21杯目 すれ違う悪意と謎
「今日、この日を迎えられたことを、この国に豊かな風をもたらしてくれた精霊ベイメールに感謝し、この葡萄酒を捧げよう」
遠目でしか見えないものの、ヘンリー様が用意してくれた席はほかの一般市民より少し上へ設置された席。王城のテラスに現れた国王陛下とその家族がよく見えた。もちろん我がクラスが誇るレーニア王子も少しめんどくさそうな態度で、ほかの王族に交じって後ろに控えていた。
太陽の光を受けて、レーニア王子の銀髪が美しい光を帯びている。ほんと、こんな遠めからなのに、周りの貴族のお嬢様たちからは感嘆の声が漏れている。まあ、そのくらい王族って言うのは美しく、気高い存在なんだろうね。私は王のグラスに注がれる葡萄酒にしか目がいかないけど。
にしても王族の大半は銀髪で、金色なのは嫁いできた王妃様だけに見える。国王様の血、濃いなぁ……。
「今後もこの国の豊かさを願い、ヴァルフォーレ!」
声高々に国王様がいうと、グラスに注がれたガーネットのような輝きを放つ葡萄酒は、国王様が少しだけ飲み、そしてそのまま空へと撒かれた。
ひええ、もったいない!!!そんなことするなら私に飲ませてよ!
ていうか、赤ワインなんてシミになるのに気にならないのかな。と思ったものの、お祭りだからそんなこと気にする人はいない。そもそも気にする人のために用意されているのがこの貴賓席だ。だからもちろん私たちの席までは空にきらめいて落ちていく星屑みたいなワインの雨は降り注ぎすらしなかった。
一滴くらい、口に入れさせてほしかった!
でもこれで確信に変わった。お酒はあるんだ、この世界に、ちゃんと存在してる。
今はまだ飲める立場にないけれど、でも私の目指す先にはちゃんとお酒が待っている。こんなに心が躍ったのはこの世界に生まれ変わってから初めてのことかもしれない。どうしよう、ドキドキしすぎてなんだかくらくらしてくる。私お酒を飲んだ気になって酔っぱらってるのかしら。いやいやそんなまさか。
でもベイメール祭が仮面をつけてくるものでよかった。でなければきっと、私の興奮した顔をヘンリー様に見られていたに違いない。貴重な貴族との友情をそんなことで壊したくはないしね。私の数少ない友達だから。
「じゃあ、行こうか。この祭りの名物屋台通りへ」
「はい! お兄様たちもきっとそこにいるんですよね」
「ああ、たぶん。人の波にもまれていなければ、だが……」
そう言って貴賓席から立ち上がろうと、ヘンリー様が私の手を取った瞬間、すぐそばで私の名前が聞こえた。
「あの女、本当に嫌だわ」
「女?」
「リリアリス・エイヴィヤードよ。汚らわしい、猿みたいな女」
「ああ、あの女ねぇ」
びく、っと体に力が入る。ヘンリー様はただ黙って、握っている手に力を込めた。仮面の奥に見える目が静かに見つめてくる。何か言いたそうな、それでいて少し責めるような目でじっと私を見るその目から、私は目をそらすこともできず、黙っていることしかできなかった。
「あんな野蛮な女が々学校にいると思うと、吐き気がするわ」
「いたぶっても、罵っても、表情一つ変えないんですもの」
「気持ち悪いわ」
はあ……とわざとらしいため息が聞こえてくる。間違いない、いつも私を罵ってる貴族の女生徒たちだ。声でわかる。
私一人ならともかく、ヘンリー様やリーグお兄ちゃん、リドリーには絶対知られたくない上に、聞かれたくなかった。まさか彼女たちも、貴族のみが入れる貴賓席に私がいることや、貴族に私と親しい者がいるなんてこと思ってもいないんだろうなあ。
「面白くないわね」
その中でひときわ冷たい声が耳に届いた。首謀者の、寮で一番爵位が上のお嬢様だ。興味ないから名前は覚えていないけれど……いつも人を見下して自分についてくる取り巻きに指示をしているだけのいやーな女であることはよく覚えてる。
「まあでも、あらかた終わらせてしまったわよ、ユリア」
「そうねえ……なら髪を燃やせばいいのよ」
思わず体に力がこもる。髪を燃やす?そんなこと平気でさらっとなんで言えるの。
「それは、さすがに……」
「騎士を志してるならあんな長い髪邪魔なだけでしょう。親切心よ、感謝してほしいくらいだわ」
くすくす、と声が聞こえる。耳に残る嫌な声だ。思わず俯いた私の手から、すっとヘンリー様の手が離れる。どこへ、と思い顔を上げると、ヘンリー様は噂話をしているその女子軍団へ近づいて行った。
「レディたち、あまり大きな声で噂話はよくないよ。せっかくのきれいな姿も、それでは台無しだ」
「……! あらやだ、ごめんなさい。聞こえてたかしら」
「女性が女性の髪を燃やすなんてあまりにも穏やかじゃないからね」
「失礼しました。ご忠告感謝いたしますわ」
小声でそう話をしているのが聞こえ、戻ってくるなりヘンリー様は黙って私の手を取って貴賓席から足早に連れ出してくれた。
しばらく無言で歩き続け、祭りのにぎやかな通りを抜けて、少し静かになったところで、ようやくヘンリー様は手を離してくれた。仮面を外し、厳しい表情で私を見ている。眉間にしわを寄せ、なぜかヘンリー様が傷ついたような悲し気な顔をしていた。
「さて、今のは一体どういうことか聞かせてくれるよな、リリス」
私も仮面を外し、静かに見つめ返す。そしてしばらく見た後、視線を足元へと落とした。
「……いいえ、ヘンリー様にご迷惑をかけるわけには……」
「迷惑、迷惑じゃないという次元の話じゃない。聞いてしまった以上俺はリーグに話すぞ」
「やめてください! 兄様たちには、知られたくないんです。これは私の問題です。私が自分の道を決めたうえでぶつかる問題の一つにすぎません。どうか、私の力でどうにかできるまで黙っていてください」
このくらいどうにかする。出来なきゃ、騎士になんてなれない。これは自分の道を自分で切り開くために必要なことなのだ。お酒を飲むという自分の夢を叶える小さな過程に過ぎない、きっと。
真剣に見つめてヘンリー様の手を握っていると、大きなため息とともに頭を振られた。
「わかった。だが、放っておくことはできない。何かされて、もう手に負えないと思う前にきちんと俺たちに相談するんだ」
「わかりました」
「それと、黙っておく代わりに条件がある」
「条件?」
「簡単なことだ」
にやりと笑みを浮かべてヘンリー様が私の耳に唇を寄せる。ひえええ、待って待って何する気なの!
「俺のことを呼び捨てにする、そして敬語を抜きにする」
耳元でささやかれる、低すぎない心地の良い声に思わず身構えていた体から力が抜ける。
「わ、わかりました。でもすぐには難しいです……少しずつ慣らしていきます。それでもいいですか」
「構わない。堅苦しいのは嫌いなんだ。じゃあ、祭りに戻ろう。折角の祭りだ、精霊になりきって自分を隠し楽しもう。これはそういう祭りだしな」
また私たちの顔を仮面が隠す。手を引かれて人ごみに紛れると、なんだかひどく安心する。自分を取り巻くものを全て隠して、忘れられる。私がリリスという人間であるということも、騎士を目指している女であることも、女であるのに精霊の力を持たないことも、何もかもがこの仮面ひとつで隠れてしまう。それが今の私にはひどく心地よく、落ち着く空間だった。きっとこの仮面をつけている人の中には私のような気持ちを持っている人が少なからずいるんだろうな、となんとなくそう思った。
今逃げることは簡単だ。お酒をあきらめることも、騎士になることをあきらめるのもとても簡単。私が、やめますと一言いえばきっとみんなは受け入れてくれる。でも、それはなんとなくやってはいけないという気持ちになる。
自分の道は確かに今日見えた。お酒は目指す先にちゃんとあるんだ。だから、私が歩こうとしている道は間違ってはいない。まあ、多少遠回りをしている気もしてきたけれど。おとなしく貴族の奥さんにでもなっていればもう少し楽にお酒にありつけたかもしれないけど、まあそこはより面白く困難な道を進んで、達成感を味わうためってことにしておこう。
「カーライン様、お待ちください」
「だって、興奮するでしょ。日本じゃこんなお祭りやってなかったし。あんな暗い森にいたら元気もなくなっちゃうよ」
「ニホン、とやらがなにかわかりませんが、カーライン様はそのニホンがお好きですね」
「そりゃーね、僕の前世の生まれ育った国だしね!」
すれ違いざまに聞こえた声に、思わず私は立ち止まり、振り返った。はぐれないように手を握っていたヘンリー様も立ち止まる。
「どうした、リリス」
声をかけられるが耳に入らない。必死に目を配らせて声の主を探すが、各々派手な服装に身を包み、仮面をつけた状態で見つけられるわけもなく、私が確かに聞いた声の主は、人ごみの中に紛れて消えていったようだった。
「リリス?」
「すみません、知り合いの声に似ていて。でも見失ってしまいました」
今聞いた言葉が本当なら、今すれ違った人は私と同じ、転生してきた人なのかもしれない。そうだよね、私が転生してきているんだもん、私のほかに転生してきている人がいてもおかしくないよね。
この世界で、何も知らずに記憶を持って生まれたのは私一人だけだと思ってた。もしそうじゃないとしたら、ちょっと会ってみたい気がする。会って何をするとかはまだわからないけれど、興味あるじゃない?
ドキドキと脈打ち火照った体を冷ますように、秋風ベイルーフが通り過ぎていった。




