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竜狩人の軌跡  作者: 北国
3/4

飛竜の襲撃

読んでいてくれている人どころか、存在を認識されているかどうかも疑問。


宣伝ってどうするのかな……




 その姿は巨大な蝙蝠のようでもあり、同時に蜥蜴か蛇のようでもあった。蝙蝠のように長く伸びた前肢から生えた巨大な被膜を精一杯に大きく広げている。威嚇のようでもあり、捕食の為に構えているようでもあった。


 体は大きく、それだけで二頭引きの馬車と同じぐらいに大きい。そこに巨大な翼が加わり、倍以上の巨体に見せている。


 草色の鱗に覆われ、太い後ろ足で体重を支えながら長く太い尾が音をたてて地面を叩いていた。それだけでも恐ろしいが、蜥蜴を十倍以上強暴そうにした恐ろしげな顔は大きく口を開け、真っ赤な口腔内に生え揃った白い牙は人間も馬も諸共に軽々と噛み砕くだろう。


 小さなエンシなどは、それこそ丸呑みにされてもおかしくはない巨大さだった。竜は一度頭を少しばかり引くと、その大きな口を更に大きく開けて雷鳴のように吠えた。


 目の前にいる人も馬もすくむどころか吹き飛んでしまいそうなとてつもない咆哮は、彼らが走り出すきっかけになったそれだった。


 父親の予感は正しかった。


 息子が雷鳴のように思ったのは遥か彼方の竜の叫びであり、風のような音は竜がこちらを目指して飛んでくる風切音だったのだ。


「……っ……っ」


 大咆哮を受けて魂まで縮み上がり、人も馬も区別無く彼らは石のように固まってしまった。全く身動きがとれなかった。 


 この生き物の事を、父はよく知っている。


 有角翼竜ヴィルクス。


 この世界でも特に有名な竜の一種だ。


 巨大な翼を駆使して自在に空を飛ぶ飛竜の代表格であり、竜と聞いて人が連想するのは概ねこの竜だと言うくらいに名が知られている。繁殖力と環境に対する適応力が高く、雪が多い北方以外は海も山も平地も関係なくどこにでも生息する肉食の竜で、大型種の中では特に個体数が多い。


 口からは人間を簡単に消し炭に変える球状の火を噴き、鱗はそこらに出回っている刃物は何一つ通用しない程に硬いと戦闘能力も高く、毎年のように多数の人間が犠牲になっていると聞く。


 今、犠牲となった被害者リストに自分たちの名前が書き加えられるのだと彼らは諦めの境地にさえ達していた。それが楽なのだと腕から力が抜ける。


 後はせいぜい、馬と自分だけで満足してくれと願うばかりだった。


 こちらの様子を観察しながらゆっくりと近づいてくる怪物を前にして、彼は自分の死を前提として考えていた。できれば、それほど飢えていなければいいなと。


 同時に、諦めから奇妙に落ち着きを取り戻してしまった彼の脳は、それも無理かもなと考えていた。


 目の前で涎を垂らしている竜は、有角翼竜と名付けられているが頭のどこにも角がない。せいぜい、後頭部に伸びる鶏冠のような部分があるだけだ。


 それは雌だからである。全ての生き物に言える事だが、雌の気を引くためにオスは角を生やしたり体色を派手にしているもので、逆に雌は子育ての際に外敵を避けるべく地味な色合いのものが多い。竜もまた例外ではない。

 

 そして雌と言うのは雄よりも体が大きい種類が多く、彼の知識ではヴィルクスもその範疇なのだ。つまり、その分食べる。

 

 ヴィルクスのような女、とは昔からこの土地で大食いの女を意地悪く笑いはやし立てる悪口の類だ。初めて耳にしたときは適当に聞き流したものだが、今となっては冗談であってほしくてたまらない。


 いっそ、冗談のように消えてくれ。


 そう願っても何も変わらず、何故だかゆっくりと歩み寄ってくる。どうしてそんなにゆっくり来るんだ。一思いに殺してくれ、それができないならいっその事、腰のナイフで自分の喉を突いてしまおうか。


 そこまで考えて、彼は思いついた。


 どうせなら、食われた時にこいつの口の中でも刺してやる。そうすれば、痛くて息子までは食えないだろう。


 父親はゆっくりとナイフを抜いた。腰に触れた時に、こんなに怖いのに失禁も脱糞もしていないのが不思議だった。いっその事、匂いで竜が興味を無くせばいいのにとも思ったがさすがに無理だろう。獣は糞便が詰まっている内臓でも大喜びで食うんじゃないのか?


 それなら、せめて息子の前で格好良く死ねるのだからずっとマシだ。


 おい、息子。親父は恰好よく死んでみせるから、せめて見届けてくれよな。


 声も出せない男はそう格好つけて馬と馬の間に降りた。我が子との距離をちょっとでもいいからとっておきたかった。そこで座り込まないくらいに足に力が入っているのが、自分でも不思議だった。


 自分が息子を守る為に命を懸ける。英雄願望に酔っていると思ったが、それでいいとも腹を決めた。


「ぬぅああああっ!」


 最後に、精一杯声を張り上げて突撃する。竜の雄叫びに張り合うつもりで叫んだと言うのにみっともなく裏返った声が出た事が恥かしく、そんな自分を警戒どころか不思議そうに見ている飛竜に情けない気持ちになる。命を懸けている事が滑稽と笑われているように思えたのだ。


 今の自分は、どんな顔をしているのだろう。いっそのこと、竜の口に飛び込むつもりで走りながらそんな事を考えた。せめて、みっともなく泣き叫んでいるような顔ではありませんようにと願い、彼は竜の牙と比べてはあまりにも貧相なナイフ一本を振りかぶった。

 

 竜はもちろん、人間の決意も悲壮さも考慮しない。ただ無造作に、自分に向かってくる生き物を餌として扱うだけだ。


 一人の男が持つ父親の矜持などあっさりと噛み砕くべく迫る真っ赤な口は、それ以上に赤く鉄臭い液体でさらに鮮やかに染まるだろう。


 一巻の終わり、それはまさに今……のはずだった。


 しかし竜の口は血には染まらず、それどころか目の前の餌を無視して街道横の山林へと急に目先を変えた。


 それに気が付きもせず悲鳴のような叫びを挙げながら竜へと突進し、転がるようにナイフを顔に突き立てた男だったが、たとえどれだけ悲壮な決意を籠めようとも現実は無情にナイフを持ち主ごと弾き返した。


 竜の鱗は鋼のナイフを突き立てられても傷一つつかない。まるで壁にぶつかったように弾き返された彼はそのまま尻餅をついて、そこでようやく竜がそっぽを向いていると理解した。


「へ……?」


 彼の攻撃が無力だとしても、それを無視するなどと生物としてあり得るだろうか。例え攻撃だと理解さえされなかったとしても、火を噴いてまで止めたかった自分が目の前にいるというのに手を出さないなんてあり得るのか。


 竜の習性など知るよしもないが、おかしい事だけは分かる。


 だが血の上りきった脳みそは、一瞬以上の時間をかけてからようやく気が付いた。


 竜は彼を無視しているのではなく、別の何かに注目している!


 まるで、気が付いたのを待っていたかのように何かが木陰から飛び出してきた。それは黒と白の交じり合ったような大きな塊にしか見えなかった。動きが速すぎて、一介の行商人に過ぎない目では追いつかなかったのだ。


 その塊は目にも止まらないスピードで竜へと飛び掛かっていった。あまりの速さは野生の獣である竜にも追いつけなかったのか、竜は横っ面に塊の突撃を諸に受けてしまう。


 巨体が倒れるような事はなかったが、さすがに怯んだ様子で竜は二、三歩後ずさる。謎の塊はぶつかった反動で馬車のそばにまで飛んできた。


 そこで、ようやく周囲にもわかった。塊の正体はちょっと見ないくらいに大きな犬だったのだ。


「なんだ、一体」 


 自分こそいったいなんだ、と思いながらまるで救世主のように現れた颯爽たる獣を見つめる。


 およそ、彼の知る犬とは様々に違いが大きな生き物だった。


 まず第一に、大きさが全く違う。彼の知る犬と言えば、近くの牧場で飼っている大型犬だが、それよりもはるかに大きい。目測だが、肩の高さが彼の腹よりも高くせいぜい腿までの牧羊犬と比べて格段に大きい。


 体格もそれに応じるようにがっしりとしており、たくましい力強さが目に見えてわかる。黒白の二色の体毛、三角形で頭頂に立った耳、突き出した鼻が、まるで人による品種改良の手が一切入っていない野生の狼だったが、首輪をしているので犬だと判断した。正確には首輪と言うよりも頑丈そうな革のベルトが上半身を覆うような形で二重三重に巻き付いている。ベルトには様々な形の金具やホルスターがついており、今は持っていない何かを運搬する役割があるのだとわかる。


 それにしても、なんという勇敢な犬か。


 いかに大きいとは言っても犬は犬でしかない。竜と比較して大きさの違いは圧倒的でさえあった。牙の一噛みで真っ二つになり、尾の一振りで彼方にまで飛ばされる程度でしかないにもかかわらず、その牙へと突進していくのは感動さえ覚えるが、それは人の意見であって竜にしてみればただの無粋な乱入者でしかない。


 圧倒的な強者である自分に対して不遜にも牙をむく犬に向けて、誅罰を与えるかのように吠える。それに対して犬もまた吠えた。


 下に向かって雷鳴のように吠える竜に対し、それを切り裂くように天に向かって犬は吠えた。伸び上るように高く、音楽的にさえ聞こえるそれは、蹂躙される惨劇の登場人物から観客へと立ち位置を変えた父親も初めて聞く遠吠えだった。


 今が月夜でない事が惜しまれるような伸びやかな遠吠えは、どこまでも高く高く伸びていきやがて風に乗って消えていく。


 それが一頭と一匹の闘争を開始するゴングとなった。


 竜が生意気な犬を噛み砕くように首を伸ばして襲い掛かる。しかし、犬は俊敏にそれを躱して大きな声で吠えたてた。


 更に竜は襲い掛かるが、それもまた躱す。更に繰り返し何度も首を伸ばすが、犬は竜を中心にして半円を描くようにかわし続け、自分どころかベルトにもかすめる事さえ許しはしない。


 大きさが圧倒的に違う分、俊敏さではやはり犬の方が勝るのだ。竜を翻弄する様子に、後ろにいる馬車の一行は今のうちに逃げ出せるかと希望を見出した。


 それに対し、竜はいらだちを募らせていた。明らかに自分よりも小さく、いまだに最初の体当たり以外は吠えるばかりで近づく事さえしないような臆病者にいつまでも手こずっている。


 今の竜の感情を人間のそれに当てはめれば、いらだちと怒りだ。ちょろちょろとうっとおしい小癪な生き物に対して、はっきりと殺意を感じている。


 竜は首を伸ばすのをやめて、大きくのけぞった。隙だらけになる事は本能的に理解しているが、吠え叫ぶだけのちびすけなど気にすることはない。


 来るなら来い。よしんばかみついてきたところで、犬の牙など自分の鱗には通じないだろうとたかをくくり、竜は喉の奥から最後の手段を放つ事を決めた。


「ひい!」


 それを見て、御者台に乗ろうとしていた男は足を踏み外すほどに仰天した。何をしようとしているのかは一目でわかる。ヴィルクスをはじめとした竜の大部分は口からそれぞれの武器を放つのだ。


 竜が火を噴く事などそれこそ子供でも知っていると、さっき彼の息子その人が口にしていた事だ。


 そして、その口は明らかに彼らの方を向いている。犬が俊敏によければそのまま当たるし、命中すれば竜を引き付ける相手がいなくなる。それどころか、皆まとめて竜の吹く火に焼き尽くされるかもしれない。


 古来より伝わる、竜の吐く炎はこの世で最も熱いのだとは一体どこまでが本当の事だろうか。いや、誇張がどれほどのものだとしても木造の馬車一台を焼けないはずがない。


 大きく開いた口の奥が真っ赤に燃えるのが見える。それが涎のようにしたたり落ちれば、自分達が絶命する苦悶のスタートになるのだ。


 食われるのも、焼き殺されるのもそれぞれに苦しい最期に違いがない。最悪から逃れられるかと希望を見出した途端に、最低の死に方が待っているなどあんまりではないか。


 理不尽であるような、しかしてこれも一つの当たり前の結果である死に向かって一組の親子と一対の馬が今度こそ突き飛ばされようとしている。竜にも挑む猛犬は竜に向かって吠えかかるばかりで、竜はもはや意にかえしさえしない。


 彼は恩知らずかつ当然な感情の発露として、犬を恨んだ。彼か彼女かもわからないが、こちらを救う義務などないとだけはわかりきっている相手に、それでも理不尽な逆恨みを抱いた。あるいは竜そのものより恨んだかもしれず、霊魂と言うものが実在するなら悪霊になって犬を憑り殺していたのかもしれない。


 しかし、彼らの運はいまだに尽きてはいなかった。


 風を切る音が再び彼らの耳に届き、何かが後ろから高速で飛んできたのだ。それは竜や犬のそれとは違い、ともすれば聞き逃してしまいそうな一瞬だけの短い音だった。


 思わず振り向いた彼の後ろで、大きな叫び声が上がった。


 竜が吠えたのだ。しかし、それは今までの声とは大きく異なる感情が籠められていた。威嚇でも憤りでもない、苦痛を形にして発散した声だった。


 慌てて振り返れば、なんと左右に首を振る竜の口内に一本の大きな矢が突き刺さっているではないか!


 さしもの飛竜も火を噴くなどできるはずもなく、これまでに感じた事などないだろう巨大な激痛を紛らわす為に暴れまわる事しかできないようだ。


「あ……う……?」 


 もしや、まさかと今度こその希望が胸に生まれ、形に出来ない心情が意味の無い音声になって出てくる。


 それに応えるように、馬車の背後から力強くも軽快な足音が聞こえてきた。


 音をたてて振り返る。後ろに竜がいようと構いもしないで振り返った視線の先には異装の男が一人、こちらに向かって疾風のように駆けてくるところだった。


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