第92話 悩み事
「あれから、何もないな…」
訓練からの帰り道、夕焼けに染まる空を見上げながら俺がそう呟くと、
「またそれ?」
うんざりしたように、隣でトウジがそう言った。
「でもさ…」
と、俺が続けようとすると、
「アンジ、しつこすぎ!」
今度は、後ろから別の声が聞こえてきた。
少女の声。
振り返らずともだれだか分かる。
あの日以来、俺達の訓練に付いて来るようになったカイナだ。
何故そうなったのか。
理由は、…あったような、無かったような。
忘れてしまった。
しかし、カイナ本人は、忘れていないだろうが、改めて聞くのもめんどくさい…。
特に問題も無いし、このままでいいと俺は、思っていた。
きっと、トウジもそうだろう。
俺達三人は、同じ定めを背負っているのだから。
あの日、ホウキ達がこの園から去った後、俺達はそれぞれの部屋へ戻り、そのまま床へ着き、翌朝を迎えた。
そして、朝食を取り、園長らと共に、シシカドへ向かった。
もちろん、カイナを迎えに行く為だ。
あの時の園長の顔は、きっと忘れる事は無いだろう。
そして、園に戻って来て、カイナは全てを園長の口から聞いた…はずだ。
『はず』なのは、俺も、トウジもその場にいなかったから、正直わからない。
でも、きっとそうだろうと、何となく俺は思っていた。
あの後のカイナの顔は、それを物語っていたのだから…。
それから一週間位経ってからだったであろうか、カイナが同行するようになったのは。
「今度は急に黙ってどうしたの?」
「別に…」
「なにそれ?変なの…」
「変なのって…」
「まぁまぁ、二人共落ち着いて」
俺とカイナの会話にトウジが冷静に口を挟む。
昔から変わらない、日常の会話の流れ…
自然と皆、笑顔になっていく。
唯一変わっているのは、俺達の置かれている状況だけだろう。
「一体何が楽しいんだかな…」
その光景を数歩後ろから見ている男がポツリと呟く。
「なんだろうね。…きっと『何』っていうのは、無いんじゃないかな?深い意味なんてきっと無いと思うよ。リョカだって子供の頃には、そんな時があったんじゃない?」
「さぁ…どうだったかな」
「さぁ、って。覚えてないの?」
「そんな昔の事、いつまでも覚えてる訳ないだろ?タイラ、お前覚えてるか?」
「いや、まあ多少は…」
「でも、多少だろ?」
「そう言われると、そうですね」
一緒に歩いていたタイラは、困ったようにそう言った。
「ほらみろ、タイラだってそう言ってるじゃないか」
「はいはい、そうだね」
ハクさんは、呆れたように答えた。
「それはそうと、カイナの事…だけど」
ハクさんは話題を変える。
「今日もまた頼まれてたみたいだけど、どうするの?」
「…」
「リョカ?」
「なんだ、俺に聞いてるのか?」
「他に誰がいるのさ」
「誰って」
そう言いながら、リョカは、タイラの方を見る。
しかし、彼は『自分じゃない』と、言わんばかりに首を横に振った。
「リョカでしょ。一応、真面目に聞いてるんだけど」
ハクは、不機嫌そうにそう言った。
「なんだよ、冗談だろ?冗談。そんな怖い顔するなって」
「じゃあ、真面目に答えてよ。どうするのさ、この先?」
「…じゃ、真面目に答えるが、正直迷ってる」
「へぇ。意外だな。リョカの事だからもう決めてるのかと思ってた」
「馬鹿言うなよ。まあ、確かにあの子が男だったとしたら、きっと迷ったりはしなかったと、思う」
「じゃあ、カイナが女の子だから迷ってるって事?」
「…まあ、そうだな」
「それもまた意外だな」
「何言ってるんだ。当たり前だろ?まあ、お前なら抵抗なく教える事が出来るかも知れんが、俺には、…難しい。何をどう教える?相手は女で素人だぞ?」
「確かにそうだね」
「それに、俺が人にものを教えるんだぞ?どう考えても普通じゃないだろ?」
「…そう言われれば、そうかも」
ハクが、驚いた顔をしてそう言うと、
「おい、そこは否定しろよ」
リョカは、呆れた顔をしてそう言った。
「だったら、ハク、お前なら何を教える?」
「それは、…そう聞かれると、確かに困るね」
「だろ?」
と、その時、
「それなんですが…」
今まで黙って二人の会話を聞いていたタイラが口を開いた。
「実は、私に思い当たる事があるのですが…」
リョカとハクは顔を見合わせた後、タイラの方を同時に見た。
「大したことじゃ、無いかも知れないんですけどね…」




