4杯目 鉄壁のリドリー防壁を崩せ!
数字の表記揺れを統一しました。
四季の描写におかしな所があったので2話を追記、編集しています。
翌日から、私の騎士になるための猛特訓が始まった。
留魂儀は、4歳の誕生日を迎えた月の末に行なわれるらしい。私は今3歳で、次の誕生日を迎えるのは実は3ヶ月後だったりする。案外時間はない。
ちなみにこの世界の時間軸的なものは地球と変わりない。1日は24時間だし、1週間は7日、1ヶ月は大体30日くらい、1年は12ヵ月だ。それは本を読んだり、リーグお兄ちゃんやエリスママの家の出入りを数えているとすぐに分かった。カレンダーみたいなものも、壁にかけてあってオリアドルが毎朝めくって次に進めているのを見ていたし、本にも書いてあった。そのあたりはすべて地球と同じようだから私としてはとても分かりやすくて助かる。
今は3月半ば。私の誕生日は6月だからまあもう少し正確に言うと3ヶ月半と少し、が私に残された時間になる。
私は改めてリールパパの少し汚い字で書かれている訓練メニューを眺めた。(ちなみに字は今勉強しているところなのでリーグお兄ちゃんに分からないところは教えて貰った)
・腹筋100回
・腕立て100回
・背筋100回
・縄跳び1時間
※柔軟体操は必ずすること。運動前と運動後に30分。やり方はリドリーに教えておくから習うように。
いやいやいや、確かに騎士になるって言ったけど!
上2人がこんなハードスケジュールをこなしているのを私は見たことないよ?!なに100回って!地球で生活してた2X年間でもそんなのやったことないわ!と即座に心の中でツッコミを入れる。
隣で私にメニューを伝えたリーグお兄ちゃんは苦笑いを浮かべると私の肩にぽん、と手を置いてから元気に騎士学校へと通っていった。
リールパパがまた城へ戻る時――国家騎士団に所属しているためリールパパの勤務地はお城なのだ――にやにやしながら「がんばれよ」といい残した意味が今になってわかる。エリスママがあっさり折れたのも、リールパパのメニューがこなせない、というよりこなせないと見越したメニューが組まれてると知っていたからだろう。
実際、メニュー内容を知って呆然としていると、出かける前のエリスママが気にかけるようにそばへやって来た。しゃがんで視線の位置を合わせると、じっと私の目を覗き見る。
「リリス、無理はしなくていいのよ。辞めたくなったらいつでも辞めればいいのだから」
だが、そんな事で私の酒豪ライフへの道は閉ざされる訳では無い。
私は頭をぶんぶん振っては、リールパパがくれた訓練メニュー表をぎゅっと胸に抱いた。
この先、死ぬまでお酒の飲めない人生を送るくらいなら、私はこの3ヶ月半の地獄を耐え抜く方を選ぶ!
「だいじょうぶよ、おかあさま。わたし、なんとしてもきしになるから」
「……そう、すごい気合ね。でも無理はしないで頂戴、体を壊しては元も子もないわ。いいわね。できる回数からこなせばいいのだから」
「はい!」
「奥様、もうすぐお時間です」
アデラベルが横から声をかけると、エリスママは小さく頷いて立ち上がった。薄手のガウンのようなものを羽織り、帽子を被ると少量の荷物を手に、いつものように出かけて行った。
「オリアドル、れんしゅうつきあって」
「ええ、もちろんです、リリスお嬢様。お嬢様のサポートをするよう旦那様と奥様から仰せつかっております」
出かけて行ったエリスママを見送ってから、私はオリアドルの手を掴んで空き部屋に向かった。途中、何か言いたそうにしているリドリーに遭遇したが徹底的に無視を決め込む。悪いけど、私今リドリーの相手をしている暇はないの。
空き部屋に入ると、私は改めて紙を見つめる。そして気づいた。盛大に見落としていた最後の一文。
※柔軟体操は必ずすること。運動前と運動後に30分。やり方はリドリーに教えておくから習うように。
あれ、待って……やり方はリドリーに教えてもらうように書いてある。って、リドリーがさっき何か言いたそうにしていたのって、もしかして!
「ねえ、オリアドル」
「なんでしょう、お嬢様」
空き部屋の真ん中に座っている私の目の前で、同じように正座して私を窺っているオリアドルをちらりと見る。オリアドルは大きめの丸眼鏡の奥からにこにこと私を見つめて首をかしげていた。
「オリアドルはれんしゅうのやりかたしってる?」
「いいえ?」
そう一言、にこやかな表情を変えずにオリアドルが返事をした。
その瞬間、私は紙を握りしめたまま空き部屋を飛び出してリドリーを探しに走った。
不貞腐れていたリドリーを説得するのはとても苦労した。あの意地悪なリドリーが、私には騎士は無理と言い切ったリドリーがせっかく私に教えようと声をかけてくれたのに私は忙しいから、と一蹴してしまったのだ。それはもうとんでもなく機嫌を損ねていた。
探しに行ってすぐは全く聞く耳を持たず、それも庭で剣の稽古をしていたものだから私にはなす術がない。庭にこっそり出ようものなら、後ろからついてきていたオリアドルに全力で引き留められ、結論泣きついた私を見かねて、家事に忙しいアデラベルまでをも巻き込んでリドリーの説得をしたのだ。
オリアドルはリドリーに舐められている。なにせおっとりしていてあげくドジですぐに失敗をする典型的ダメなメイドさんだからだ。彼女の主な仕事は私とリドリーの世話をすることだが、基本的に年下でまだ外に出られない私に付きっ切りなことが多かった。それもあってか、リドリーはオリアドルの言うことは一切聞かないのだ。
そのせいでリドリーは私が彼にしたように取り付く島もない鉄壁の防壁で私たちを拒んだ。どれだけ叫んでも泣いても呼びかけても、彼は徹底的に無視をし、剣をふるうことに専念したのだ。
腹筋背筋腕立て柔軟など、私は地球でやってきた。これでもダイエットのために一時期は毎日やっていたくらいだ。だが、地球の方法とこの世界の方法が同じとは限らない。リールパパがリドリーに教えてもらうように言ったのに、私がそれを跳ねのけたなんて知ったら、騎士になる資格はない!なんて言われかねないのだ。今はこの先お酒が飲めるかどうかが決まる大事な時期だ、不安要素はなるべくなくして穏便に進みたいのが本音だった。
やいやい騒いで泣いて呼びかけてを十数分していると、先にしびれを切らしたのはリドリーではなくアデラベルだった。彼女は濡れたぞうきんを片手に鬼のような形相で2階から降りてくるなり、どういう状況でこんな騒がしいのかオリアドルを責め立てた。
途端に申し訳ない気持ちになる。私、中身はいい大人なのだからもう少しお淑やかな解決を試みるべきだったのだ。リドリーと接しているとどうも相性が悪いのか子どもっぽくなりがちだ。
さすがに雇い主の娘である私を責めるような真似は一切しなかったが、この年を重ねた教育係兼メイド長には、さすがのリドリーも逆らうようなことはできない。アデラベルへの両親の信頼はかなりのもの。彼女はてきぱきと業務をこなし、的確に日頃の家の様子をエリスママへと伝える。エリスママは昔からこの家に仕えているアデラベルのことをとても信用しているため、私たちは家でいい子にしていないと全てアデラベルからエリスママへと伝わってしまい、エリスママが帰宅後にこっぴどく叱られるのだ。
それをわかっているからか、アデラベルが割と大きな声で「リドリー坊ちゃん!」と声をかけただけで、リドリーは素振りしていた木刀を元あった場所にしまい、慌てて室内に戻ってきた。
「僕は悪くないよ! 僕が声をかけたらリリスが話してる暇はないって言ったんだ!」
「リリスお嬢様!」
アデラベルの目がすごい勢いで私へと向いた。さすがに数多の鬼上司たちにこき使われてきた私でも、会社のお局を思い出して身体に力が入る。
「リドリー坊ちゃんにお伝えすることがあるのではないですか」
「リドリー、ごめんなさい。わたしがわるかったわ」
リドリーの機嫌はこんなことでは治らない。それでも私は本当に酷いことをしたと思っているので、自然と眉尻は落ち、視線はリドリーから床へと落ちていく。
「いいよ、ほら行くぞグズ」
しばらくしてからため息をついてリドリーが私の手から訓練メニューの紙をひったくる。そして手首を掴んで空き部屋へと歩き始めた。
いつも意地悪なリドリーが今回はあっさり折れ、あげく私の手を引いて歩き出すなど今まではなかった。なんの心変わりなのか、呆気に取られながら引かれるままについて行くと後ろから小さな咳払いがした。
振り返るとアデラベルが濡れぞうきんを持ったまま私たちを見ていた。
「私には何も無いのですか?」
「かじのじゃまをしてごめんなさい! しずかにれんしゅうします!」
そう言って頭を下げると優しい声がした。
「さすがお嬢様です。自らの非礼を謝ることが出来るのは騎士の第一歩ですよ。アデラベルは、お嬢様を応援しております」
先程とは打って変わった穏やかな表情に私ももう少し大人な対応を心がけよう、と改めて決意し、リドリーとともに空き部屋へと向かい始めた。