26杯目 騎士になる覚悟、酒を飲む覚悟
カンッ、と硬い音が響き、私の手から木刀が弾き飛ばされる。目の前には木刀の切っ先が鈍い光を放っていた。その先にはリーグお兄ちゃんの少し心配そうな顔。その瞬間、ヘンリーから厳しい声が飛んできた。
「踏み込みが遅い! そして甘い。そんなことでは勝てる見込みはないぞ」
「はい!」
冬休みも後半に差し掛かった頃から、ヘンリーの本格的な剣技指導が始まった。
最初は陸上部さながらの特訓。
リズム感、柔軟、瞬発力、動体視力など、様々なトレーニングが組み込まれたメニューをこなす毎日。いつも甘いスマイルを携えるヘンリーからは想像もできない熱血指導だった。さすがにぶたれることはなかったけれど、ほぼ水分補給以外の休憩がない。もちろん体力を使うトレーニングばかりでは無いため、体を休めるタイミングはあったものの、ハードスケジュールに社畜だった私も少しだけ心が折れそうだった。
でも、子どもに舐められるのも癪だし(私が今は子どもというのは置いておいて)、このままだと騎士を目指す道にも支障が出る。強く、そして高潔に鮮やかに私は酒豪ライフを手に入れてみせる!
本格指導から2週間ほど、ヘンリーから許可が出てようやく実戦形式での指導に移った。
相手はリーグお兄ちゃん。校内でも随一の腕前とヘンリーが褒めるほどなので、さすが騎士家系の長男、といったところだろうか。
最初は嫌がっていたお兄ちゃんも、ヘンリーに言われるがまま嫌々ながら練習に付き合ってくれている。リーグお兄ちゃんとしては大事な妹に木刀とは言えども剣を交えるというのは心の底から嫌なようだった。それでも、私のためだというと渋々手伝ってくれるのだから本当にいいお兄ちゃん!
「さあ、もう一回だ」
「はい」
こめかみから落ちる汗を女と思えない手つきで拭い、弾かれた木刀を拾い上げた。剣技大会のルールに乗っ取り、木刀を地面に突き立て一礼。木刀を手に取り、×を描くように一度左右に振ると、ヘンリーが教えてくれた構えを取る。
「はじめ!」
ヘンリーの声とともに、リーグお兄ちゃんの出した突きを避ける。ヘンリーに教えてもらった相手の突きに合わせたリズムを作る、というのが私には理解しやすく、その避けるという行為に関してはどうやら得意らしい。何せ私、目はいいほう。日本にいたころにも物差しキャッチなどで物差しを一度も落としたことが無いのがちょっとした自慢だったりしたのだ。ヘンリーからも動体視力についてはお墨付きを貰ったほど。
だからリーグお兄ちゃんの突きを交わすのもようやくできるようにはなってきた。といってももちろん一瞬でも集中が途切れるとそこで終了。目が乾くくらいにしっかり開けて、剣先の動きを見逃さない。
それでもまだ手加減しているリーグお兄ちゃんから木刀を奪えたことはないのだ。
繰り出される突きを右、左、右、右、下、と避けていく。避けながらも少しずつ間合いを詰めていく。同じ年であってもほかの1年生に比べてもちろん私は小柄な方。女の子だからね?
だからこそ相手の振りの隙に飛び込み、間合いを詰め一気に叩く。小柄な体型と、相手の大柄な体型が組み合わさるからこそ生きてくるこの戦法。だけど、間合いを詰めるのがいつも上手くいかない。
右、下、右、左…下
……あれ、左振りの時少し返しが遅い?
何度か相手をしてもらって気づいた。左振りからの次の動きがリーグお兄ちゃんに合わせたリズムから微妙にズレるのだ。
上、右、左……
「そこ!!」
一瞬の隙、左から降られた木刀は右側、その左はぽっかりと空いている。私はその空間めがけて飛び込むと、着地した足に力を込めて体を切り返す。そして木刀に力を込めた。
「……っ!」
少し驚いた顔のリーグお兄ちゃんを見て、ためらった。もし顔に当たったら? 傷をつけたら? 人を、傷つけたことなんて……一度もないのに?
ドクン、と脈が大きく跳ねた。人を自分の意思で傷つけてしまうことに恐怖を抱いた。木刀を握っていた手から力が抜ける。
そのためらいがリーグお兄ちゃんの態勢を整える時間を与えたようだ。飛び下がったお兄ちゃんが私の手にある木刀を弾き飛ばした。
「あ……!」
ごとん、とさっきよりも重たい音がした気がした。地面に転がる木刀をじっと見つめる。ヘンリーからも、お兄ちゃんからも何の言葉も飛んでこない。
そのまま呆然と座り込んでいると、私の横の抜けてヘンリーが木刀を拾い上げた。
「今の踏み込みはとてもよかった。あのまま切り返していればリーグから木刀は奪えた。……でも、ためらったな」
「……」
「なぜだ」
「ごめんなさい」
「なぜだ、と俺は聞いている」
「……ッ、お兄ちゃんを、傷つけるかと思って」
小さい声で答えると、ヘンリーは怒鳴り声も、叱責も呆れもなく、ただ一言
「今日はここまでだ。明日は休みにする」
といって、そのまま何か言いたげなリーグお兄ちゃんを伴って去っていってしまった。
私はただ一人呆然と、その場に座り込んでいた。
「リドリー」
「ん? 今日は練習じゃないのか」
翌日、私は休みを言い渡されたため、図書館にいたリドリーの隣へと座った。
「実は……昨日ね」
リドリーなら私のこのもやもやを晴らしてくれるかもしれない、という期待の元、昨日の出来事を話した。
始めは本を読みながら聞いていたリドリーは、話し終える頃には本を閉じ、真剣な眼差しで私を射抜いていた。
「リリス、リリスは甘いよ」
「うん……」
「俺が言わなくても自分でわかってると思うけど、あえて俺に聞いてきたってことは、まあ誰かにそういってほしいんだろ。お前は甘い、甘ちゃんだよ」
思わずうつむくと、リドリーがそれを許さない、というように私の頬を手で挟み無理やり顔を上げさせた。
「騎士っていうのはさ、国を背負って国のために戦う存在だよ。もちろん命を懸けて戦うことも、人を傷つけることも、時には味方を切り捨てることだってある。リリスはまだ小さいし、女だからそういうことあんまり考えないだろうけど、騎士というのは命のやり取りを最前線で行なうんだ。これからその心得も精神もこの学校で学んでいく。そうして心身強くなった奴だけが騎士になれるんだ。リーグ兄さんも、ヘンリーも、そうだよ」
「うん」
「リリスは人を傷つけたくないんだろう。それなら騎士にならなければいい。騎士じゃなくてもお酒は飲めるよ」
「え!?」
リドリーの言葉に私は目を丸くして見つめた。
「気づかないと思った? 俺もリーグ兄さんも気づいてる。まあ、母さんと父さんは気づいてないけど。……それこそ、例えばヘンリーと婚姻関係になれば好きなだけ、といかなくてもそれなりの酒は飲めるよ。無理に騎士なんてならなくていい。女は、自分を犠牲に騎士になることはないんだ」
「でもルチアは精霊使いよ」
「精霊使いは前線で戦わないからね。危険だけど、騎士より危険はぐっと少なくなる」
「……」
「リリスがお酒を飲みたいから騎士になる。という気持ちなら、その程度の覚悟なら、俺は騎士なんかやめてしまえ、と思う。たぶん、ヘンリーも同じ気持ちだ。ヘンリーは、この学校でも主席を収める実力がある。騎士になるということに対する想いもプライドも高い。だからリリスのそういう生半可な覚悟が見えて、いやになったんだと思う」
「覚悟……」
「それでも……リリスにいろいろみんなが教えるのはみんながお前に期待してるからだ。その才能と努力に、期待を持っているから。ヘンリーも父さんも、母さんも、兄さんも……俺も。女だけど、リリスは騎士になるって言った。そしてここまで自分の努力で突き進んできた。でもまだ戻れる。進むか、戻るか。それを決めるのは俺でもヘンリーでも兄さんでもなく、リリス自身だ」
私は何も言葉が返せず、口を噤んだ。
少々、考えは甘かったのかもしれない。騎士というものをファンタジー世界のかっこいい存在、としか考えていなかった。
でも違うのだ。そこにはもちろん命のやり取りがあり、誰かを殺すことだってあるのだ。それができるのだろうか、そこまでしてお酒を飲みたいのだろうか。
「……」
私は一瞬考えた。お酒のために人を殺す? そんなこと私にできる?
そう思うと、自分の選んだ道にぞっとした。これから国のためといってみんなが人を殺していくかもしれないのだ。私は国に忠誠を誓うつもりはない、お酒には忠誠を誓うけども。
『私は絶対立派な騎士になってみせるわ、あなたと一緒に。その時にはルチアも一緒にお花屋さんになりたいって言える世界になっていればいいよね』
かつて自分がルチアに言った言葉を思い出した。
私が自由にお酒を飲み、ルチアが花屋さんをできる世の中を作る。それはそもそもの世界の在り方を変えなければできないけれど、そこに少しでも近づくことはできる。
(覚悟は、決めたはず。これは私だけの夢じゃないのだから……!)
私の目に光が戻ったからか、じっと私を見つめていたリドリーが優しく笑ったのが見えた。




