生還
とうとうリーデルたちはアリの巣まで追い込まれてしまった。アリが作ったであろう天幕がいくつか設置してある。ある程度高さと広さがないと雨のときに水が地面からしみこんで乾いた地面を維持できないため、人も入れるだろう。陸軍アリの巣は地面に穴を掘って作られたものではなく、洞窟をそのまま使ったり、獲物の皮で簡易なテントを作ったりと長い時間をかけて巣を拡大するようなことはない。膨大な数が共に行動する陸軍アリは当然豊富な食物が必要になる。1カ所に定住して食料の調達効率が悪化すれば群れの壊滅につながる。巣が簡単な作りなのはすぐにまた場所を移るからだ。めったにないが、外敵に襲われた場合はさっさと逃げる。
しかし通り過ぎた土地には哀れな骨の残骸だけが残る、というわけではない。アリの大量の糞が肥料となって植物は大きく成長する。陸軍アリはこの森の生態系を維持するのに不可欠だ。
話が逸れたがリーデルたちはアリに包囲されてしまっている。魔法を使って迎撃しているものの、オオシタの足はすでに血まみれになっている。尻尾もない。いずれはアリの大群に飲み込まれるだろう。
「もう魔力が尽きそうです!何か作戦があるんですよね!?」
「ある!あそこだ、真ん中の大きい天幕に突っ込んでくれ!」
そう言いつつもリーデルは焦っていた。大精霊の目で周囲を探しても女王アリが見つからないのだ。他の天幕では中にアリがおらず、大きい天幕にだけすし詰めになっている。おそらくここにいるとは思うが、命がかかっているとなると恐怖心が消えない。リーデルは女王アリが遠くへ逃げていないことを願うしかなかった。唇が震えて上手く話せない。
女王アリがいるという確信が持てないまま、一番大きな天幕へ飛び込んだ。同時に中にいたアリの群れがリーデルたちに襲いかかり、リーデルたちは飲み込まれてしまった。
「<命令する>女王アリ、アリを停止させろ!」
リーデルが叫び終わると同時にアリの動きが停止する。無事女王アリに命令が届いたらしい。それでも震えはまだ止まらない。
「きゃああああああ!」
「落ち着け。襲ってこないだろ?」
「あれ、本当ですね。でも重いです・・・・。うっ、口に入りました。酸っぱい!」
アリの中に埋もれているので姿は見えないが無事そうだ。
『生き残った喜びを抱き合って共有する展開にはできないか。ちょっと期待してたんだけどなー。』
一匹一匹は軽いアリだが埋もれるくらい集まると身動きがとれない。オオシタはテリアが落とした赤い実を美味しそうに咀嚼している。
「<命令する>女王アリ、今後俺に服従しろ。」
「<了解。>」
アリの群れが横に分かれ、道ができた。リーデルの周りからもアリが離れ、天幕の隙間から一匹のアリが現れ、リーデルの足下まで来た。他のアリよりも腹部が大きい。女王アリだ。頭の中に直接送られてきているような感覚だ。これを使って発声器官のないアリ同士のコミュニケーションをしているのだろう。問題なのはこのアリが天幕の外から来たことだ。たまたま声が届いたから良かったものの、リーデルの背に冷や汗が流れる。
『なにはともあれ、これからは陸軍アリが味方になるな。』
女王アリに命令することでアリの軍勢を操ることができる。そうなれば大きな戦力を手に入れたことになる。小さい国の軍隊と同等の戦力はあるかもしれない。
『・・・・・そういうと思っていましたが、それはむりですよ。』
『どうしてだ!?生態系に対する危惧とかか?』
確かに陸軍アリをリーデルが好き勝手に使役しようものならば、生物のバランスが崩れるだろう。
『いえ、貴方に貸した能力はそれほど森に影響を与えません。』
『・・・・ほお、つまり大した能力をもらっていないと。呼び出しておいて。へえ。』
リーデルがふて腐れると、精霊は慌てた。
『いえ違うんですよ。だって人間ってやばい人、本当にやばいじゃないですか。恐くて下手な能力渡せませんよ。』
『うーん、まあ、仕方ないか。仕方ないか?』
『そんなことより早くこの巣から離れないと大変ですよ。』
『話そらしやがったな。』
『いえ本当に。いいですか?例えば離れろという命令であれば離れれば命令は終わります。しかしですね服従しろという命令は服従している間ずっと命令が持続しますよね。つまり魔力を使い続けます。わたしと違って貴方は魔力無尽蔵ではありませんからそのうち魔力枯渇しますよ。』
『恐っ!そういうことは早く言ってくれよ。報連相って大切だぞ。』
今命令が解かれると陸軍アリは再びリーデルたちを襲うだろう。リーデルはアリに埋もれているテリアを引っ張り出した。近くでオオシタが動かない陸軍アリを大きな舌で貪っている。こころなしか舌を口に引っ込めるたびに顔にしわが寄って入るように見える。酸っぱいのだろう。食いちぎられていた尻尾はすでに生え替わり、傷も治りきっている。生命力にもだが、最も驚くべきは精神的な図太さだろう。他の生物なら今のうちに逃げ出しているはずだ。それとも襲われていたことを忘れているのか。
オオシタの安否は不明だが、とにかくリーデルはテリアを背負って村へ帰った。村ではリーデルたちがいなくなったことで大騒ぎになっており、村に着くと二人とも母親に抱きしめられた。リーデルが少し恥ずかしくなってグレゴールの方を見ると両頬は赤く腫れ上がっていた。テリアに赤い実を渡したカニスも。それぞれこの二人の母に叩かれたのだろう。
「浮遊飛行を使いながら他の魔法を使うのもなれてきましたね。」
カニスがリーデルを褒めるとリーデルは頭をかきながら的の周囲を見る。地面のえぐれている所が数カ所、草が消失したところが数カ所、水たまりもできてしまっている。空中に3m浮かぶリーデルの真下から約50m先に木でできた直径30cmほどの的があり的の近くには黒く焦げた的の残骸や、真っ二つに切られた的が積まれている。
7年間鍛錬したことでリーデルは使える魔法が大きく増えた。精霊の魔力の一部を保有しているので魔法の鍛錬を並の人間より長時間休まずに行えた結果だろう。今なら陸軍アリからも逃げ切れるだろう。
「まだ時々外しますけどね。狙い定めるのも一瞬ってわけじゃないし。」
「それでも大したもんだろう!俺が浮遊飛行を使うとくるくる回っちまうんだぜ。高さも安定しねえから緊急回避くらいにしか使えねえ。」
文字通り相棒の黒い鋼鉄の棒、鍛錬棒72号を素振りをしながら見ていたバアトルが声をかける。
「魔法の器用さは性格に左右される部分が大きいですからね。」
カニスが苦笑しながら答える。オークという種族の魔法が粗いというより、エルフや人間が器用といった方が正確だろう。人間のように個人差が大きい種族も存在するので一概には言えないが、エルフの言う”話の通じる者”の中で魔法の操作に長けているのは肉体的に他の種族に劣る者が多い。
「もうその辺はあきらめた。」
「すごいですリーデルさん!わたしも負けていられませんね。」
「テリアだって魔方陣系の魔法は俺よりよっぽど上手いじゃんか。俺の魔方陣見ただろ?描いてる最中に暴発するんだぞ?毎回毎回ずぶ濡れになったり、髪燃えたりさあ、成功する気がしない。」
「全部で負けたらわたしの立つ瀬がありませんよ。」
魔法にはいくつか分類があり、比較的単純な詠唱系は練習回数の多いリーデルがリードしているが、魔方陣系は描く図の正確さや込める魔力の微妙なバランスが複雑でリーデルには難しすぎた。精霊の魔力は魔方陣系に向いていないのではないかと疑ってしまう。他にも呪術系、儀式系等があるがリスクが大きいのでリーデルとテリアは教えてもらっていない。
「我としては色々な属性が使えるのは羨ましいな。」
魔族の少年ウルカが飛んできた。魔族は無属性の魔法と一種類の属性しか使えない。そしてその属性は傑出しているので一長一短だろう。
「俺としては口から光線が撃てるのも魅力的だぞ。おもしろくて。」
「はっはっは!そうだろう。我はいずれ魔王になるのだからな。そのときには四天王にしてやろう。」
ウルカは現魔王の支配に抵抗した一族の末裔で、いつか魔界へ帰って一族復興するという夢がある。
「俺は人間だぞ。」
「種族が異なろうと優秀な者は登用すべきだ。違うか?」
「それ俺が教えたんだが・・・・。まあ考えといてやるよ。」
森の平和の維持にはウルカが魔王になってくれた方が都合が良い。リーデルはそんなことを考えるが、楽観的すぎるだろうと、首を振る。
「リーデル、お昼ご飯ができましたよ。」
「母さん、親父は?」
「そろそろ帰ってくると思うわよ。ララが久しぶりに帰って来るのですから今頃森の中を走っていますよ。」
そう言って母、リーゼはエプロンを結び直して、戻っていった。
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