7杯目 肉の塊と私
「さあ、いつでもいいぞ」
リールパパが腕を組んでにこやかに私を見ているが、私は目の前に置かれた肉の塊に向き合っていた。
生前の私なら持てただろう、片手は無理でも両手なら。まあ、肉の塊なんて持ったことないからよくわからないが、これそれなりに大きい気がするんだけど。
でもこれもお酒のため。これを持てないと神石なんて持てやしない。日々の努力の成果を今こそリールパパに見せつける!
私は意を決して、肉の塊に手を伸ばした。
せーのっ!
……え?
思わずえ?と声が漏れてしまったくらい、結果としてあっさり持ち上がったのだ。なんの苦労もなく、ひょいっと。これは私がマッチョになってしまったからなのか、それとも肉の塊が軽いだけなのか。
両手で豚肉を抱えながら、リールパパを見るとまだニヤニヤと笑みを浮かべている。んーこれは後者っぽいなぁ、と思っているとリールパパは私から肉の塊を受け取った。
「すごいぞ! それでこそわが娘!! 普通の3歳児なら持てなかっただろう。最もリーグとリドリーが3歳の時は持てていたがな」
まじかー!これで神石余裕で持ち上げられるんじゃない?だってクリアした上2人と同じもの持ち上げられているんだから!
やったー!と心の中で喜んでいると、後ろから声がかかった。
「リリスは本気にするからやめてあげなよ、父様」
「リドリー?」
「それ、本当はもっと重いぞ。母様の精霊が持ち上げるの手伝ってるだけ」
その瞬間喜んでいた心が氷点下まで一気に冷める。なんだ……私が力持ちになったわけじゃないんだ。
あからさまに落ち込んだ私を見て、リールパパは焦ったようにしゃがみ込んだ。
「ち、違うんだぞ、リリス! ちょっとびっくりさせようと思ってな、な? 今はこれ持ち上げるの大変だろうが、神石を持ち上げるためには重たいものを持ち上げることに慣れていた方がいい。だからこれを留魂儀までに持ち上げることに慣れる、これが最後の練習だ」
「これをもちあげられたら、ちゃんときしになれる?」
「ああ、もちろんだ!」
落ち込んでいた心が少しだけ晴れる。まだ間に合うのだ。今一瞬でお酒飲めないのかも、というところまで思考が及んでしまって、危うく生きることをやめてしまおうかと思った、危ない危ない。希望っていうものは最後まで持ってこそ希望って言うんだ、そう誰か言ってた気がする。あ、これ言ってたの部長だ。だから諦めずに残業しろ、ってそのあと続いたんだっけな。
我ながらちょろいな、と思いつつもすっかりご機嫌を取り戻した私に、リールパパはにこやかな笑みを浮かべて、キッチンへカルトン豚を運んで行った。
その背中を見送りながら、またリールパパが逞しくなっているような気がして、あっけにとられる。騎士って、そこまで筋骨隆々でないといけないのかな。だとしたら、今すらっとしててしなやかさが売りのリーグお兄ちゃんも今のリールパパみたいにあんなむきむきマッチョになってしまうのかもしれない。そう思うと、ちょっとげんなり……リーグお兄ちゃんにはいつまでもしなやかさを保った美しい姿でいてほしい。
「リリス、神石はその肉より重くないから、それが少しでも持てるなら騎士学校には入れると思うぞ」
ここ数ヶ月ですっかり私の師匠になったリドリーは、やる気をあげる方法をよくわかっているようだ。リドリーの言葉を聞いた私のやる気は溢れんばかりになり、すでに消えていった肉の塊を求めるように自然と目がキッチンへと向いた。
「あしたかられんしゅうにいれないとね、リドリーせんせい」
「重たいものを持つときのいい持ち方を教えてやるよ」
先生、の一言にリドリーは満足したのか、すこし得意げな顔で頷いた。
翌日からは、2日後に迫った私の誕生日に向けて、家の中が少しバタついていた。そんな中私とリドリーは手伝うことなく練習に励んでいる。いや、ちがうんだよ?手伝うって言ったら、いいから練習しておいでってリーグお兄ちゃんが優しく言ってくれたの。ほんと、優しくて理想のお兄ちゃん。騎士って言葉が世界一似合うと思う!私の知ってる世界はこの家の中だけだけど。
ちなみに、この国の4歳という節目は結構大事だったりする。それは神話が深くかかわっているそうなので、リドリーに聞いたらものすごくどや顔で語ってくれそうだけど、今は面倒なので聞かない。どうせ騎士学校で習うだろうしね。
まあ、神話や歴史にうるさいリドリーが勝手に話してくれた内容を要約すると、神から与えられた命が定着するのが4年の時を過ぎたころらしい。その体に神によって浄化された魂が馴染み、肉体と魂が絡まり合って離れにくくなる。つまり、魔物や悪しきものたちに魂を抜かれたり、穢されたりする心配が減る、ということだ。3歳までは不安定な時期で、神が守ってくれている家の中でしか過ごすことが許されないが、4歳を過ぎると自身の肉体と魂の共鳴で精霊と触れることができたり、悪の力を跳ねのけることができるようになる、らしい。
いや、すごすぎない?!ほんとに精霊なんているのかまだ半信半疑な私は全然信じる根拠のない話でしかない。だって精霊なんて見たことないし感じたこともない。だが、実際に、リドリー達には精霊というものが見えているらしい。私も4歳になって留魂儀を済ませたら見えるようになるのかな。
そんなこんなの事情で、4歳の誕生日はとても豪華なもの。リーグお兄ちゃんは私の6つ上なのでどんな4歳の誕生日をしてもらったのかは知らないが、リドリーの4歳の誕生日の時は覚えている。まだ2歳の時だったが、いつも広く感じていたこの家が狭く感じるほど、いろんな人があいさつに来てはリドリーに祝いの言葉と贈り物をしていた。誕生日をいつも家族だけで済ませていた今までとの違いに驚き、記憶にしっかりと焼き付いている。
ワクワクしながら私の誕生日がどんなに豪華になるのかを待ち望みながら、今日も筋肉トレーニングに精が出る。腹筋をしながら心の中で数を数える。お酒が1杯、お酒が2杯……。
いつもの練習メニューも残るところあと縄跳びのみ、というところで途中から部屋を出ていったリドリーが戻ってきた。手にはあの肉の塊と思わしき紙に包まれた何か。私が期待たっぷりの目で見ると、少し呆れたような顔でリドリーが小さく頷いた。
「リリス御待望のカルトン豚な。料理に使うとかで、昨日より量は減ってるけど、リリス一人で持つにはちゃんと持ち方を知ってからでないと腰を痛める重さだな」
「リドリーはおもたくないの?」
「今は母様の精霊が持ち上げてくれてるから。でも、一人で持てるし、本当は」
そう言いながらリドリーが豚を私の前へと置いた。そこからまたリドリーの指導が入る。
重たいものを持つ時は持ち上げるものの前に立つ、とか両手でしっかり持つ、持つところは手前とその対角線上のところだとか。
「いいか、持つ時は腕で持ち上げようとしちゃダメだ。体の、腰の部分で支える感じで、絶対膝を伸ばした状態で持つなよ」
言われたことを頭の中で反復しては、せーの、と持ち上げる。が、もちろんそんなにすぐに上がる訳もなく、私はしばらく悪戦苦闘していた。
だが、3度目の挑戦、とばかりに持ち上げようとした時、暖かな風が吹いた気がした。窓が空いてる訳でも無いのに、と意識が逸れた状態で持ち上げるとなぜか重みはあるがひょいっと持ち上がる。
わー!やったやった!
私が感極まった顔でリドリーを見ると、リドリーは顔を顰めていた。
「シルフィ、悪戯はやめろよ。これは真剣なんだ」
誰もいない私の隣に向かって話しかける。
もしかして精霊と話してるのかな。今感じた暖かな風がもしかして精霊の気配なのかな。
そんなことを考えていると、ぴたっと風が止まった。その瞬間腕にかかる重みと負荷に、私は悲鳴を上げて前につんのめった。と同時に、リドリーとオリアドルが慌てて駆け寄り、見事3人巻き込んでひっくり返る。
「大丈夫? すごい音がしたけど……」
リーグお兄ちゃんが扉を開けて顔を覗かせると、揉みくちゃになった私たちを見て、少し困ったように笑った。
「シルフィ、悪戯はダメだよ。母様が探していたから戻っておいで」
見えない姿に語りかけるエプロン姿のリーグお兄ちゃんは今日もかっこいいなぁ。
そんなことを思いながら、私は擦りむいた膝の痛みにちょっと涙を滲ませた。