第90話 砂時計
「カイエンか…」
彼は無造作に伸びたあごひげを右手で撫でながらそう呟く。
「懐かしい名前だな。確かに以前は、その名前だったか…。だが、今はもう既にその名は捨てた…。私の名はコウエンだ。これから変わることは無いだろう…」
「なるほど、コウエンか…。しかし、同じ名前であっても、私の知っているコウエンではないということか」
「無論、そういうことになるな。いや、そもそも、何故その様なことを確認する?何の意味があるというのだ?まさか、何も知らなかったとでも言うつもりか?」
「まさか…か。確かに、この会話は何の意味もないのかもしれん…しかし、それはお互いの取りようであろう。意味があるのか無いのか、お互い知るよしはない。そうではないか?」
「なるほど。そう言われるとそうかもしれん。私にとっては、他愛のない事だが、…エスカ、お主にとっては意味のある会話だと…そういうことか…」
「…」
エスカは何も答えなかった。
「無言か、では私から今度は聞こう。いや、聞くまでもないであろうが…私がここに来た理由は分かっているのろう?」
「…もちろんだ」
「ほお、分かっていたにも関わらず、逃げもせずにここに居るとは、まさか何か策でもあるというのか?」
「そのようなもの、あるわけなかろう」
「確かに、愚問であったな。『サキヨミ』の力以外に、貴様が何か持っていた記憶など一切無いからな」
「しかし、コウエンよ。その力を求めてここへ来たのは、一体誰だ?」
エスカがそう尋ねると、二人の間にしばらく沈黙が漂う。
「そもそも、コウエンよ。お主は何か勘違いをしているようだな」
「勘違い…だと?」
「そうだ」
「ほう。一体どう勘違いしていると言うのだ?是非とも教えてもらいたいものだな。それとも、それは言えないか?」
「まさか。教えることに何も問題など無い」
「そうか…では、ご教授頂きたいものだ」
そういうと、コウエンはエスカに向かって、うやうやしく一礼をした。
「…私には、人の行く末が見える。しかし、あくまでも見えるだけなのだ。そしてそれは一つではない。行く末は一つではない。数多ある…何処へ向かうのかは人それぞれ…それは当人の決めることなのだ。私にはなんの決定権もない。それは、時として良くもあり、悪くもある…」
そう言いながら、エスカは机の下から砂時計を取り出した。
「コウエンよ。これが何か分かるか?」
「…どう見ても砂時計にしか見えないが、違うとでも言うのか?ただ形が少し変わっているな」
コウエンがいうように、この砂時計にはくびれた部分が二つあった。
「左様。これは、砂時計。いや、別に意味など無い」
そう言って、エスカは机の上にそれを置いた。
「…話を戻そう。コウエンよ。例えるならば私が知り得る未来を、この中の砂の数としよう…しかし、その中で最良の結果など、この砂粒一つあるかないか…」
そして、エスカは口を閉ざし、じっと砂の落ちる様子を見ていた。
砂時計のくびれた部分は、上下で大きさが違う作りになっていた。上から落ちてきた砂は中段に徐々に溜まっていき、更にそこから、また少しずつ下へと落ちていた。
「それでも、この力が欲しいと、お主は思うか?」
コウエンの目を見つめながら、エスカはそう尋ねた。
「…それがどうした?」
と、コウエンは一笑し、
「人の行く末など、私には関係の無いこと。気になど止めぬ。それに、その力をどう使うのかは、私が決めること。貴様に気にされる必要などない」
「このまま帰るつもりはないということだな?」
「無論、そのつもりだ」
コウエンがそう答えると、
「そうか…、では仕方ない。お主が望むのであれば、この力、くれてやろう。だがな、その前にもう一つ付け加えておこう」
「まだ何かあるというのか?」
「まあ、そう焦るな。そう悪い話ではない。もし仮に、たどり着きたい終着点があるとして、そこまでの道筋が分かるようになる方法があるとすれば…お主はどうする?」
「知れたことを…それがあるとでもいうのか?」
「もちろん、それが私の『サキヨミ』たる由縁。そして、これがその道標となるものだ」
そう言いながら、エスカは机の上にある水晶を撫でた。
「そうか…ではそれも頂くことにしよう」
コウエンは薄い笑みを浮かべながらそう言った。




