第10話 無力
たった今、目の前で生まれたそれは向こうでタイラ隊長と戦っているヒトツキと、なんら変わりは無かった。
いや、間近で見ると俺達よりも一回りは大きいことが分かる。
なによりも本当に顔が無いことが分かると、より一層不気味に見えた。
こんなやつとタイラ隊長達は戦っているのか。
いや、今はそんな事を考えている場合ではなかった。
今はこの状況をどうするか、どう切り抜けるかを考える事が先決だった。
とりあえず逃げなくてはいけない。
そう思い、ちらりとトウジの方を見る。
トウジは目の前にいるそれを見て青ざめ、怯えていた。
冷静でいるようには、とても見えなかった。
『俺がなんとかしなきゃ』
頭の中ではそう思っても、どうすればいいのか分からず行動に移せない。
それに、目の前にいるヒトツキへの恐怖も加わり、尚更動けなかった。
そうこう考えている時、ヒトツキの顔がこちらを向いている事に気付いた。
俺達は更に危険な状況になってしまったようだ。
脳裏に先程の男の人達の光景が浮かんだ。
頭の中で『早く逃げろ』と叫ぶ自分がいる。
しかし、動くことが出来ない。
だが、状況は更に悪化していった。
なんと今度はヒトツキの口元が動きだしたのだ。
それは先程、通りの方で見た動きと全く同じだった。
「や、やばい」
あの動きは…危険だ!
再びあの光景が脳裏に浮かぶ。
そして恐怖のあまり、呼吸が早くなっていく。
俺も冷静ではいられなくなっていた。
『伸びるな!伸びてくるな!』
俺は何度も頭の中で叫んでいた。
しかし、その願いが叶うことはなく、事態は更に悪い方へと進んでいった。
ついにヒトツキの口元からあの細い管の先が見えた。
そして…
その管は俺の方へと向かって伸びてきた。
それはほんの僅かな時間だったはずだが、俺にとっては、恐怖を幾重にも倍増させる程、長く感じられた。
『もうだめだ…』
俺は恐怖のあまり、目を閉じた。その時、
「アンジ!」
そうトウジの声が聞こえたかと思うと、通りの方へと強い力で弾き出された。
その勢いで俺は背中から地面に叩きつけられた。
背中に痛みが走る。
だが、そのおかげでまだ生きている事が実感出来た。
『俺達、助かったのか?』
そう思い、隣にトウジの姿を探す。
が、いない。
まさかと思い、すぐさま路地へ目を戻す。
「…!!」
俺の目に飛び込んできたその光景に思わず絶句した。
俺がさっきまで立っていた場所にトウジがこっちを向いて立っていた。
どうやらトウジが俺を通りへ押し出してくれたようだ。
おかげで俺は助かったらしい。
だが、トウジは違っていた。
うつむいたまま動かない。
なぜなら、トウジの背中には俺の胸に刺さるはずだったあの細い管が刺さっていたのだ。
「トウジ…」
俺は震える声で呟いた。
だが、返事は返って来なかった。
いやだ。
こんな事あってはいけない。
俺だけが助かるなんて事あってはいけない。
「トウジ!」
俺は大声で呼びかけた。
すると、今までうつむいていたトウジの顔がゆっくりと上がり、俺の方を向いた。
「トウジ!」
俺は再度大声で呼びかけた。
すると、にっこりと優しい笑みを浮かべ、
「よ……かっ………た」
それだけ言うと、糸が切れたように深くうなだれてしまった。
「おい、トウジ!トウジ!」
幾度となく呼びかけても、それ以上返事は返って来なかった。
トウジの背中に刺さっていた細い管が脈打つのを止めた。
そして、その管はトウジの背中から抜かれ、ヒトツキの元へと戻り始めた。
管を抜かれたトウジは膝から崩れ落ち、うつぶせの状態に倒れた。
『じゃあ、もし、僕に何かあった時には、よろしく頼むね。未来の『シシカド隊長』さん!』
笑いながらそう言ったトウジの言葉が、俺の頭の中で何度も去来した。
俺は約束を守る事が出来なかった。