漆黒の修道女は記憶喪失の少年に名前を尋ねる
「アズちゃん大丈夫なのっ!? 昨晩襲われたって聞きましたけどっ」
「ちょっと落ち着いて……なんで知っているんですか」
アズはげんなりした表情を浮かべ、抱きついてきた修道服の少女を引き剥がす。
襲われた、という単語に周りから奇異の視線が飛んでくる。
このままではマズいと思った2人は少女を連れ、早足でその場から離れた。
3人でストリートを歩きながら、アズは少女に少年を掻い摘んで紹介していく。
襲われていたアズを彼が助けてくれたこと。
一文無しで宿無しの彼を泊めていること。
そしてデュエルに興味を持っていること。
そんなことを話しているうちに目的地に辿り着いた。
移動した先は街の一角にある、尖った鉛筆のようなとんがり屋根が特徴的な建物。
正面にある扉を開け、中に入ると3人を出迎えたのは白い壁。
正面上にはステンドグラスが飾られた窓がひとつ。
3人から見て、長椅子が何台か背中を見せて偶数単位で綺麗に並んでいた。
どうやらこの建物は教会らしい。しかし十字架のようなシンボルは無い。
燭台に火が灯っていない教会の中は、一筋の陽の光が差し込んでいる。
中を進んで案内されたのは四畳ほどの小さな一室。
簡素な作りながら木の温かさが感じられる。
端には棚や箱があり、本が何冊も収納されていた。
2人は部屋の中にある丸いテーブルを囲う丸椅子に座る。
少し経ったあと、先ほどと同じ格好の少女が取っ手付きのトレイを持って現れた。
トレイの上にはコーヒーを淹れたカップが3つ、ソーサーの上に置かれている。
やがてコーヒー特有の深みのある香りが広がっていく。
「先ほどは申し訳ありませんでした。良ければコーヒーをお飲みになってください」
「どうも……」
修道服の少女はトレイを机の上に置いた。
そしてコーヒーが入ったカップをソーサーと一緒に少年の前にそっと置く。
彼女はアズにもコーヒーを渡し、丸椅子にゆっくり座ってコーヒーをすすった。
コーヒーは熱くて白い湯気を出している。
元の世界と大差ない取っ手のついた綺麗な白いカップ。
元の世界の陶器とさほど遜色ない触り心地だった。
「わたしはミセリ。この教会のシスターで、アズちゃんのお友達です」
「ミーゼはこう見えて、私よりも5つも年上なんです」
「へぇ……」
ミセリと名乗った童顔の女性は軽く頭を下げる。
アズからミーゼという愛称で呼ばれているらしい。
大きく黒いブチ眼鏡に眉毛はやや太め。
学生服の姿であれば勤勉少女のイメージを浮かびやすい。
前髪は見えないが、よく見ると耳の近くから栗色の髪の毛がちらりと見える。
ウィンプルと呼ばれる白い頭巾は身に着けていない。
しかしベールと呼ばれる黒い被りものは着けている。
彼女が着ている修道服の印象は漆黒そのもの。
そんな黒い修道服とは裏腹に、彼女の肌はアズよりもずっと白かった。
まるで血の気が無いと言われてもおかしくないほどに……。
「ところで……」
「はい?」
軽い自己紹介を終えたミセリ――ミーゼが少年を見る。
彼女は最初、アズを助けた人として少年を凄い人のように見ていた。
けれど今は少しだけ困惑の色が見える。
一体何を困惑しているんだろう……少年が疑問符を浮かべた時、
「……貴方のことを、なんとお呼びしたら良いでしょうか?」
「あー……」
と、疑問符の答えが苦笑いと共に返ってきた。
『記憶喪失』の設定だけでは乗り越えられない部分がある。名前もそのひとつだ。
少年にはもちろん姓名がある。
けれどこの世界は、恐らく彼を知っている者は誰もいないだろう。
ならば好きな名前を名乗ることだって、今は容易くできる。
問題はそんな『名前』が脳裏に瞬時に浮かばない。
困った彼は、ふと自分が手に持っているコーヒーカップに目を向ける。
コーヒーカップをぼんやりと見ているうちに、自然と視線が右腕へ流れていく。
視線の終着点には右腕を覆うもの。即ち、黒いパーカーが見える。
黒いパーカー――それは彼にとって大切なアイテムのひとつだ。
少年は黒い色が好きだった。
カードショップに行けば黒い服を着た仲間が沢山いたのが理由のひとつ。
冬の時期は特に黒いアウターを着た仲間が多かった。
同じ色の服を着た仲間を見ると、不思議な一体感を抱けた。
黒が好きなのはそれだけではないが、自分の服を見て思い出すのはそんな光景。
元の世界を懐かしみつつ、彼が出した答えは――、
「……クロ」
「え?」
「オレの名前。名前が無いと不便だし……とりあえずクロって名乗ることにする」