8杯目 私の4歳の誕生日会
「誕生日おめでとう、リリス!」
2日後、開かれた私の誕生日会は、それはそれは豪華なものだった。
生前の私の実家は裕福でも、特別貧乏な家庭でもない、いたって普通の一般的な家だった。誕生日にはきちんと父が仕事を終わらせて帰ってきてくれていたし、母はパートを休んで朝からいろいろな料理を用意してくれていた。一人っ子だったから誕生日というのは両親も特別大事にしてくれていたように思う。本当にあたたかな家庭だったのだ。
それと比べて、今の私の誕生日は豪華すぎた。
まず料理。どこから持ってきたのか知らないが、いつものテーブルにもう一つ木製のテーブルがくっつき、長テーブルへと変身した食卓には、アデラベルの力作たちができたての美しい飾りつけの状態で所狭しと並べられている。
この家の庭には石窯のようなものがあり、特別な日にはアデラベルが自らその窯でパンを焼いてくれる。そのパンは今日ももちろんバスケットいっぱいに入っており、小麦のいい香りをあたりにまき散らしていた。
アデラベルの料理の腕はそのパンだけではない。職人なのか、と思えるほど細かくカッティングされたフルーツや野菜が、花のように様々な料理に彩を添えているし、あのカルトン豚の塩漬けもそのまま薄くスライスされているものだけではなく、薔薇のような形に整えられている。私のつたない料理の知識では説明しきれないほどの料理は、もはや芸術と言っても過言ではないように思う。もはや人間ってこんなにすごいものが作れるの?と疑ってしまうレベル。スマホがこの手にあれば普段そういうものごとに興味のない私でも絶対写真撮って、イン〇タにあげてる。まあ私、お酒の銘柄しか写真撮ってなかったからそもそもアカウント持ってなかったけど。
そして、今日の朝からすごく張り切って私の服や髪型をいじくり倒していたエリスママのおかげで、今日の私は一段とおませさんだ。
普段着ないようなターコイズブルーのワンピースをエリスママに渡された時はちょっと戸惑ったけど、いざ着てみると意外としっくりくる。
金髪ってなんて万能な髪色なんだろう……。淡い色でも濃い色でも、この流れるような細くやわらかな髪は見事にマッチするのだ。それは単純にエリスママのセンスがいいのか、それとも金髪という髪色の性能が高すぎるのかはわからないが、とにかくまるでパズルのピースのようにぴったりと当てはまる。
いつもはエリスママがきれいに結い上げてくれる髪は、下ろしたままで毛先に少しカールをつけてゆるふわパーマのような髪型にしてくれた。このワンピースには金色が映えるから髪は流している方がきれいなんだそうだ。にしても、アイロンもコテもないのにどうやってカールさせるんだろうって思ってたけど、昔お母さんがやっていたカーラーに濡れた髪を巻き付けて乾かすっていう方法が近かった。もっともドライヤーがないこの世界でその役割を担っているのは多分エリスママの精霊だと思う。
そしてなんと今日はエリスママに薄く化粧もしてもらっている。化粧なんて本当にひさびさだ。死ぬ前まではもちろん会社には化粧をして行ってたから、死んですぐ生まれ変わったとしても3年は化粧をしていないことになる。しかも人に化粧をしてもらうなんて、生前の成人式以来だからちょっと怖かった。とっさに目を強く閉じると、くすくすと楽しむようなエリスママの笑い声がして、「大丈夫よ、力を抜いて」と言われた時、成人式でも同じようなことを言われたなー……と思い出して涙が出そうになった。
転生してから楽観的に生きてきたし、お酒のことで頭をいっぱいにして必死に考えないようにしていた感情が涙とともにこみ上げてくる。生前の私の両親はどうしているんだろう、部長は、課長は、あの日介抱してくれていた部下は、同僚は、友達は、地球にいたころの私は、いったいどうなってしまったんだろう、と。私がこの世界にいるうちは考えても仕方のないこと。思い出しても自分を苦しめるだけのものだとわかっているのに、エリスママの優しい手つきや言葉はどうしても生前の母や、関わってきた多くの人を思い出させた。誕生日って、生まれた日だから思い出しやすいのかな。
「リリス?」
黙ってしまった私を見て、エリスママが声をかける。その瞬間現実に引き戻された。私にとって異世界だろうが、今はこの世界、この時、この家族が現実。今大切にすべき人たちを、悲しませるようなことはしてはいけない。この世界で生きている間、たくさんの愛情を込めて育ててくれている今の私の家族。
「ううん、なんにもないの、おかあさま」
にこっと笑えば、エリスママもにこっと笑いかけてくれる。そしてそのまま優しくぎゅっと抱きしめてくれた。
「リリス、大丈夫よ。あなたは私とリールの大事な娘、大切に想っているのよ。だからそんな目をしないで」
そんな目、がどんな目を指すのかはわからなかったが、私はエリスママに抱き着いて小さく頷いた。
そう、私は今リリアリス・エイヴヤードなのだ。ちょっと昔の記憶があるだけの普通の酒好きの女の子だ。そう、心の中で思うと私を昔に引き戻していた生前の記憶は静かに心の奥へと戻っていった。
そんなやりとりをエリスママとしたあと、化粧を終えてダイニングへ戻ると集まった人々の拍手と「誕生日おめでとう」の言葉に出迎えられた。
今日、家に集まってくれたのは家族だけでない。エイヴヤード家の親類たちがお祝いにわざわざ来てくれているのだ。中には初めて見る人もいて、私の頭は一瞬パニック。まさかこんなにも多くの人が集まっていたなんて思いもしなかった。生前も合わせて参加人数過去最多の誕生日パーティだ。リビングの長テーブルに並べられた料理の豪華さ、美しさと、初めて会う大人たちに私があっけに取られているとすぐさま声が飛んでくる。
「ブスが余計ブスな顔になってるぞ」
リドリーだ。
むすっと近くで拍手しているリドリーを見れば、悪態をつきながらリドリーはいつもの数倍は優しい笑顔で私を見ていた。ちょっとドキッとする。リドリーってこんな紳士的な表情もできるんだ、っていう新しい発見。どうせならいつもそういう表情をしていればいいのに……。
「リリス、誕生日おめでとう。僕の可愛い妹が無事に4歳の誕生日を迎えることができて、心から安心しているよ」
長男だからなのか、それとも単に紳士だからなのか、一番最初に進み出てきたリーグお兄ちゃんは目の前へ膝をついて包み込むように私の手を握ってそう言った。これは、世の女性なら一瞬で落ちるやつだ。私はさすがに血縁関係にあるのでそういう感情には一切ならないけれど、自分の幼馴染とかなら絶対惚れてた。このスマイルと甘い声をリーグお兄ちゃんは騎士学校で振りまいているのだろうか。ちょっと心配になる。
「ありがとう、リーグおにいちゃん」
「これはプレゼントだよ」
そう言ってからリーグお兄ちゃんが手を離すと小指には蜂蜜のような透明感のある琥珀色の石がついた指輪が嵌っていた。
ちなみにこの世界で指輪を送ることは何ら不思議なことではないらしい。というより、贈り物の定番なんだそうだ。指は精霊と繋がる大切な役割があるため、指を常に美しく飾るのは女性のたしなみの一つ。だから、この世界の女性は指輪をたくさん持っており、両手にだいたい3つくらいはいつも指輪をしている。もちろん、エリスママもね?
でもこれは私の初めての指輪。リーグお兄ちゃんに守られているような、そんな気がして私は満面の笑みでお礼を言った。
リーグお兄ちゃんが下がると、そこからはリドリー、リールパパ、エリスママ、そして親類の人たちからのおめでとうの言葉と、プレゼントの山が私を待っていた。
まだ小さい私の脳みそではちょっと覚えきれない名前の連続に、全員は完璧に覚えていられなかったが、よく家に遊びに来ている祖父母や、叔父、伯母たちの顔はよくわかる。エイヴヤード家は騎士の家系、というのは伊達ではなく、親類の男性のほとんどが何かしらの騎士団に即しており、女性は騎士のサポートをする精霊使いとして騎士団に所属しているようだ。
騎士団にもいろいろとあるらしく、国家騎士団、区画騎士団、地方騎士団などなど。
地方騎士団に所属している歳のかなり離れた従兄からはその地方の特産であるお菓子をもらい、国家騎士団や区画騎士団に所属している大叔父や伯父からは上質な生地でできている服、本などをもらう。
どのプレゼントも貴重で、高価なものが多いため、私はずっと頭を下げっぱなし。お礼しか口にしていない。常にエリスママの隣にいさせられて、親類へのご挨拶回りと4歳の私のお披露目会。それはもうエリスママの気合も入るわけだ。
くたくたになって、足が痛いなー。靴を脱ぎたいなーと思うタイミングと、大人たちが飲み物を片手に――これも驚くべきことにお酒ではないらしい。この世界の大人はお酒飲まないで何で生きていけるんだろう。――談笑するタイミングが重なったとき、私は誰かに手を引かれてダイニングの人込みを抜け出すことができた。人がいない廊下に連れ出されると、ほんの少しだけひんやりとした空気が肌に触れ、肺の空気を入れ替えるように私は深呼吸を繰り返す。
「大丈夫か。せっかく母様がセットしたのに髪もぐちゃぐちゃだな」
ふ、と鼻で笑う声に、予想通り私を人込みから連れ出したのはリドリーだった。そういえば、リドリーからはまだプレゼントもらってないなー。
「リリス、こっちだよ」
空き部屋から顔をのぞかせたリーグお兄ちゃんが小さく手招きする。なんだなんだ、と思いつつリドリーに手を引かれるまま部屋に向かうと、部屋にはいつも練習の時に邪魔になるからと端に寄せてあるテーブルが真ん中にセットされていた。
2人の兄に促されるままに椅子に座ると、テーブルには小さいケーキ。私の脳内は今日何度目かの思考停止に陥ってその用意されたケーキを凝視した。
「誕生日、おめでとうリリス。2人で買ったんだ、みんなで食べるケーキじゃなくて、僕たちだけで食べるケーキだよ」
「それと、プレゼントな。みんなの前では、渡せないから」
リドリーが少しつっけんどんに紙袋を渡してくる。私が不思議そうに兄たちの顔を見ていると、リーグお兄ちゃんが優しく受け取っていいんだよ、というように誘導してくれた。
プレゼントの中身は、服だった。親戚の人たちがくれた上質な布でできたワンピースや、ケープではない。だが、これは私だけの練習着だった。リドリーのおさがりを借りるのではなく、私だけの練習着。男性向けの茶色とかではなく、それは薄緑のきれいな色のパンツと、ベージュのシャツだった。
「これ、本当に……私に?」
「そうだよ……これやるんだからな、ちゃんと……ちゃんと練習最後まで頑張るんだぞ」
「リドリー、必死に探してたからなぁ……ちゃんと渡せてよかったじゃないか」
「っ!! 兄様、それは言わない約束だったはず!」
リーグお兄ちゃんがリドリーをからかっている間も、私の返事は言葉にならなかった。嬉しさにこみあげてくる涙が、言葉を奪ってしまったのだ。ぎゅっともらった練習着を抱きしめていると、騒いでいた2人の兄は静かになり、私の頭を優しく撫でた。
「泣いてるとケーキがしょっぱくなるぞ」
「わかってるもん……っ」
泣きながらもようやく言えた「ありがとう」に、2人の兄は笑顔を返してくれた。
この世界に生まれて、この家に生まれて、本当に幸せだ、という実感に私の目からはまた涙がほろりと零れていった。