第107話 射程距離
『リョカさん、タイラさん以外での手合わせって、よく考えてみたら初めだ……』
リョカさんに言われるがまま、ムロク隊長と対峙しているアンジには、そんな事を考える余裕があった。
もちろん、二人以外での手合わせは初めての為、緊張はしている。
しかし、アンジにはこの状況がリョカさんとムロク隊長のやり取りから、何となく想像出来ていた。
『きっと、リョカさんは最初っからこうするつもりだったんだろうな。だから、ハクさんを連れてこなかったんだ』
多少の怒りが込み上げてくるが、今それを言ったところで何も状況は変わらない。
『そうは言っても、せっかくの機会だし、ひとまず集中しよう』
アンジはそう思い、刀を握った手に力を込めた。
「おい、あんまり力むなよ」
少し離れた所から、リョカさんがそう声を掛けてきた。
返事をすることなく、アンジは一つ深呼吸をし、肩の力を抜いた。
『よし行こう』
勢いを付けて、前へ出ようと思ったが、アンジは踏みとどまった。
「あの……構えないのですか?」
両手を交差したまま動かないムロク隊長の事が気になり、思わずアンジはそう尋ねた。
「気にするでない。もう構えている。早く来るがいい」
彼女は、口だけ動かし答える。
『そう言われてもな……』
アンジは戸惑っていた。
こちらへ武器が向いていない状況。
リョカさんと素手で組み手をする時でも、拳がこちらを向いていた。
全く違う、全く初めての状況。
『どうする…………』
二人の距離は、アンジが普段リョカさんやタイラさんと訓練する時より離れていた。
もちろん、タイラさんとの場合の方がより離れていたが、今はそれより三歩はゆうに離れている。
『とりあえず、間合いを詰めないとしょうがないな』
このままでは何も出来ない、そう考えアンジが一歩踏み出そうとしたその時、
バシッ!!!!
と、大きな音がする。
アンジが視線を足元へ向けると、そこで砂煙が舞っていた。
そのまま、再びムロク隊長の方へと視線を戻すと、さっきまでとは構えが変わっていた。
両腕の交差は解かれ、手に持っていた物が見える様になっていた。
『あれが、ムロク隊長の武器なのか……』
両手に持たれたそれは長く、手元から地面に着き、彼女の足元にで渦を巻いていた。
「良かったな。隊長は、『わざと』外してくれたぞ」
と、再びリョカさんの声が、耳に届いた。
気を抜いていた訳ではないが、全く見えていなかった。
『これから先は、ムロク隊長の射程距離ということか』
そう思うと、次の一歩を出すのに、アンジは躊躇した。
色々と思考を巡らすが、結局たどり着くのは、
『自分の間合いまで近付かないと何も出来ない……か』
アンジは腹をくくり、今いる場所から彼女の方へ間合いを詰める決心をする。
それは、普段の距離。
リョカさんといつもやっている、自分の刀の届く距離。
そう考え、アンジは一気に距離を詰める為、勢いよく走り出した。
その時、彼女が右手を後ろへ返すのが見えた。
それに追従するように、足元のそれが動く。
『次が来るのか?どうする?止まるか?』
その考えをまとめる暇もなく、彼女は右手を鋭く前出す。
すると、砂煙が上がり、アンジの方へと何かが勢いよく向かって来た。
『何か』、もちろん、ムチだった。
アンジは、左側から襲ってきたそれをかわすことが出来ず、強く鋭い衝撃を左の脇腹辺りに受け、右側へ二回、三回と横転した。
脇腹から背中へかけて激痛が走り、アンジは直ぐに起き上がる事が出来なかった。
一度にこのような広範囲に痛みを感じた事は、今までなかった。
「何やってんだ。早く立て!次が来るぞ」
その声を聞き、ムロク隊長の方へ目をやると、彼女の左手が先程の右手と同じ動作を始めていた。
『まずい!!』
そう思い、アンジはその場から更に一回横へと転がる。
と、同時に今までいた場所へムチが打ち付けられていた。
その様子を見て、アンジ急いで立ち上がった。
脇腹の痛みは引いていない。
しかし、それが引いてしまう事を待ってはくれないことが、今の一撃でよくわかった。
耐えて、近付き、接近戦に持ち込む他ない。
ひとまずアンジの頭には『逃げる』という選択肢はなかった。
『とにかく一振り打ち込んでやる!』
アンジの闘争心に火がついた。