(更新5)
【サーラ】
耳慣れない音も一年聴いていれば自然と慣れていく。
遠くで斧を振るう規則正しい響き、村の製材所から聴こえるノコギリの音。
「父様お弁当です」
あれから族長である私の父は率先して製材所で働いた。一族に木を伐らせる為に。
墓所の森は元々住んでいたライカンと私達エルフの同居する居留地となっていた。
「はい貴方、お弁当」
「ありがとう」
ライカンの女性がエルフの夫にお弁当を運んできた。周りのエルフ達はいい顔をしていない。
半年程前に他の一族が加わって少しエルフが増えた。その内の一人がライカンの女性と結婚した。
訊けばライカンは異類婚に抵抗が無いそうだ。狼みたいなビーストマンやヒューマンと結婚する事はよくあるらしい。
エルフ側ではかなり抵抗のある話。以前は別の森に住むエルフと顔を合わせる事すら無かったのだから。
「徐々に慣れていくしかないよ、我等には変化が必要なのだ」
反対する者達に父はそう言って二人の結婚を許した。
とはいえ、すぐに受け入れられる話でもない。当時は木を伐る、そんな変化だけで皆いっぱいいっぱいだったのだと思う。
この変化を皆が受け入れる様になったのは、この二人の子供が産まれた後だったのではないか、そう思う。
居留地で最初に産まれた子供だった。
「陛下のおなりである!」
当時、『陛下』と呼ばれている子供は月に一度の割合で現れた。
骸骨や狼顔の男達に囲まれ、気難しそうな顔をしながら製材所や村の中を我が物顔で歩く蒼白い子供。
当時は『陛下』とはどういう意味か、子供の私には解らなかった。
『陛下』はいつも私の顔を見ると口許を歪ませた。多分微笑んだのだと思う。
笑うのが下手な子供だと思った。
そんな『陛下』が村で初めての赤ん坊、産まれたばかりのミーシャを腕に抱えて『微笑った』。
「…お前、仲良くしてやれ」
帰り際に『陛下』が私の頭を撫でながらそう言ったのを覚えている。
当たり前の事だ、ミーシャは私にとって妹の様なものなのに。
そう思ったから、そのまま『陛下』にそう言った。
大人達は私の言葉に慌て、おろおろしていた。
『陛下』は…
大声で笑うと私の頭をぐりぐりと撫で、
「そうだ!当たり前だな!だがそれが解らぬ馬鹿もいる、お前は馬鹿にはなるな」
確か、そんな事を言った。
それからはミーシャの両親の様な結婚が増えたと記憶している。
【サウル】
《ドラゴニュート》
太古のドラゴンを祖に持つ、竜人族。
卵生で、脱皮により成長する。その際、自らの姿を思い通りに変形させる特長を持つ。
その為、個人毎に容姿の違いが大きい。
基本的には角、翼、尻尾を備えるが、これもまた個人によって異なる。
魔力量の多い種族で、この魔力は飛行とブレス、二つの特殊能力に使用される。
寿命は千年程。幼年期は百年程。
〈歴史と文化〉
ドラゴニュートはヴァンパイアと永い年月の間、戦いを続けてきた歴史がある。これは双方が捕食生物であり生存闘争によるものであった。
ドラゴニュートは本来単独生活を好む種族であったが、卵生で幼年期が長い為に人口の増加が難しかった。育児の困難を減じる為、ドラゴニュートは従属種族リザードマンを作出した。
リザードマンが群生であった影響によりその庇護下にあった幼年期ドラゴニュートは成長後も群生生活を続けた。
これが現在ドラゴニュートが群生する理由である。
《リザードマン》
ドラゴニュートの従属種族。
男性の頭部がイグアナ様、女性はヘビ様である為、男女の区別は容易である。
四肢の指がヤモリ、尻尾はワニ、身体全体の鱗はカメレオンと、爬虫類の有利な特徴を併せ持つ。
口蓋が共通語に適していない為、独特な発音をする。
寿命は百二十~百三十年程、幼年期は十三~十五年程。
〈歴史・生活〉
前述のドラゴニュートが育児用に品種改良した種族がリザードマンである。
卵生で群生生活、群の卵を一ヶ所に集め、孵化後は幼年期が終わるまで子供だけの共同生活を送る。この際にドラゴニュートの卵・幼年が混ざる。
爬虫類の良いとこ取りと云える肉体は地上・樹上・水中と活動範囲が広い。その為狭い生活空間を苦にしない。
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「陛下~、お茶をお持ち…キャア!」
ぅおっ!
「ば、馬鹿者!書きかけの国誌が濡れるではないか!」
こ、子猿のやつ、何もないところで何故転ぶ?
咄嗟に原稿を避ける事が出来たから良い様なものの、余の執務机はびしょ濡れ!
「あ?…調印した決裁書類!」
折角急いで終わらせた書類がお茶色に染色されてホコホコと湯気を立てておる!
「こ~ざ~る~!」
「ああぁ…すみませんすみません!」
お前宿屋で給仕やってきたんだろうが?
まさか宿屋でもこんな調子だったのか?
「若、決済書類を頂きにまいりましたぞ…おや?」
爺…余のせいではないぞ?そんな目で見るな。
はぁぁ、やり直しか。子猿にハンコ押させる訳にもいかんものな…
【ノラ】
「…もう、陛下から大目玉!馘にされるかと思った」
「サーラ姉さんらしい」
「ミーシャひどっ!らしいってなによ?」
クラウスさんの店でサーラさんとミーシャとでお喋り。
サーラさんはお使いの途中で店に顔を出した。
…油を売ってて大丈夫なのだろうか?昨日怒られたばかりだろうに。
「何じゃ、サーラが来とったのか」
クラウスさんが裏の鍛冶場からやってきた。
「やれやれ、儂の店は油屋ではないんじゃぞ?サーラ、お主帰らんでよいのか?夕方じゃぞ」
「…え?夕方?いけない!またねミーシャ、ノラさん」
サーラさんは慌てて店を出ていった。
「あの人は元からあんなに慌ただしいのか?」
エルフは大抵物静かな種族だ。
森の中、弓を手に狩猟生活をしている為に、騒がしくしない癖がついている。
あれでは獲物が逃げてしまうだろうに。
「墓所の森のエルフは結構騒がしいんじゃ、ほとんどの者が製材所で働いておるからな」
「狩人は少ないですね、それにライカンと共同生活をしてますから賑やかですよ」
ライカンもビーストマンも確かに私達エルフよりは騒がしいか。
「ビーストマンは墓所の森に居ないのか?」
「ビーストマンは何処の森にも居らんぞ?」
理由を訊くと森の中にビーストマンがいると狩人が間違えて矢を射る事があるらしい。
それでビーストマンは都市部に多いのだとか。
「確かに遠目だと間違われるか」
エルフならそんな間違いは無いだろうが、他種族の狩人だと有り得る話だ。
「さて、店仕舞いじゃな、宿屋で晩飯にしようかのミーシャ」
閉店の札を掲げて向かいの宿屋へ。
宿屋の食堂は冒険者だけではなく一般にも利用されている。
近場の住民や城壁の外で畑を耕す農夫なども、たまの贅沢とやって来るのだ。
「いらっしゃいませ~」
狐もといチャルさんが二人の新人を差配しながら自分も給仕を行っている。
安定してるな、とチャルさんを見て思う。この間までサーラさんだったから余計に…
「ノラ、こっち」
主人に手を振られいつもの席へ。
「ガンズさんは?」
「…いつも一緒にいる訳じゃないわよ?」
まぁ、どうせすぐに皆来るでしょ。主人はそう言ってミーシャの為に椅子を引いてくれた。
【ザップ】
中央門からの街路から左右に広がる市場は今日も活気に満ちている。
物売りの呼び声と街を行く人々のざわめきが混ざりあう。
この喧騒を聴いているとダンジョンから戻ってきたと実感する。
果物屋から買った林檎をかじりながら、俺は市場の裏道に入る。
喧騒の薄れる裏通り。
そこはこの街のもう一つの顔を見せる場所だ。
日のささない道端、風溜まりに集まる塵、辻占い、骨董屋、臭う水溜まり、奴隷商会、魔術用品店、たむろするやくざ者、座り込む貧乏人、娼館、目付きの悪い浮浪児…
俺はそんな裏街の建物の一つに入っていく。
ここは…まぁ呑み屋だ、娼館も兼ねた。一応そういう事になっている店だ。
店内はダンジョンとどっこいな薄暗さ。
客をひく半裸の女ども。
酒を給仕する見目のいい奴隷。
店の表でたむろする連中とは違う種類のやくざ者。
気だるげな音楽と漂う煙草の煙。
「ようザップ」
「よう」
見知った奴が声を掛ける。
カウンターの隅に腰を降ろし、火酒を頼む。
俺の横に座った女と挨拶を交わす。
「…ようスキン姐さん」
「もう少しマメに顔を出しなさいよザップ」
『無毛のスキン』はこの裏街の顔役。香具師の元締だ。俺とは餓鬼の頃からの付き合い、女だてらヒューマンだてらに裏街を仕切るコイツからはよく面白そうなネタを仕入れている。
「あまり顔を出さないから、この前の似非宗教の暴動、事前に教えられなかったじゃない」
「あぁ、そんな事もあったな」
スキンは溜め息を一つつく。幼馴染みを一応は心配してくれていた様にも見える、本当かどうかは判らない。
「最近どうだい?姐さん」
「そうね…貴方のところにヴァンパイアって居たかしら?若い女性の?」
「ふぅん?」
「気を付けてあげなさい、何か面倒を起こしたがってるのがいるみたいよ」
「…誰だいソイツは?」
スキンは微笑んだ。
肉食動物の歪んだ口許。
獲物を視る歓喜に満ちた瞳。
「そこから先は…何を出してくれるかによるわよねザップ」