1.俺は早く大人になりたい
―眩しい。
光を浴びた彼はせっかく開けた目をすぐに閉じてしまった。一瞬目に映ったのは緑色の見慣れない天井。その隙間から洩れた光は寝起きには突き刺さった。
『どうした天井。仕事しろ。』
彼は寝ぼけながら天井に悪態を考え、そのまま眠る。カーテンのような木漏れ日の中、彼、赤ん坊は気持ち良さそうに寝息をたてる。
彼が次に起きたのは一時間ほど経ってからだった。どういうわけか木の下から家屋の中へ移動していた。
『あれ?俺の家じゃない……。夢か?とにかく起きて周りを確認した方が良さそうだな。よっと。……それっ。……どっこいしょっ!………。』
赤ん坊は体を起こそうと色々試してみるが全く動けない。周りを見る限りベットの上で寝転んでいるようだ。大人用のサイズだと思うが周りには柵があり、転がり落ちることはない。そんなことより問題なことが。
『……起きられない。それどころか掛け声も発音できてない。しかも体が縮んでいる気がする。』
小さい手で自分の顔を触ってみる。まず、輪郭を確かめる。やはり小さい。目も、鼻も、耳も小さくなっている。ここでやっと彼は初めて自分の状態を理解したようだ。
『俺、赤ちゃんに戻ったのか?いやいやいや、それはない。それはないだろー?時間が巻き戻るわけないしさー、体が縮むなんてことはあり得ないよな。なら、あれだな。ほら、映画でありそうな。俺の記憶は脳みそいじくって作られた偽物で、俺はこの記憶の中の高明をオリジナルとして作られたクローンということだな。……よけいに絶望的じゃないか!待て、ポジティブシンキングだ。小さくなった原因を考えても暗くなるだけ。そう、小学生をもう一回やれる。どさくさに紛れて女教師に抱きつこう。あと数年は抱きつき放題か!我ながら素晴らしい考えだ。あと、もっと人と関わって生きようかな。特に女子と。オリジナルの俺は協調性が無さすぎるからなー。オリジナルの分までがんばろ。あ、なんか楽しくなってきた。』
高明が今後の人生の抱負を考えていると、横から誰かの声が聴こえた。
『勝手に納得しないでください。』
ごそごそと、そちらを振り向くといつから居たのか、エメラルド色の長い髪が美しい少女が立っていた。歳は14か15くらいだろうか。
『あのテレパシー使ってます?誰だこいつ。歳は、セーフかな?ゴホン、なんでもないです。もしかしてさっきから俺の考えていることだだ洩れですか?プライバシーもくそもないな。あ、今のなしで。いや、それよりどちらさまですか?』
高明は表情筋がもっと発達していればひきつった顔になっていたであろう。先程の妄想もあまり女の子に聞いて欲しくない。その上、こちらの考えていることが筒抜けというのは。
『わたしは森の精霊です。そうですね貴方の世界のテレパシーと似ています。思考を共有している状態になっています。ちなみにわたしは貴方の知識や記憶も覗けますよ。』
『へー、初めて見ました森ガール。』
『仮装ではありません。本物ですよ。自分だってクローンとか訳のわからないこと考えていたじゃないですか。まず話だけでも聞いてください。』
精霊の話によると、ここはアウフラウフ大森林。人間は正確な地形を把握していないそうだが、国くらいの広さらしい人間の周辺国家からは亜人の土地、魔獣の巣窟と呼ばれ、恐れられている。これは魔族の住む魔界と人間の住む人間界の境目になっているためらしい。
周辺国はこの森を忌避し、まともな人間はこの森のなかに入らない。爪先が入っただけで寿命が10年減るという噂も流れているらしい。
しかし精霊としては人間の立ち入りを禁止していたわけでもなく、人間界から逃げてきた者でも森を壊すことが無い者は受け入れてきた。もっともこの森で生き残れる者は少ないのだろうが魔族や亜人と人間が混在する村もあるらしい。この村に住んでいるの人間は訳ありの王族貴族出身者や物好きな冒険者、逃げてきた奴隷、犯罪者も少々、その他変人奇人。高明はこの村に拾われたらしい。
この森の他に亜人と人間の組み合わせはあっても亜人、魔族、人間の三者が共存している村は無いらしい。多民族の村が成立しているのは誰もがこの森で生き残れるだけの強さだったからという理由と、強いとはいえこの森では協力しないと長生きできないからだと言う。
『そうだよな。そんな映画みたいなことないか。まあ、それは置いといて、俺はそんな森で寝てたのか……。』
いまさらながら、冷や汗をかく。
『もちろん近くでお守りしていましたよ?呼んだ手前無駄死にはさせられませんから。』
高明を安心させようとしたのか精霊が微笑む。しかし、無駄死にはということは有意義なら死んでもいいという意味ではないかと警戒が強くなる。
『え、呼んだって言った?何してくれてるの?ゴホッンンッ。それはご親切にありがとうございます。で、詳しく説明お願いします。』
高明は声をあらげて叫びたい衝動を抑え、機嫌を損ねないように可能な限り丁寧な口調で尋ねた。
『わかりました。単刀直入に申し上げます。この森を守って欲しいのです。貴方をここへ、貴方にとって異世界へお呼びしたのはそのためです。』
『すみません。話を聞いた限り、この森は俺が守れるほど弱くなさそうです。誠に残念ですが今回はご縁がなかったということで。・・・』
並の人間が立ち入ることができない森ですら脅威と感じるものが何かは知らないが、高明にはどうにかできることと思えない。
『待ってください!貴方を選んだのは貴方の世界のわたしの友に紹介してもらったからです。』
『友?』
『はい。貴方が時々掃除していた山の中の祠の神です。』
『あー、あの。いや、神様にはあったこと無いけど。』
高明が小学生のとき友人たちと遊び場にしていた山の中に小さな石でできた祠があった。祠を掃除していたというのは自分達の遊び場の景観や安全のために捨てられていたゴミを拾っていたことだろう。褒められるとすれば高明がその習慣を高校生になってからも1人で続けていたことだ。それも祠のためではなく気持ちよく散歩するために他ならないのだが。
『神様って本当に居たのか。それにしても余計なことを。』
異世界の神と精霊の親睦会でもあるのだろうか。
『貴方ならきっと力になってくれるって言っていましたよ。それとチートほどではないですがわたしが貴方と契約して、わたしの、なんて言いましょう、えっと、魔法とスキルですね。わたしの魔法やスキルの一部が使用できるようになります。簡単に言うと周囲の環境の把握、生物とのコミュニケーションや命令、自他の回復などです。魔法は使うのに魔力を使います。スキルは多少疲れますが魔力は使いません。こんな分け方でどうでしょう。詳しくはこれを見てください。それが貴方に渡す魔法とスキルです。』
精霊がそう言うと高明の頭の中に。魔法とスキルの名称と効果が流れ込んできた。
大精霊の目/視界の切り替えができ、半径500mほどは完全に把握できるスキル。アウフラウフ大森林内であれば全ての場所を見ることができる。
大精霊の言葉/言語を使う生物であれば自動で翻訳できるスキル。言語を使う生物に命令できる。
大精霊の加護/生物の傷、病気等を治せる魔法。
高明は目を動かしたが視界に変化がないことに驚いた。常に360度見えているようだ。何度か目を動かした後、精霊の方を向き直った。自分の目がどこ向いているかわからなくなりはしないようだ。高明はほっとしながらも少し悩んでいる様子で精霊に質問する。
『便利そうなスキルと魔法だけど、防御系は?攻撃されたら死にますよね。体が丈夫になったりは?』
『しません。打ち所が悪ければ殴られるだけで死にます。わたしは精霊なので戦うことがありませんから攻撃や防御の魔法はありません。ですが索敵能力は、えっと、500mですね。しかも認識した生物は命令で操れますから日常生活ではそれほど怯えなくても大丈夫ですよ。』
高明は<大精霊の目>を使って森を見ながら迷っていた。確かに能力は魅力的だが、守るということは危険に巻き込まれることである。欲をかいて死んでしまっては元も子もない。それに先ほどから森を見ていると大きな塊のようなアリの群れや、恐竜のような生物もおり、高明としては早急にこの森を去りたい。
『では、この話は無かったことにして、俺を自宅へ送ってください。この世界の人を使えばいいじゃないですか。』
『ええっ!待って待って!この世界の生物は量の多い少ないはあっても魔力を必ず持っています。わたしが憑くと二重で魔力を持ってしまい死んでしまうのです!それに契約が終わるまで帰れませんよ!貴方わたしと契約してこの世界に来たじゃないですか!?』
『契約?』
高明はそういえば、と思い出す。
『新手の詐欺か?あっ、俺が寝る前に、わたしの頼みを聞いてくれるなら貴方の願いも叶えますって聞こえたあれ?』
『そうです。貴方は、「では彼女をください。一生できる気がしないんです。」、と言ったはずです!』
なんてしょうもない願いを対価にしてしまったのだろう、と高明は頭を抱えたいがいまいち腕をうまく動かせないので万歳しているような格好になってしまった。
『わたしは貴方が子孫を残せるようにお手伝いします。代わりに貴方は森を守ってください。』
『理不尽すぎるっ!』
『そんな!でも、契約して呼んだ以上、互いの願いが叶うまで貴方は帰れませんよ?』
『…。』
どうも本当に帰れないらしい。しかし、森を守る?対象となる敵がいればそれを撃退、もしくは討伐すれば終わりなのだろう。しかし、守るとなると森が存続する限り、つまり守れているうちは終わらないのではないか。高明は恐る恐るではあるが質問しなければならなかった。
『守るというのは具体的に何をしたら達成できて俺は帰れますか?』
『え?あっ!』
『……。』
『……。』
『嘘だろ!』
『落ち着いてください!大丈夫です。たぶんわたしの独断で守られてると思えば帰れます!』
『アバウト!?何から守るかも含めてもっと具体的に説明してください!』
高明は先程よりも多くの冷や汗でびっしょりとなってしまった。
『えーと、実は人間界の3つの国が魔界の一部を征服しようとしているのです。逆に魔界にも魔王というのが居るのですが、その者も人間界に領土を広げようとしているのです。魔界と人間界を行き来するにはゼンメル山脈かこの森、もしくは海を越えなくては軍を送れません。この森も十分危険ですが、他二つよりはましだと言われています。つまり、この森が戦場になる可能性が高いのです。そんなことになれば生態系に支障が出ます!』
『本っ当に関わりたくないっ!』
『それとここに住んでいる人間、亜人や魔人はどの勢力にも絶対に属しませんよ。そもそもアウフラウフ大森林に来るのは犯罪者手前の自由人か犯罪者がほとんどですから。つまりどこかの国に従属して守ってもらうのは無理です。そんなことしたらこの森の人たちはその国に喧嘩ふっかけます、たぶん。』
この森で生活できる強者ならば人間界でも、魔界でも、ここより住み心地の良い場所を見つけられそうなものだ。なぜおとなしく暮らさなかったのだろうか。
『今はまだ両軍とも準備し始めたところのようです。この森を抜けた後でさらに本番の戦争があるわけですから兵糧や武器を蓄えたり、3国の連携訓練をしたり何年かはかかるでしょう。その間に戦争をやめさせる方法を考えてください。貴方の願いどおり、彼女さんをつくる協力はしますからお願いします!』
14歳くらいの少女が赤ん坊に頭を下げている図はシュールである。
『…なら、例えば人間と魔族で平和条約とか通商条約結ばせるのはどうですか?魔王と人間の王と有力者に命令すれば可能だと思います。その後この森を中継貿易の拠点にして商人の護衛と郵便をこの森の人間、魔族、亜人で行えば森としても外からの情報が入ってきやすくなるから利益はあると思います。』
大精霊の言葉は権力者に使うと非常に有効な魔法だ。魔力の強いものに命令しようとすれば自分の消費魔力も大きくなってしまうが、権力の強いものに命令したからといって消費魔力は増えることがない。
『なるほど!それで森が長期的に守られるなら貴方は絶対に帰れます。わたしも全力を出しきりますのでお願いします!』
『ところで戦争の準備というのは16年もかかりますか?それとも何か魔法で俺の成長を早めるのですか?』
『詳しくはわかりかねますが、準備は周到にするはずです。この森の調査も全くしていないでしょうからそのくらいは時間がかかると思います。まあわたしは人間のことよく知らないのですが。戦争のことも森の人が話しているのを聞いただけですし。少なくともこの森の中に地図を持ってきた人間はいません。』
『不確定だらけですね・・・。』
高明は大きなため息を吐いた。
同じ頃、ある貴族の邸宅では、待望の我が子の誕生を迎えようとする父親が右往左往していた。
「まだか?」
「まだでございます。」
「そうか。」
この父親、ブルートヴルスト公爵は先程から意味もなく本を開いては閉じ、椅子に座ったかと思えば、うろうろと歩き回る。口ひげの端を少し上に跳ねさせたカイゼル髭も右を撫ですぎて形が崩れている。
できれば妻の出産中、隣の部屋にいて、生まれたらすぐに我が子を抱けるように準備したかったのだが、妻に「その、あまり出産中の声を聞かれたくありませんわ。」と言われてメイドたちに執事のジョセフと遠い部屋に追いやられたのだ。
「まだか?」
「まだでございます。」
「そうか。男でも女でも構わん。元気な子であってほしいものだ。」
そう言いながら右の髭を弄り続ける公爵の様子を、執事は微笑ましく見守っている。
「まだか?」
「お生まれでございます!お生まれになられました、旦那様!」
今度は執事の代わりに部屋の扉を勢いよく開けたメイドが答えた。
「よし!」
公爵はメイドが言い終わるより早く走り出していた。執事も公爵の後ろを一緒に走っている。メイドは息を切らせながらもう一度来た道を戻り、走らなくてはならなかった。
「安産か!?男か!?女か!?どっち似だ!?」
「安産、でございます!ハァ、女の子です!ハァハァ、目は奥様、耳は、ハァ、旦那様のような気がいたします!」
「ならば将来美女になるのは間違いないな!」
「誠におめでとうございます。このジョセフ、先代様、旦那様、お嬢様と三代に渡って仕えられること誇りに思います。」
「うむ。今後も宜しく頼むぞ。ジョセフ。」
この日生まれた少女はマリーと名付けられた。
また、永久凍土に覆われた巨大な山脈、ゼンメル山脈では、白髪白髭の老人が小屋のドアの前に置かれているまるまった黒い布を見つけていた。
「広がる~白雪~冬~を越せねば天国行き~ん、なんじゃこりゃ?」
老人は歌うのをやめて、その布を手に取ろうとするが、すぐに手を引っ込める。
「…生物がくるまっとるの。この気配はなんじゃっけ?猿か?しっかしまぁ、拾わんとマイホームに入れんしのう。」
老人は黒い布を持ち上げて中を覗く。すると中から泣き声が聞こえた。老人は驚いて、慌てながらも中のものを決して傷つけないように丁寧に布をめくる。
「うおっ人間!?赤子!?どこから湧いたんじゃ!?早く暖めてやらんと!」
仙人と呼ばれる山籠りの老人アイフェル。初めての子育てが始まる。
小屋に入ったアイフェルは左右の手に一本ずつ炭を持ち二本を高速で擦りあわせることで発火させ、それらをいくつか暖炉へ放り込んだ。今は暖炉の前で赤ん坊を抱いて椅子に座っている。
「ほっ、ほっ、ほっ、ほっ。このくらいかの。多すぎると空気が悪くなるからの。」
「しっかし、この黒い布はどういう仕組みなんじゃ?ん?お前もわからんか。あ、こらこら。」
赤ん坊はアイフェルのアゴ髭を引っ張って遊び始めた。さて、アイフェルが疑問に思ったのは黒い布の温度であった。この辺りは標高が高く、寒さで森林限界どころか草も生えないような場所だ。それなのにこの黒い布は内側も外側も差がなく温かいのだ。
「発熱する魔道具はいくらでもあるがの。これは常に一定の温度を保っとる。わしが山籠りしとる間に魔道具も発展したのかの?そういえばお前、これ、髭を引っ張るな。どれどれふむ、男か。」
赤ん坊は少し抵抗したようだがまさか達人に勝てるはずもない。確認された。
「男なら…マチェスでいいか。山を降りて孤児院にでも連れて行こうかと思いもしたんじゃが、赤子を連れて山を降りるのはちょいと危険での。ある程度育つまではわしが育てるわい。わかったかのう?」
赤ん坊はじっとアイフェルを見た後、髭を引っ張った。
「たぶん了承ということじゃの。」
読んでくれてありがとうございます。初めて書いたもので拙い文章ですが暇潰しに読んでいただければ幸いです。