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07. くだらないこと

 王太后が存命だった頃、ジュリアンは何度も嘆きの塔へ閉じ込められた。お仕置きのためではない。今とは違って、ジュリアンは無害なただの少年だった。


 表向きは、孫と交流したがる王太后に招かれて、離宮で数泊したことになっている。実際は、嘆きの塔の暗闇で、泣きながら震えていたのだ。


 祖母は、父親似の兄を溺愛した。そして、母親に似たジュリアンを、内心ひどく嫌っていた。


 フルール王国は、祖母と母、どちらの祖国とも良好な関係を築いている。一方、祖母の故郷と母の故郷は、領土争いが続いている険悪な関係だ。祖母は、母を憎んでいたが、王太后として本心を隠し、こらえてきた。

 いびられたことは一度もないと、母から聞いている。けれど、自分の血を引く孫が、憎い女と似た顔をしていたとき、封じ込めてきた憎悪のたがが外れたのだ。


 公明正大で偉大な王太后。善き母、善き姑、善き祖母。みんな彼女を褒め称えた。あの女の本性を垣間見たのは、おそらくジュリアンだけだろう。


『いいこと、ジュリアン。お前を愛しているから、教えてやっているのよ! お前が道を踏み外さぬよう、わたくしの愛で導いてあげているの!』


 覗き窓から血走った目をギョロつかせ、決まって祖母は、愛という言葉を繰り返した。あの非道な行為を、正当化するための方便だ。

 ただの詭弁にすぎなかったが、幼かったジュリアンに、愛への忌避感が刷り込まれた。


 成長して知恵をつけると、ジュリアンは祖母の誘いをはねつけた。まともに相手をするのは御免だと、頑なに拒否し続けて、被害を防いだ。

 王太后が恐ろしくて、誰にも真実を打ち明けることはできなかった。それでも、仮病を使い、口実をつけて、なんとか距離を保ち続けた。


 もう二度と、痛めつけられたりしない。そう安心していた頃だった。リナリアとの婚約話が持ち上がったのは。


『王族の姫君を娶れるとは思わないことね。お前ごときに、高貴な女は相応しくないわ!』


 卑しいジュリアンには、下賎な女をあてがってやると、罵倒されてから、数年後のことである。あまりの執拗さ、執念深さに怖気が走った。


 伯爵令嬢との縁談に反発しても、無駄だった。王太后として、有力貴族たちを掌握していた祖母の意向を、覆すことはできなかった。


 燻り続けた祖母への怒り。罪の無いリナリアを殺めることになったとしても、抑え難いほど膨れ上がった野心。王族の女を妻にしたいという激しい欲求。王位でも、権力でもなく、隣国の王女を渇望していた。


「俺の野心の発端は、これか。なんと、くだらない……」


 王太后の死後、部下を塔へ向かわせて、窓の漆喰を剥がして貰った。あの時、自分でここに来る勇気があれば、あるいは、嫌な記憶に蓋をしていなければ、もっと早く気付けただろうか。


 こんな状況になる前に、王太后の戯言が野心の発端だと、向き合えていたら良かった。そうしたら、リナリアへ無用な苦しみを与えずに済んだかもしれない。


 無力な子供を捕まえて、苦しみを与える人間を、軽蔑していたはずだった。そんな自分が、くだらない野心にとりつかれ、リナリアに惨い仕打ちを繰り返したのだ。これほど、愚かなことがあるだろうか。


「償いが必要なら、死んだってかまわない。だが、ここは嫌だ。ここに閉じ込められるのだけは、嫌だ。俺には、どうしても耐えられない」


 運命の檻の内側で、ジュリアンは未だに、嘆きの塔へ囚われている。問題を認識できても、今、立っている場所への恐怖が和らぎはしない。


 大人になり、嘆きの塔への耐性がついているかと期待したが、全く変わっていなかった。幽閉されたら、確実に正気を失うだろう。


 懐からイラの根を取り出した。震える手で、口元へ運ぶ。これまでの出来事が、祖母がかけた悪い魔法か、呪いの類いであって欲しいと、ジュリアンは祈る。

 どうか、自分にかけられた呪詛を消し去って、二度と目が覚めませんように、と。


 ジュリアンは、口に含んだイラの根を、ゆっくりと噛み締めた。


「う……ぐぅっ……!」


 咳き込んだ彼は、血を吐いた。予想していたより、ずっと早く苦痛が消える。薬効なのか、すぐに感覚が鈍くなり、体が麻痺し始めた。

 立っていられなくなり、その場に昏倒すると、ジュリアンは息を引き取った。


 絶望の果てに、たどり着いた死という選択。しかし、ジュリアンの亡骸は、リナリアの遺体と同じように、忽然と消え去った。


「うあ、ああぁぁ!」


 翌朝、健康な姿で目を覚ましたジュリアンは、絶叫した。何の手立ても見つからないまま、自死さえ許されず、完全に心が折れてしまった。


 ――――きっと殿下は、わたくしが必要になる。


 弱ったジュリアンの頭に浮かんだのは、城の庭園でリナリアが残した言葉だけだった。

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