると申されまして……。あの、殿下をお連れするよう命じられているのですが、本当に宜しいのでしょうか」


 主人の娘から、王子を自分の部屋まで連れてこいと言われた執事は、不敬に感じたのだろう。厳しい叱責を予想して、戦々恐々としている。しかし、ジュリアンは精気を欠いた表情で、弱々しく微笑んだ。


「かまわない。内密の話があるのだ。案内を終えたら、人払いを頼む」

「かしこまりました」


 安堵した執事の誘導に従い、ジュリアンはリナリアの部屋へ向かった。




 案内されたリナリアの部屋は、不安定な、落ち着かない雰囲気を持っていた。カーペットや調度品のほとんどは、驚くほど粗末である。けれど、所々に上質で、少女向けの華やかな品が混じっているのだ。年頃の伯爵令嬢らしい家具や装飾品に、ジュリアンは微かな既視感を覚えていた。


「美しいものの、ほとんどが、殿下からの贈り物ですよ」


 ちぐはぐな部屋に、ポツンとたたずんでいた少女が呟く。


「ごきげんよう、ジュリアン殿下。ご訪問をお待ちしておりました」

「リナリア……」


 微笑みを浮かべたリナリアが、スカートの裾を摘まんで、挨拶してきた。サファイアの髪飾りと、普段使いの上品なドレスを身に付けている。どちらも、ジュリアンからの贈り物だ。

 彼女の胸元を彩る、見事な真珠のネックレスが、清楚な輝きを放っていた。


「わたくし、殿下のお陰で、分かったことがございます。我慢して耐えているだけでは、ひとに奪われるばかりで、欲しいものは何ひとつ手に入らないって」


 真珠を揺らして、ふふっと微笑むリナリア。執事が立ち去ると、室内には、二人だけが残された。


 エルヴィユ家へたどり着くまでに、なけなしの気力を使い果たしたジュリアンは、フラフラと彼女へ歩み寄る。


「赦してくれ……俺が悪かった……ゆるしてくれ、リナリア……」


 まだあどけない婚約者の前で、膝をつく。うずくまり、両手で顔を覆ったジュリアンは、そのまま静かにすすり泣いた。酷くなるばかりの状況に、心底打ちのめされて限界を迎えていたのだ。

 自信家の彼らしからぬ姿を、目の当たりにしたリナリアは、ゆったりと小首を傾げてみせた。


「わたくしに謝るなんて、殿下らしくありませんわ。いつものように、堂々としていらっしゃれば宜しいのに」

「そんなこと、出来るわけがない。明日になれば、俺は……」

「お可哀想なジュリアン殿下。自尊心の高い殿下が、皆の前で醜態を晒すなど、どれほど耐え難い恥辱でしょうか。御身のご心情を(おもんぱか)ると、このリナリアは、胸が潰れそうなほど悲しくてなりませんわ」

「あ……あ……」


 リナリアの言葉で、最悪な未来を改めて思い出したジュリアンは、激しく取り乱した。


「いっ、嫌だっ……嫌だぁ! 死んだほうがマシだぁ! なのに、死ねないんだっ……! 助けてくれ、リナリア……頼むから、俺を殺してくれ……」


 溺れた人間がするように、リナリアの細い腰へすがり付く。ジュリアンは形振りかまわず懇願した。リナリアは、そんな彼を微笑みを浮かべて見下ろしている。


「殿下から抱擁していただくのは、二度目ですわね。最初は確か、剣で胸を貫かれた夜だったかしら?」

「やはり、俺を恨んでいるんだな」

「……それが、自分でもわかりません」


 リナリアは笑みを消した。真剣な目でジュリアンを見つめている。


「いくつか、うかがっても宜しいですか?」


 頷いたジュリアンへ、リナリアが語りかけた。


「邪魔な婚約者を排除したくなったのは、時期から考えて、隣国の王女様が原因でしょうね」

「そう、だ。俺は、あの女が欲しかった……隣国の、王族の女が……」

「婚約を白紙に戻せないから、わたくしを暗殺して、王女様へ縁談を打診しようと考えた、と。ここまでは、当たっておりますか?」

「そうだっ。運命に操られたせいじゃない、俺は、自分の野心を満たすために、お前を殺めたっ」

「正直な殿下。運命に見放された、憐れな殿下。ここまでは、わたくしにも予想がつきました。ですが、ひとつだけ、どうしても分からないことがございます」


 わずかな戸惑いを滲ませて、リナリアが尋ねてくる。


「殺めるより容易い方法が、あったはずでしょう。婚約を白紙に戻す、もっと、その……おぞましい、方法が。何故です? 何故、そうなさらなかったのですか?」


 フルール王国は、王族であろうと一夫一婦制だ。貴族たちより王族のほうが、厳格に血統保持へ注意を払う。たとえ妾に子供を産ませても、庶子とさえ認められない。

 また、王族の妻になる女性には、婚儀まで、純潔が求められる。婚姻の前に医師によって確認を受けねばならぬほど、重要な条件であった。


 刺客ではなく暴漢を雇い、リナリアの無垢を汚してしまえば、あっさり婚約を解消できた。それを、何故やらなかったのかと、リナリアは疑問に思っているのだ。


「おっ、俺には、死ぬより苦痛なことがある。幽閉だ……。嘆きの塔への幽閉だけは……それだけは、死んでも御免だ……」


 考えるだけで恐怖が込み上げ、ジュリアンは身震いした。歯の根が噛み合わぬほど、怖くてたまらない。


「お前は、幼い頃から、他人が苦手だったろ……。特に、威圧感のある男には、近付かれるのも嫌がっていたな……」

「はい」

「お前にとって、見知らぬ輩に無垢を汚されるのは……、俺が嘆きの塔に押し込められて、出られないことと……同じに思えた。だから……」

「だから、わたくしを六度も殺めたとおっしゃるの? 手篭めにされずに済んで、感謝するとでも思われましたか!? 馬鹿にしないで!」

「ちが……」


 カッとしたリナリアが、拳を振り上げた。ジュリアンは彼女の腰にしがみついて、謝り続けた。


「あなたを信じていたのに!」

「……リナリア、すまない」


 なじりながら、広い背中へ拳を打ちつける。悲しみを、怒りを、やるせなさを、詫びるばかりの婚約者へ、少女はぶつけた。


「良い妻になろうと、思っていたのよ!」

「ゆるしてくれ……すまない……」


「まさか、わたくしを殺しに来るなんてっ!」

「すまなかった……酷いことをした……」


「一回では飽きたらず、六回もっ! 六回よ、六回も死んだのよっ!!」

「俺が馬鹿だった……すまなかった……」


 大した力ではなかったが、幾度も幾度も、リナリアはジュリアンをなじり、背中を殴りつけた。そして、何度目かで、振り上げた拳が空で止まった。


「すまない……すまない、リナリア……」

「なんと、身勝手で、愚かで、最低な人なのっ……! わっ、わたくしはっ……わたくしは、あなたなんかっ……、……うぅっ!」


 拳はほどけ、殴打が止んだ。リナリアは眉を引き絞り、かたく目を閉じている。こみあげる激情で、痩身がぶるぶる震えていた。溢れだした涙が、彼女の白い頬を濡らしていく。


 二人分の嗚咽が、室内に響いていた。やがて、リナリアは身を屈めると、ジュリアンの頭を胸に抱き締めた。


「わたくしが、殿下を助けて差し上げます」


 揺るぎない意志を含んだ声だった。


「夏至祭の宴で起きる騒動は、避けようがありません。けれど、その後の未来は、まだ定まっておりませんわ。公の場で殿下から拒絶され、被害者となるわたくしの言葉なら、陛下も同情して、耳を傾けて下さるかもしれません」

「お前の、言葉……?」


 ジュリアンが晒す醜態は、運命の強制力に操られただけだと、神子として証言してくれるのだろうか?


 いや、繰り返し殺めた男を赦せるはずがないと、すぐに考えを改めた。さっき、あれだけ怒らせてしまったのだ。虫のいい期待はしないほうがいいだろう。

 せめてもの情けで、ジュリアンが毒杯を賜れるよう、進言してくれるのかもしれない。


 リナリアは、乱れてしまったジュリアンの髪を、白い指で優しくすいた。


「殿下はただ、わたくしを愛すると誓って下さればいいわ。そして、わたくしへも、愛を乞うて下さい。わたくしだけを愛していると、他の女はどうでもいいと、その美しい唇でおっしゃって。愛し愛される御方の望みなら、必ず叶えてみせましょう。たとえ、どんな手段を使っても」

「リナリア……俺は……」

「お願いです、殿下。わたくしを愛していると、おっしゃって。一言だけでいいの。たとえ、偽りでも構いませんから……!」


 爛々と輝く、リナリアの瞳。愛憎と執着と渇望が、業火のように燃えている。

 追い詰められたジュリアンの精神はボロボロで、満足に思考できる状態ではなかった。神経が磨り潰され、疲れ切っており、判断能力が欠如していた。

 彼の答えは、ひとつしか残されていなかった。幽閉になる前に、殺してくれるというのなら、どんな要求にでも応えただろう。惨めに、無様に、ジュリアンは切望する。


「お前を……お前だけを、愛している。だから、俺を愛してくれ。幽閉にならぬよう、救って欲しい。頼む……お願いだ」

「はい、ジュリアン殿下」


 歓喜に顔を輝かせたリナリアが、親鳥のようにジュリアンを再び抱き締める。


「やっと、あなたに、愛していると言っていただけた。絶対に、死なせは致しません」

「なんだと」


 ジュリアンは婚約者の決意に、呆然とした。


「リナリア、お前……俺を殺してくれるんじゃないのか……?」

「まさか。殺めるなんて、お断りです。殿下を愛していますから、一緒に生きようと思います」


 リナリアはきっぱり拒んだ。そういえば昔から、ジュリアンにだけは、正直に心情を話していた気がする。遠慮するし、大人しいが、気長に質問してやれば、普通にハキハキ話す娘だった。

 こんなに差し迫った状況でも、嫌なものは嫌だと言うらしい。


「……あなたは、理想の王子様なんかじゃありませんでした。身勝手で愚かで、謝罪も、愛の言葉も口先だけの、わたくしを六度も殺めた弱い人だわ。だけど、幻想が消えても、わたくしが好きになったあなたは、失くならなかった」

「何を言ってる?」

「役立たずのわたくしを、見返りもなく気遣って下さったのは、殿下だけでした。あなたを愛しているんです。失うなんて、耐えられません。それこそ、死んだほうがましなんです」


 焦がれ続けたジュリアンの豪奢な金髪に、リナリアは頬をよせている。唯一、ジュリアンを殺してくれそうな人間は、殺意の代わりに、本気の愛情を返してきた。どうあっても、彼を生かそうと奮起している。


「わたくしが、必ずお守りしますから、幸せな家庭を築きましょうね」


 無茶を言うなと、絶句したジュリアンは泣き濡れた。


 夏至祭の宴まで、残り一日をきっている。運命の日が、目前まで迫っていた。

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