行商人の親子
この話は、某呪われた島のような古き良きファンタジーと怪物狩人ゲームのような要素を取り入れて描かれている、どこか古くさく懐かしいような雰囲気を漂わせる作品に……なっていたらいいなぁと願いつつ書いている作品です。
山間のちっぽけな道を、二頭引きの馬車が一台ゆっくりとしたペースで進んでいた。
幌を付けているが粗末な造りの馬車は、くたびれた様子を隠さない葦毛の馬達に引っ張られてえっちらおっちらと進んでいる。
ごろごろと鳴る車輪の音もまた、ささやかな小鳥の声が聞こえる程度の静かな山道では奇妙に大きく響いて引っ張っている馬たちの眠気を誘っているかのようだ。
時折後ろを振り向いては、こんな馬車など放り出してしまおうかと不穏な相談をするように鼻を鳴らしているが、幸い今のところは実行に移すつもりはないようで、結局前を向いて足をのったくったと進めている。
「なぁなぁ、父ちゃん!」
そんな馬たちの苦労など知った事ではありませんと言う風に呑気な声が、幌馬車の中から甲高く響いた。
うるさいなぁ、と視線で抗議をする二頭の視線が交差する先には、一人の中年男が馬と同じような顔をしつつ御者台で手綱を握っていた。
「なんだ、エンシ。ここらはおっかねぇから大声を出すな」
「だけどさ、ここってあの“竜の巣”なんだろ!?」
注意が耳を素通りしていることを証明しながら、幌馬車の奥から御者台へと一人の少年が顔を出した。彼がエンシだろう。
十歳くらいのこまっしゃくれた顔が御者台にいる男とよく似ている事から親子である事は一目瞭然だが、生憎と父の気持ちは通じていないようでさらに大声を張り上げる。
「でも、ぜんぜん竜なんかいないじゃん。見てみたかったのに」
「いてたまるか!」
悲鳴を上げた父親は、自分の事を棚に上げてうるさそうにする息子を見てどう思ったのかゆっくりと手招きした。
「こっちに来い、エンシ」
「説教も拳骨も嫌だぞ」
生意気盛りの言葉だったが、父の腕力の前には無意味だった。息子に父の威厳を拳で叩きこむと、彼は重々しく説教を始めた。
「いいか、エンシ。ここじゃあ今みたいなバカな事を言うな。とんでもない目にあうぞ。ここは“風潮”じゃない“竜の巣”なんだ」
「なんだよ、別に口に出したからって竜がやってくるわけじゃないだろ」
「来てたまるか! 人間の通る道は竜の縄張りを避けて作られているし、念のために獣除けの香草を植えてある。竜だって嫌がる匂いでぷんぷんしているんだ。でなけりゃ護衛もなしに旅なんて出来ないぞ」
「だったらどうして拳骨なんだよ!」
とにかく親の言う事に逆らいたい年頃のエンシは、子供らしく唇を尖らせる。そんな息子をため息交じりに見下ろして、父は頭をかいた。
「勉強になるかと思って連れてきたが、やっぱりお前にはまだまだ早かったようだな。母さんが正しかった。お前は“竜の巣”の事をちっともわかっておらん」
「なんだよ、俺だってちゃんとわかってるさ。こっちに来る前に勉強したんだ」
息子が憤慨すると、父親は引っかかったと言う顔をして彼を見下ろした。
「ほう、それなら勉強の成果を見せてみろ。“竜の巣”ってのはどういう所だ」
いらない事を言ってしまった、と悟ったエンシだが小ばかにしている父親の顔を見るとムキにもなる。
「竜の巣ってのは、要するに海向こうの竜が住んでいる島の事だろ。余所にはいないけど、この島にだけは竜がいる。竜ってのはトカゲの王様で、羽が生えていてすっげぇデカくて、そんでもって火も吹くんだ」
どうだ、と自信満々の息子に、父親は努めて冷たく不合格を言い渡した。
「なんでだよー!」
「間違えている所も、浅いところもある。そもそも全然足りなさすぎだ。商人の息子として。父さんの仕事についてくるんなら商売の事が全くないのは困った話だぞ」
そんなの知るもんか、とふてくされる息子を少し甘やかしたいところだが、最近腕白が過ぎると言う話も耳に入っており、少し頭を使う事も覚えさせるべきだと気持ちを改める。
「いい機会だから、少し覚えておけ。さっきみたいな“竜を見てみたい”なんて阿呆な事を言ったらここらに住んでいる人に怒られるぞ」
「なんだよ、それくらいで文句言われるのか」
「お前にとっちゃ珍しい程度の生き物でしかないかもしれないが、実際のところ竜ってのはとんでもない生き物なんだ。こっちの人たちはそれをよく知っている。気軽に見てみたい、なんて言える安っぽい生き物じゃないって事だ」
「ちぇ」
ふてくされる息子は父が細かいだけだと思い、父も父で子供の言葉にムキになるのは同じ子供ぐらいしかいないだろうとは思っていた。ただ、日ごろから息子は口が軽いのでそこらを少し戒めるつもりで言ったのだ。
「ついでだ、少し“竜の巣”を教えてやる。帰ったら友達に自慢できるぞ」
「んー」
ふてった様子だが、友達に自慢ができると聞いて素直に耳を傾ける。
「そもそもこの“竜の巣”は島じゃない。島なんかじゃ狭くて竜は生きていけないものだ。もっとずっと大きくて、小さな大陸とも大きすぎる島とも呼ばれている。俺達が暮らしている“風潮”のあるバルバラ大陸以外にたった一つだけある大陸だ。小さいって言ってもバルバラの四分の一くらいはあるんだぞ」
息子は頭の中で“よんぶんのいちってなんだ”と思ったが、口に出すほど迂闊ではなかった。
「やっぱり島じゃん。島と大陸ってどう違うのさ」
「大きさの違いだ、まぜっかえすな。そして、今お前が言ったように名前の通り竜が住んでいる事で有名だ。世界中、何処を探してもほとんどいない竜だがここには何十種類もいて、数なんか数え切れないほど暮らしている。さっき言った火を噴くだの空を飛ぶだの以外にも、色々な竜があっちこっちにいるんだ。空の上にも、水の中にも、ひょっとしたら土の中にもな」
「へえ」
興味がある話題なんか、大人しく感心している。聞き手の子供がそう言う顔をすると、嬉しいのは話し手の大人だ。
「どんなのがいるのさ」
「一言でなんて言い表せれるものか。大雑把に言えば、腕が翼になっている飛竜種、後ろ足が大きくて二本の足で走り回る陸竜種に、首が長くて水の中に住んでいる水竜種か? けどそれぞれ千差万別だからな、相当に数は多いし今言った特徴に全く当てはまらないのもいるぞ。もっと知りたければそれこそ勉強するんだな」
「ちぇ、結局勉強か」
「そうだ、結局勉強だ。それこそ、この“竜の巣”にはこの“竜の巣”にしかない特別な物が幾つもあり、それが我々商人にとって重要な飯のタネになってくる。お前もそれだけは忘れるなよ」
特別なもの、と言うフレーズには誰しも弱いものだ。子供でもそれは例外では無い、それどころか目を輝かせて先を促す。
「特別って、どういう物があるのさ」
「ここは竜だけじゃなくて、他の獣も魚も虫も、もちろん草木も凄いのさ。皆大きい、強い、食えば美味い。ここでしか採れない特殊な鉱石もあれば、余所じゃ貴重品なのにここじゃ有り触れている物だって幾らでもあるくらいだ。神話じゃあ、神様が竜をここに閉じ込める代わりに竜が暮らしやすい住処にしたからだって言う話だ……ほれ、あれもそうだ」
父親が指さした先には、エンシが今までに見た事の無いような大きな木が何本も生えていた。まるでそれだけで山になっているかのような光景は感動的でさえある。
「うわー、何あれ! 雲に届きそうじゃん」
「そうかもな。アレは千年樫って奴でここにしか生えていない大木だ。ご覧の通り、あれだけで山みたいに見えるくらいに大きい。あの木はたくさんの生き物の巣であり、木材としても最高級品で鉄よりも固い上に燃えないとまで言われている。あれで作った船や家は、千年先まで現役だなんて嘯かれているのさ。最も、固すぎて伐採にも一苦労って話だけどな。でかいし」
そもそも雲に届いて見えるような大木など、下手に伐ったら大惨事になりかねない。よって、基本的には枝を切るのが普通である。例外的に木が枯れるなどの自然と倒れかねない非常事態のみ伐採を行い、その際には一大行事として盛大に祭りをするのだ。
「お祭り! いつやるの?」
「そうそうやるもんじゃない、あんなでかい木がそうそう枯れるわけないだろう」
大きいからこそ寿命が近いとも言えるのだが、父の言葉によく分からないなりの説得力を感じたエンシは素直に残念がった。
「他にも薬草なんかは凄い。不治の病の特効薬も大体がここで発見されているし、余所に生えているものと同じ種類でも効果が全然上なんだ。“竜の巣”産と言うだけで何もかもが高級品と考えてもらっていい」
息子にしてみると、とにかく凄いんだなとしか通じていないのが悲しいところだが、そこまで思い至らない父親は熱弁を振るっている。
「それに、技術力も凄い。船も馬車もこっちの方がずっと出来がいいし、人が空を飛んだりもするんだぞ?」
「そら? 空って、あの!?」
息子の仰天顔に得意げな顔をする。それが気にならない程度にエンシの度肝は抜かれている。
「気球って言ってな、大きな袋に人が乗る籠をつけて袋の中に軽い気体……空気を詰め込む」
「?」
息子がよく分からないと顔中に書いているので、しばらく頭を悩ませる。
「どこかで見る事が出来ればいいんだけどなぁ。空飛ぶ竜を見張るのに使うんだから、あんまり見る機会はないんだ」
「父さんはあるの」
「前に来た時に一度だけな。人だかりが凄かったぞ。空に浮かぶ事は出来るけど、動く事は出来ないから、頑丈な綱で縛っているんだ」
説明を聞いても何が何だか全く分からなかったエンシだが、それだけに好奇心は刺激される。いつか見てみたい、と思うものが増えた。
「後は、狩人だな。竜狩人。バルバラ大陸にいるそこらの狩人とは違う、竜みたいな危険な獣から村や町を守る為に戦う英雄達だ。とんでもなく強いそうだぞ」
想像も出来ない気球とやらへの夢想があっと言う間に押しやられる。英雄、竜を狩る狩人。その言葉は少年を何よりも引きつけた。
「英雄……強いってどのくらい!?」
率直で、しかし答えるのに悩むような訊き方だ。さて、どう答えるかと悩んだ父親の耳に何かが聞こえた。
お互いに口を閉ざしていたからこそ聞こえた、小さな音だ。ひょっとしたら、もっと前から聞こえていたのを話に夢中になって気が付いていなかっただけかも知れない。
「……」
ほんの一瞬、小さく聞こえただけだったので何が聞こえたのかは分からない。だが、どうしようもなく厭な予感という奴がした。
いつからだろう、小鳥の鳴き声は聞こえなくなり木々の間を風の通り抜ける音が不気味に感じられる。
御者台から聞こえてくる親子の会話をうるさそうに振り返っていた馬の様子も、心なしどこか不安そうに見える。
「どうしたのさ」
呑気なのは、父親の雰囲気が変わったのは察してもそれ以上は理解できないエンシだけだ。
「急ぐぞ」
何となく厭な予感がした。結局はそれだけであり根拠らしい根拠はないが、同時にここで馬に鞭を入れない理由はない。予感がただの的外れなら、それはそれで笑い話で済む。むしろそうなる事を望みながら、父親は馬に鞭を入れた。
馭者からの合図に馬も望むところだと速度を上げる。普段は見られない従順さと怯えを感じさせるその態度に、父親は自分の厭な予感が的を射ているとこの時点で確信さえ抱いた。
「わ!? ちょっと、急にどうしたのさ」
「静かにしていろ!」
全く空気が読めていない息子を、余裕を無くしつつある父は苛立ちを篭めて怒鳴りつける。すぐに怯んだ様は正に子供らしく、父親は大人としての罪悪感を覚えた。
だが、再度聞こえてきた音がそれを消し飛ばした。
馬蹄の音、馬車の車輪の音、どちらも大きくなったのに音は聞こえてくる。それはつまり、音が大きくなったと言う事だ。
「? なにさ、今の……なんか、雷?」
自分の耳に聞こえたそれが、息子の耳にも聞こえた。であれば、空耳と言うわけではないのだろう。間違いであればよかったのにと唇を噛みしめる父の形相に、息子は怯えて黙り込んだ。
それでいい、今下手に話しかけられたら怒鳴りつけない自信が父にはなかったのだ。
「くそ、くそ、こっちには来るな! 来るなよ!」
はっきりと聞こえたおかげで、危惧が具体的な形になった。父親は必死になって馬を走らせて音の方角を探る。
「また聞こえた、聞こえたよ。今度はなんだか違う音だけど、あれはなんなのさ!」
父親の必死の形相と、とうとう馬車そのものが壊れるんじゃないかと心配になるような速さで走っている事、そして今までに聞いたことがない全ての原因だろう不可思議な音が彼から生意気に振る舞う余裕を奪った。
本当に、今までに聞いたことがない音だった。
遠くから聞こえてきた最初のそれは、たぶんとても大きな音だったのだ。ごお、があ、とそんな風に聞こえてきた。遠くで鳴り響いた雷のようにも思ったが、どこか違う。
一回きりに聞こえたそれのせいで、父親の形相が変わった。エンシは理由もなく、音がとても恐ろしい事を示しているのだと思った。
そして、もう一つが続いた。風が強く吹いているような音だ。しかし、びゅうと吹いているのとは違うとも彼は思った。どうしてだか、聞いている内に尻の奥が閉まるような、歯の根が合わないような、どうしようもない気持ちになる。
怖い、とそれだけが彼の頭を支配した。
「大きくなってるよ、この音、後ろから大きくなってきてる!」
「黙っていろ!」
手が空いているなら殴ってでも黙らせたいと、父親にあるまじき事を思った。不安を覚えている幼い息子に対してひどい事を考えているが、なりふり構わない本音でもあった。
「畜生、なんでこんなところに……」
何の意味もないのかも知れないが、せめて息子を馬車の中に隠す。ひょっとすれば、馬と自分を食べれば満腹になるかも知れない。泣き出しそうな顔をどうにかして隠す為にも息子へ幌の奥に身を隠すよう指示しながら、父親は悲壮な覚悟を固めた。
そうするしかなかった。
既に不吉な音は、騒々しい馬車の音に紛れながらもはっきりと聞こえている。間違いない、これは自分達を目指しているのだ。
なんてこった。幾らここが“竜の巣”だからってこれはないだろう。
「なんでここに、飛竜がいるんだ!」
自分でも理解できない程にぐちゃぐちゃになってしまった感情のままに、大声で叫ぶ。
叫んだ後で恐怖から黙り込み、風の音がやんでいる事に気が付いた。一瞬、訳が分からなかった。呼吸を一つして、もしや逃げ延びたのかと言う可能性に気が付く。
そんなうまい話はないと予防線を張る自分と、きっと大丈夫だと、慌てたのも杞憂だったんだと喚く、もう安心したくてたまらない自分がせめぎ合う。
結論はすぐに出た。
突如、人間の葛藤など知るかとばかりに走り続ける二頭の馬の前がとんでもない轟音をたてて閃光と共に弾けたのだ。
馬はそれぞれ悲鳴を上げると後足で立ち上がってのけぞる。御者台に座って距離があったはずの父親もまた、音と光に目と耳が潰されて悲鳴を上げる事もできずに固まって混乱する。
何が起こったのかはまるで分らないし、そもそも何も考えられないが、それでもどうしようもない程恐ろしくて危険な事が起きているのはわかる。ただ、どうにも対処の方法が思いつかなかった。
感覚が潰されてしまった彼らの身体を強い揺れが襲ったが、それにも対処をするどころかそもそも一体何事が起きているのかを理解する事さえ出来なかった。
一瞬以上の沈黙が過ぎた後、どうにか視力と聴力を回復させた一人の人間と二頭の馬はすぐに回復そのものを恨んだ。彼らの目の前に、見たくもない物が聞きたくもない音をたてていたからだ。
彼らの前には、一頭の巨大な竜が馬車の道行きを塞ぐように……いいや、事実塞ぐ為に立ちはだかっていたのだ。