10杯目 まさかの結末
仲良くなったルチアと手を取り合いながら、森の中を進んで数十分。突然視界が広がった。
まるで森をくりぬいたようなその空間の奥にはとても大きな樹が、世界を支えるかのように強く太い根をあたりに張り巡らせている。その樹に潤いを与えるかのように、澄んだきれいな湖が広がっていて、その周りはみずみずしい緑と美しい白い花に囲まれていた。
木々が空を覆っていないこの空間にはあたたかな太陽の光が、金粉のように舞い落ちてきている。この空間だけ、まるで母親の腕の中のように温かい。まるで世界が姿を得たかのように、世界に生まれ落ちた私を歓迎するような安心感と温もりに包まれる。
すぐに分かった。ここが留魂儀の会場だ。
「ルチア」
「おかあさま」
「いらっしゃい」
先についていたルチアのお母さんはとても厳格そうな人だ。顔はにこりともせず、ルチアを見ている。手を繋いでいた私を見るなり、ようやくにっこりと笑顔を浮かべた。でも私にはわかるぞ、これが作り笑いってことが!
「あら、お友達?」
「はい、さきほどしりあった、リリスさんです」
「さきほどルチアさんとしりあいました、リリアリス・エイヴィヤードです、よろしくおねがいします」
エリスママに教えてもらった挨拶をすれば、少しばかりルチアのお母さんの目が見開かれた。なんだろう、何か間違ったかな。不安げに伺っていると、あとからやってきたエリスママとルチアのお母さんの目が合う。一瞬の沈黙とお互いがお互いを探り合うような視線。そのあと、ほとんど同時に、その目に輝きが宿った。あれ、この流れは知り合い?
と思った瞬間、エリスママとルチアママが駆け寄って手を握り合った。
「エリス? エリスなのね!」
「ルーティア! すごく久しぶりだわ! 学校以来じゃない!」
どうやらやっぱり知り合いだったみたい。感動の再会の喜びようにしては控えめなところが、常にマナーを気にするエリスママらしい。少し怖い印象だったルチアママの表情がどんどんと緩んでいく。ルチアはこんなに柔らかな母親の姿を見るのが初めてだからか、少しばかり驚いた顔をしていた。
「久しぶりね、まだ騎士学校で教鞭を?」
「ええ、ル―ティアは? 地方騎士団の方とご結婚されたんでしょう?」
「精霊使いは引退したわ。今は主婦をしているの。子どもが5人いるのよ……」
「それは大変……。ルチアちゃんはルーティアの子ならきっとすごい精霊使いになれるわね」
「エリスにはいつも敵わなかった……。だからきっとリリスちゃんの方が優秀な精霊使いになれるわよ」
まあ、話の流れから察するに同級生で親友で、ライバルってところかな……。それよりも私がびっくりしたのは、エリスママが騎士学校の先生をしていること。毎日出かけていたのは女子会とか奥様会とかではなく、騎士学校に勉強を教えるためだったんだ。知らなかった……。そっか、リーグお兄ちゃんが家にいるときはエリスママもだいたい家にいる。この世界の休日の周期は週2回。地球と同じだ。その1週間の内の2日間は確かに家にリーグお兄ちゃんもいるし、エリスママもほとんど家にいる。出かけても買い物、とかリールパパを迎えに行く、とかいう短いお出かけだけだ。あんまり気にしてなかったから気づかなかった。
「エリス、受付しなければ」
このまま女子トークが始まりそうだった空気を見事にリールパパがぶった切っていく。さすがリールパパ……これから何が起きるのかよくわかっていたみたいだ。声をかけられたエリスママは私をちらりと見ては、優しく微笑んだ。……エリスママ、ちょっと留魂儀のこと忘れてたでしょ、今顔にそう書いてあったよ。
「ええ、そうね。ルーティア一緒に行きましょう」
「ええ、もちろん。さあルチア、いくわよ」
「リリスも。いらっしゃい」
こうして母親の感動の再会を目撃しつつ、私はルチアと共にまた手を繋いで留魂儀の受付へといった。
受付では多くの子供たちが集まっていた。全員手のひらにこの国の国旗の印を押されている。私とルチアも受付を済ませると、手のひらに国旗スタンプを押された。このあと簡単な説明があるらしい。ということで集められた全員が、少し緊張した面持ちで湖の前で待機していた。
そして数分後には、恰幅の良い白髭のおじいさんが前に進み出た。瞬間子供たちの間に起きていたざわめきが一瞬にして止まった。
「今月4歳を迎えた君たちに、意思の大樹の祝福と護りを授けよう。まず、湖の近辺に咲いている白い花、ユグ・ラシルを一輪詰み、その蜜を飲み干す。蜜を飲んだものから一度この湖に体を浸し、身を清め、それが終わったものは加護を受けるために神石に触れること。なお、騎士を志す者は神石に触れるだけではなく、持ち上げること。
そして君たちは誠に幸運だ。なんと今月、この国の第二王子であらせられるレーニア様も4歳の誕生日を迎えたため、本日共に儀式を執り行う。さぁ、レーニア王子、こちらへ」
王族を見るのは生前も含めて正直初めてだった。テレビでニュースの皇居の映像とかはよく見ていたけれど……。ということで初めて見た王族は、やはり存在が違うな、と思わせるような神々しさと威厳を持ち合わせていた。
艶やかな銀色の髪を高く一つにくくっている。一瞬見ると女のようにも見えるほどの美しい顔をしている。細めのキリっとした目と、整えられた細い眉のバランスが絶妙にいい。顔のパーツは一つ一つが整っていて、配置のバランスもよくまさにこれぞ非の打ちどころなし、という感じに見える。本当に同じ4歳なのか、と思うような威厳が見えるのに、そこによくある偉そうなふんぞり返った雰囲気はない。王子というより王子様。正直、世界一のイケメンはリーグお兄ちゃんと思っていたけれど、顔だけ見れば断然王子の方が美しかった。
もちろんこんなイケメンが出て来たら4歳といえど女子は魅了されてしまう。私以外のほとんどの女子は、王子を見て目にハートを浮かべていた。もちろん、ルチアも。あ、私?私は別に……花より団子。イケメンよりお酒、な女なので。というよりさすがにあそこまで完璧だと逆に隣に立ちたくもないから関わって生きていきたくない……。まあ、リールパパみたいな国家騎士団に所属すれば必然的にかかわることになるんだろうけど。
王子は私たちに丁寧に一礼すると、流れるような動作で儀式の流れをやって見せた。もちろん神石も持ち上げる。遠くから見ているだけだったけども、神石の大きさは私が思っていたよりは大きくはない。それでも4歳児には重たいと思うけど……。
儀式を済ませたイケメン王子は早々に護衛に囲まれて、どこかへ去っていった。たぶんあの護衛が国家騎士団の人たちなんだろう。いいな……あの人たちはお酒飲めるんだ……。
「リリスさん、いきましょう」
ぼーっと騎士の人を目で追っていると、ルチアに突然声をかけられる。気づけばみんな白い花をもう摘みに取り掛かっていた。
私も湖のそばに咲いているユグ・ラシルを一輪摘む。花の蜜を飲むなんて小学生の時にツツジの花の蜜を飲んだ時くらいだ。今では考えられないことをしてたよね、小学生の時って。まあ、これは儀式の一環だから大丈夫なんだろうけど。と思って花の蜜を吸うと、私が想像していた倍の量が口の中へ流れてきた。ほんのちょっとだと思ってたけど、それよりはちょっと多い。そして甘くて冷たい。まるで何かの果実のジュースを飲んでいるような味がする。なんと例えていいのかはわからないが、ベリー系でもないし、柑橘系でもない、バナナとかそういうのでもないし……しいてまだ近いというならスイカ、かなぁ。といってもそれもまたちょっと違うような。
なんて思っていると、ルチアがまた私を呼んだ。ルチアちゃんって意外とせっかちなのかな。そして導かれるままに湖へ体を浸す。これ12月の子とか苦痛でしかないじゃん、って思っていたけれど、いざ体を浸してみるとびっくりした。ちょうどいい温度なのだ。熱くも冷たくもない。ちょうどいい温度。冷たいと思って体を浸したからちょっと脳みそが混乱して、一瞬フリーズしたけれど大丈夫。だってここは異世界、変なこととか理解できないことが起きても仕方がない。にしても本当に不思議。これが意思の大樹の力なのかもしれない。
そしていよいよ神石を持ち上げる番だ。神石は全部で3つ用意されていて、各々好きな場所に並ぶようだ。別に特にぱっと見違いはないから、私とルチアは空いているところに並んだ。ドキドキして心臓が口から出てきそうだ。もし持ち上げられなかったら?今までの努力が水の泡になるどころか、私の人生考え直さないといけなくなる。
何度も深呼吸を繰り返しながら、目の前で同い年の子が次々と神石に挑むのを凝視していた。
石の大きさは、そこまで大きくない。自分の知っている知識の中で例えるなら、伏見稲荷大社の重軽石、だっけ。あんな感じ。修学旅行でいったっきりだからあんまり明確な記憶はないけど、あの石くらいの大きさ……な気がする。
それを持ち上げる男の子と触れる女の子。持ち上げる女の子は今のところ見ていない。女の子はだいたい触れるだけ。触れると人によって色は変わるが、女の子はだいたい強い輝きを見せる。男の子の中には光らない子もいたけれど、そういう子はたいてい持ち上げている。どっちでもない子は騎士になる気がないのだろう。例えば家がお店だったり、農家だったり……そういう家庭もきっとあるにはある。だからみんなが騎士にならなくてはいけないわけではない。
次はルチアの番。当然持ち上げはしない、触れるだけ。ルチアが神石に触れると今までの子と比べ物にならない光があふれだした。強く輝いているのは青色の光。その次は緑、桃色。3色も光ってすごいんじゃないかな、これ。周りの見守ってる大人たちからも、歓声が漏れる。ルチアもどこか安心したような、うれしいような顔で笑っていた。
「リリアリス・エイヴィヤード」
「はい」
「汝に意思の大樹に宿る神々の加護を。我らは皆この大地の子なり。さぁ、触れてみなさい。神々が貴女の道を示すでしょう」
いよいよだ。私は先ほどまでルチアが触れていた神石の前に立った。そしてリドリーが教えてくれた通りにいい距離感を取って、神石に手をかけて力を込める。
上がれ!!!
私の予想より石は重かったが、持ち上げることには成功した。周りから歓声が上がる。が、それは次第にざわめきに変わっていった。なぜなのかは私でもわかる。石が光らないのだ。
「もうよい、神石を下ろしなさい」
「え……でも、ひかって……」
「光らないということは能力が備わっていないということだ。さあ、下ろして。騎士学校入学の手紙を渡す。後ろの子に代わって」
これは予想外だった。
まさか光らないなんてことがあるなんて。リーグお兄ちゃんもリドリーも光ったことは話に聞いて知っているし、エリスママがすごい精霊使いであることも知っている。なのに、私は光らなかった……男の子より女の子の方が精霊の能力を持ち合わせているはずなのに、私は光らなかったのだ。これは喜んでいいのか、悲しむべきなのかわからない。エリスママはどう思っているのだろうか。私はエリスママの期待には応えられないのだ……。
「おかえり、リリス」
「ちゃんと持ち上がったじゃないか、すごいよリリス!」
家族の元に戻ると、全員が温かく迎えてくれた。リドリーもリーグお兄ちゃんもめいっぱい褒めてくれるし、喜んでくれている。それでもなぜか私の心は晴れなかった。俯いた顔をあげることができない。石は光るものと思っていたのだ。光るのが当然だと。
「おかえりなさい、リリス」
「おかあさま……あの、わたし……ごめんなさい」
口から出たのは謝罪だった。精霊使いの教鞭を取る母親に対しての申し訳なさが胸に広がる。こんなことになるなら聞かなければよかった。聞く前は光るだろうな、くらいの感覚だったけど、エリスママが教鞭を取るくらいすごい人と知って、光って当然、なんならルチアより光るかも、なんてうぬぼれていたのだ。自分が恥ずかしい。
「謝らないで、リリス。あなたはあなたの夢を自分で手に入れたの。これはすごいことよ。神々は貴女に騎士になる道を示したの。貴女は騎士になるために、生まれてきたのよ」
「おかあさま……」
「よくがんばったわね、偉いわ」
そう言ってエリスママは私を優しく抱き寄せる。
「立派な騎士になって、応援しているわ」
優しいエリスママの言葉に私は力強く頷きを返した。私は騎士になる道を手に入れたのだ。精霊に通じる力が無くても、私には騎士になる道が残っている。
私は必ず立派な騎士になる。なってみせる。お酒のためと、そして自分自身のため、応援してくれるみんなのためにも。
こうして私の留魂儀は幕を閉じた。




