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鋼の巨神 バーニンガー   作者: 竜馬 光司
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第6話

今年の雪の結晶を手に入れるために集まったのは男性九人の女性が一人で合計一〇人。

参加者は木の塔から一〇メートル離れて待機する。木の塔の真下には登っている途中で落ちた時に怪我しないようにマットのような物が用意されていた。

炎が準備をしているとアッシュが近寄ってくる。

「やあ、炎。やっぱり君も出るんだな」

「どうもアッシュさん。アッシュさんこそ、その格好で出るんですか?」

炎がそう言うのも、アッシュはこれから高い所に登るのに、鎧とマントを付けたままだった。

「ああ、そのつもりだよ。なに俺は何回も取っているんだ。今年の参加者を見たらこの格好でも楽勝さ」

それはあからさまな挑発だった。

「……そうですか。じゃあおれがシュネークリスタを取ってアッシュさんを後悔させてやりますよ。こんな格好で参加するんじゃなかったー。って」

「アーハハハハ! いいぞ、その意気だ炎。じゃあ俺を後悔させる事ができるか勝負だ。悪いが妻の為にも、万が一負けることなどあり得んがな」

アッシュは高笑いしながら炎から離れていく。どうやらアッシュのスタート位置は炎の対極の位置らしく木の塔に隠れて炎にはアッシュの姿が見えなかった。

アッシュの挑発のおかげで炎の恐怖は薄らいでいた。

(ありがとう。アッシュさんのおかげで登れそうだよ。でもシュネークリスタはおれがもらう)

「それでは参加者の皆さん、準備はよろしいでしょうか?」

司会の言葉に参加者達が無言で頷く。

「それでは、よーい始め!」

その合図とともに参加者は一斉に走り出す。

木の塔にたどり着いた者は次々と木の塔を手と足を使って登る。

炎も勇気を振り絞り塔から出ている棒を掴んで登っていく。何人かはすでに炎より高い所にいた。炎は慌てて上に上がろうとしたその時。

「うわああああ」

悲鳴が聞こえ、炎が見上げると上から男性が炎の左側を上から下へ落ちる。炎はそれを目で追ってしまった。

ボスンという音がして、下に敷かれたマットに男性は包まれていた。

「はい、一名失格。あと九名でーす」

炎は絶対下は見ないと心に決めるのだった。


木の塔に登っているのは更に二人減って七名になっていた。男性は六名で唯一の女性は残っていてしかもトップだった。二位はアッシュでその後を五人の男が追っていく。

因みに炎はというと……。

「みんな早過ぎるよ」

一番下。最下位の位置だった。

炎も必死に登っていたが、いかんせん木の棒を手で掴み足をかけて登っていくこれがとても登りにくい。これを一五メートル、ビル五階分の高さを登っていくのだ。とても怖いしとても疲れる。

やっと半分を超えた辺りだろうか、炎はだんだん他の参加者に追いついてきた。

どうやら先の参加者は急ぎ登っていた為に疲労が蓄積してきて登るのが遅くなっていた。こうなると参加者達が考えることはひとつだった。

一部の参加者は散らばって登っていて、炎から見えるのは、男性二人と唯一の女性が登っていた。

「おい、お姉さん。スカートの中が見えちゃうぞー!」

「あら、ご忠告ありがとう。でも私はスカートの中にズボン履いてるの!」

そう言って女性がスカートの中を男二人に見せる。

ズボンを履いているとはいえ、女性のスカートの中を見て二人は固まる。その一瞬の隙を突いて男の顔面を右足で足蹴する。

「ぐわっ!」

悲鳴を上げて男は真っ逆さまに落ちていった。

「こいつっ!」

もう一人の男が女性の右足を掴む。

「捕まえた! このまま落としてやる!」

「はあ〜」

女性がため息をひとつついた。

「こんな女性を大切にしない奴にシュネークリスタは相応しくないわ」

女性が男の顔を見る。すると目が合った男は糸の切れた操り人形のように落ちていった。

「よし、大分脱落したね。さて彼は……」

そう呟いて、女性は彼を探す。

炎は女性達が一悶着している間に大分差を縮めて並走していた。

炎と女性の二人は並んで登っていく。何故か女性は炎より早く登れる筈なのに、だんだんと女性の登る速度が遅くなっていき、突如炎に話しかけた。

「後は頑張ってね。炎!」

「えっ?」

女性はそう言って炎の名前を呼ぶと自ら手を離して落ちていく。そして見事にマットに着地するのだった。

「何だったんだ。あの女性(ひと)?」

炎は一瞬考えたが、考えるのを止め、登る事に集中する。

(大分人が減ったはずだがら、このまま登れば……)

炎は一心不乱に登る。頂上が近づくにつれ塔に付いている木の棒が少なくなりちゃんと考えて登らないと頂上につかなくなってしまう。

炎は集中してひとつずつ確実に手と足を掛けていく。

(焦っちゃいけない。冷静に確実に急ぐんだ。焦ったら、逆に遅くなる)

そうは分かっていても、やはり焦る気持ちは出てくる。その気持ちを押さえつけ、一歩一歩確実に登っていく。

そして炎は、遂に頂上に手をかける。両手に力を掛けて、頂上に頭を上げると鉢に入ったその花が炎の目に飛び込んできた。

「あれがシュネークリスタ、あれを手に入れて、イーリスさんに!」

それは美しい花だった。雪の結晶という別名が付くだけあって、雪の結晶のように儚く、だからこそ出せる美しさは何者にも侵されない雰囲気を醸し出していた。

その花は、シュネークリスタは確かにそこに一輪、頂上まで登ってきた勇者を待っていた。

炎は頂上の縁から手を伸ばす。しかし届かない。

頂上に立たなければ、取れなそうだが、頂上には手摺も何もないので炎は登るのを躊躇ってしまう。

その隙を突いて、炎の視界にガントレットを付けた右手が現れ、残り一人の参加者が炎の正面に登ってきた。

「炎! そこに居ては取れないぞ!」

それは鎧を着てマントを纏ったアッシュだった。

どうやら残ったのは炎とアッシュの二人だけらしい。

アッシュは重い鎧も邪魔なマントも意に介せず、頂上に登る。

炎も慌てて頂上に登る。その時恐怖は感じていなかった。

「アッシュさん! この花は渡さない!」

「その意気だ。さあ来い!」

雪の結晶を真ん中に置いて、二人は両手を組み合って押し合う。

二人は塔から落ちる事を気にせず相手を落とそうと押す。

「炎。力に俺で勝てると思うのか?」

「思ってないよ!」

炎は押し合って拮抗していた状態から抜け出す。

ワザと力を抜いて、アッシュのバランスを崩し、自分の左足をアッシュの足の後ろに踏み込み、左肘でアッシュの肩を押す。水平投げだ。

投げ飛ばされたアッシュはそのまま頂上から落ち……るところを炎が手を掴む。

アッシュは何とか木の棒を使って体勢を安定させた。

「大丈夫ですか? アッシュさん」

「見事だ。俺の負けだ炎。その花はお前のものだ!」

「ありがとうございます」

一言炎に賞賛の言葉を贈り、アッシュは木の塔を降りていった。

炎は頂上にあるシュネークリスタの鉢を手に取り掲げる。

「決まりました! 今年のシュネークリスタを手に入れた勇者が決まりました! 皆さーん大きな拍手を勇者にお送りくださーい!」

シュネークリスタを手に入れた炎に対して広場に集まっていた人たちは惜しみない賞賛の拍手を送る。

「ど、どうも〜」

拍手をしている人々の中にはイーリスの姿も見えていた。……が、炎はひとつの事を考えていて頭がいっぱいだった。

(降りれないよ〜)


何とかアッシュに助けてもらいながら炎は地面に降り立つ。

炎が地面に降り立って最初に近づいてきたのはもちろんこの女性(ひと)だった。

「炎! おめでとうございます!」

イーリスは思いっきり炎に抱きつく。炎の全身を柔らかい感触と、甘い良い香りが包み込む。

「うわっ、イーリスさん。嬉しいですけど、恥ずかしいです」

イーリスは「す、すいません」と言って慌てて飛び退く。

炎はもう少しその感触と香りを満喫したかったなと思いながら、炎はイーリスにシュネークリスタを渡す。

「イーリスさん、この花を……イーリスさんの為に取ってきました。う、受け取ってください!」

「えっ、この貴重な花をわたくしの為に取ってきてくれたのですか? でも受け取れませんよ。そんな貴重な物」

「いえ、受け取ってください。そしてごめんなさい。この前イーリスさんを不快な気持ちにさせてしまって、本当にごめんなさい」

炎は雪の結晶をイーリスに差し出し、頭を深く下げる。

「……分かりました。この花は炎の思いが詰まっているのですね。わたくしその花を受け取ります」

イーリスは炎から雪の結晶を受け取る。

「ありがとう炎。そしてわたくしもごめんなさい。貴方を傷つけてしまいました。愚かなわたくしを許してくれますか?」

イーリスも炎に向かって深く頭を下げた。

「頭を上げてください、イーリスさん。お互いに謝ったし、もうこの事は解決、終わり。それで良いですよね?」

炎の提案にイーリスも頷く。目尻には涙をためて。

「はい! わたくしもそれに賛成です。良かった。これで炎といつもどおりの生活が送れます!」

そう言って目尻の涙を拭うイーリス。二人を祝福するかの様に光の粒子が二人を照らしていた。

「綺麗ですね」

「うん。綺麗だね」

こうして二人は仲直りができた。しかし炎にはそれと同じかそれ以上に大切な事を伝えようとしていた。

「イーリスさんあとひとつ話したい事があるんだ。聞いてくれるかな」

炎は意を決して、もうひとつイーリスに伝えたい事を伝えようとする。

「? いいですよ。何でしょう」

「あの、えっと、その」

炎はしどろもどろになり上手く喋れなくなってしまう。

「んー何です? わたくしに何を話してくれるんですか?」

イーリスは仲直りできてテンションが上がっているのか、弟に語りかける姉のように炎の言葉を待つ。

「えっとイーリスさん!……」

炎が言おうとしたその時、周りの人々が炎とイーリスに視線を注がれている気がしたが、気にせず一気に告白する。

「その、これからもきっと辛い事がいっぱいあると思うんだ。その時はおれを頼ってくれ。おれはイーリスさんのそばにずっといるから!」

「……はい。ありがとうございます。頼りにしてますよ。炎」

炎が伝えかった事は微妙にイーリスには違う伝わり方をしたようだった。慌てて炎は訂正しようとするがその前に予想外の事態に陥る。

炎とイーリスの周りに人が集まってきて次々と賞賛の言葉を贈ってくれる。炎にとってそれは嬉しいのだが、同時にイーリスに告白出来なくなってしまった。


人々にもみくちゃにされている炎達の輪に入らない人物の中には炎の知っている人物が何人かいた。

「すまんリーベ! 今年はシュネークリスタを取り逃がしてしまったー。許してくれー!」

そう泣きながらリーベに頭を下げて謝っているのはリーベの夫アッシュであった。

「はいはい。大丈夫。怒ってないから、ほら頭を上げなさい」

リーベはアッシュの頭を二、三度ポンポンと軽く叩き、頭を上げさせる。

ここ数年はアッシュとリーベで交互にシュネークリスタを手に入れてお互いに渡していた。

しかし今年は炎が手に入れたので、久々にシュネークリスタをリーベに贈る事が出来なくなってしまった。

「す、すまん」

まだしょげている王国防衛軍隊長を宥めるリーベ。

「でも、あなた。ちょっとハンデあげたでしょ?」

その一言でアッシュの顔が驚愕の表情で固まる。

「な、なぜそれを……」

「バレバレよ。いつもマントも鎧もつけて登らないじゃない」

そうアッシュは毎回これに参加する時は、マントも鎧もつけず身軽な格好で挑むのに今年は鎧とマントを着けて参加していたのだった。

「……すまん。でも負けるつもりはなかったんだ。あくまで炎と対等に……」

「分かってる!」

リーベの一言でアッシュは押し黙る。

「分かってるから、もうそれ以上言わなくてよろしい。それに見てみなさい。あの二人とても幸せそうよ」

「……そうだな」

「そっ、だからめでたしめでたし」

人々にもみくちゃにされている二人は離れないようにしっかりとお互いの手を握り合っていた。


もう一組、炎達の手助けをしたもの達が集まり遠巻きに炎達を見ていた。

「ふう、何とかなったわね」

「お疲れ様」

その二人は、木の塔に登っていた参加者唯一の女性と炎を後押しした緑の髪の女性だった。

「それにしてもその姿、よくばれなかったわね。髪の色とかそのままじゃない。ルゥナ」

「そんな事ない。この姿なら完璧にバレない。そっちなんかさっき魔法使ったでしょ。お母さん」

ルゥナが言っている魔法とはツールトが木の塔で男の一人を落とした時に使った魔法の事である。

「ありゃ、それは言わないで」

そう彼女達はヴェスジック王国の魔女ツールトとその娘ルゥナの魔法で変装した姿だった。

「ふう〜。あの二人はこれで大丈夫ね」

二人の魔女の頭上から声が聞こえてきた。

「あら妖精さん。お疲れ様」

「お疲れ様」

妖精さんと呼ばれた者の正体は勿論ナーシアの事である。三人はいつの間にか仲良くなっていた。

ナーシアは空からヘロヘロと蛇行しながら落下しルゥナの右肩に着地する。勿論ナーシアはAIなので疲労は感じていないのだが、光の雪を降らせた時にグレイムエネルギーを消費していてグッタリしていた。

「さっきの光の雪。妖精さんがやったんでしょう。どうやるのアレ」

「私も知りたい」

「あー、あれはね……やっぱり駄目。これはトップシークレット」

「そっか、きっと凄い高等魔法なのね」

「残念」

「ごめんね〜」

二人の魔女は納得してくれたが、本当の理由はただ説明するのが面倒くさくなってしまったナーシアであった。

「お母さん。あれ見て!」

あまり感情を表に出さないルゥナの驚いた声にツールトはそちらを見る。

「あら、ちょっとマズそうね。私は帰りの足を用意するわ。ルゥナ、妖精さん。二人の誘導よろしく」

「分かった」

「はいは〜い」

三人は炎とイーリスの救う為に動き出した。


炎とイーリスが人々に賞賛の言葉を貰っていた時、ふとこんな声が聞こえてきた。

「あれこの人、勇者 炎様に似てるな」

その言葉は周りの言葉に紛れて消えたが、炎とイーリスの耳にはハッキリと聞こえていた。

「炎、そろそろここから離れませんか?」

イーリスはそう炎に耳打ちする。 それに少しくすぐったさを感じつつ、炎も同意した。

「じゃあ、俺たちそろそろ帰りますので、どうもありがとうございました」

急いで回れ右をしてこの場を離れる炎とイーリス。しかし、急いでいたのでイーリスが人とぶつかってしまい、頭に巻いたスカーフが取れてしまった。

「あっ、スカーフが……」

イーリスが慌ててスカーフを拾ったっが、遅かった。

「あれ、女王様?」

「女王様がこんなとこにいるはずないだろ」

「でも凄く似てるよ。それに隣にいるのはやっぱり勇者様?」

「私近くで見た事あるよ。このお方は女王様と勇者様だよ!」

人々がどんどん集まってきてこのままでは抜け出せなくなってしまった二人。広場はパニック状態に陥っていた。

二人が抜け出せなくなってどうしようと困っていた時、助け舟が現れた。

「あーあなた見て、あそこに妖精がいるわー」

「本当だー。皆本物の妖精がいるぞー」

まるで台本通りの棒読みの会話をしていたのはリーベとアッシュだった。

だが、人々はその二人の会話の内容に耳を傾けた。

「妖精! 何処にいるの」

「どこどこ?」

「あっ、あそこだ」

「何処だよ」

「上だよ。上」

一人が指を指した所を何人もの人が見る。その視線の先には本物の妖精が気持ちよさそうに空を飛んでいた。

「あれは、ナーシア!」

炎も知っている妖精。ナーシアが人々の目の前で優雅に空を泳いでいた。

リーベ達が協力していたことに気づいた炎はリーベの方を見る。するとリーベが「早く行って」とアイコンタクトをしていた。

炎はひとつ頷きイーリスの左手を引いて群衆から抜け出す。

「行こうイーリスさん。しっかりおれの手を掴んでてください」

「はい。絶対離しません!」

炎とイーリスは群衆から抜け出し広場を抜けて城を目指す。しかし前からも沢山の人が来ていて先程の二の舞になるのは目に見えていた。

すると先程いた緑の髪の女性が二人の前に現れて一言。

「こっちならあまり人がいないよ」

炎は「ありがとう」とお礼を行ってそちらに曲がる。

「ありがとうございます。ルゥナ」

イーリスもすれ違いざまに緑の髪の女性、ルゥナにお礼を言いながら炎の後に曲がる。

「鐘の事忘れないで、……あれ? バレてた?」

炎とイーリスは人のいない路地を走り、人が少ない通りを見つける。

「炎、さきほど頂いた鐘を鳴らしてみましょう」

イーリスに言われて、炎は鐘の事を思い出し、その鐘を鳴らす。

鐘は小さくも澄んだよく通る音が響く。すると程なくして、炎達を送ったのと同じ御者と馬車が何処からともなく現れた。

「早っ……!」

炎が驚くのも無理もない。鐘を鳴らしてから数秒とたたず、馬車が現れたからだ。

「お待たせしました。乗ってくださいお二方」

炎とイーリスは急いで馬車に乗り込み事なきを得た。


馬車は行きと同じく、ガタゴト揺れながらゆっくりと城に向かっていく。

その馬車の中で、炎とイーリスは一息ついていた。最初に口を開いたのは炎だった。

「ふう〜。最後は色々あったけど、楽しかったかな? イーリスさん」

「ええ、とても楽しい一日でした。それにとても貴重な物も貰えました。これも全部炎のおかげですよ。ありがとう。炎も楽しかったですか?」

「いえいえ。どういたしまして。勿論楽しかったよ。それとあの人形大事にするからね」

「はい。わたくしだと思って大切にしてください」

「……うん」

「炎、疲れましたか?」

「まあ、少しね」

イーリスはしばらく何かを考え、それを実行する事にした。

「炎、わたくしから今日のお礼をしたいと思うのですが、よろしいですか?」

「今? ……うん。いいよ」

やはり疲れが出たのだろう。今の炎はいつもなら恥ずかしがるのに素直にイーリスのお礼を受けようとしていた。

「じゃあ、失礼しますね。えいっ」

ぽふん。そんな音がして炎の頭はイーリスのふとももに引き寄せられた。

「うわっ、イーリスさん」

炎は何が起きたのか理解して驚く。

「そのままでいて下さい。今日のご褒美です」

イーリスは炎を膝枕していた。馬車はガタゴトと揺れている筈なのに、何故か膝枕をされている炎には、それすらも心地よいゆりかごになっていた。

「短い間ですけど、お休みなさい炎。それとも嫌ですか? その、わたくしの膝枕」

「嫌じゃない、凄い心地いいよ。ありがとう、イーリスさ……ん」

炎はイーリスの柔らかい膝枕の感触をもっと感じていたかったが、睡魔に勝てず眠ってしまうのだった。

「お休みなさい。炎。良い夢を」

健やかな寝息を立てる炎の頭を撫でながら、イーリスは炎の寝顔を眺め続けるのだった。


「着きましたよ。お二方」

御者の声が聞こえると共に馬車の揺れが止まり、城についたことを知らせる。

「炎。ほら、到着しましたよ。起きて下さい」

炎はイーリスの声で目を覚ます。

炎はまぶたを開けて上を見上げ、炎を見ているイーリスと目があった。

数秒経ってから、炎の意識は覚醒する。

「……おはようございます。……イーリスさんのおかげでよく眠れたよ。ありがとう」

炎は起床の挨拶とイーリスが膝枕してくれた事に感謝してお礼を言った。

「よかった。少しは疲れは取れましたか?」

「うん。おかげさまでだいぶ疲れが取れた気がする」

「それはよかったです。それじゃあ着いたみたいですし、降りましょうか?」

二人は馬車から降りて御者にお礼を言うために近づく。

「ありがとございました。おかげで助かりました」

「ありがとうございました。おじいさん」

「いやいや、お二方のお役に立てて何よりじゃよ」

御者にお礼を言った二人は馬車から離れ城に向かう。

その途中イーリスが「ちょっと待っていて下さい」と炎に言って馬車の所に戻る。

「おじいさん。少し待って下さい」

馬車を動かそうとした御者は、イーリスが近づいてきたのを見て馬を止める。

「どうしました? 忘れ物ですか?」

「いえ、今回の報酬の事をお話ししてないと思いまして……」

「ああ、いいんじゃよ。報酬なんて、お二方の幸せな姿を見れたんだから、この老いぼれそれ以上の報酬は求めませんよ」

御者はそう言って報酬を受け取ることをやんわりと拒否する。

「……分かりました。お礼の事は後日また改めて、おじいさん。……いえツールト」

「……あら、バレてましたか、流石です。陛下」

御者の口から女性の口調で女性の声、ツールトの声が聞こえてきた。

「いつ分かったのです? まさか最初から?」

「いいえ、気づいたのはついさっき、貴女の娘ルゥナの変装した姿を見たときです」

「ん〜ルゥナの変装上手くありませんでしたか?」

「いえ、外見は完璧に大人の女性でしたが、言葉遣いがそのままでした。それに……」

「それに、何ですか?」

「わたくし。何となく、分かってしまうんですよ」

そう言って可愛く舌を出すイーリス。

「それは私達の完敗です。娘にもよく言っておきます」

「はい。わたくしが感謝していたとルゥナにお伝えください」

「必ず。では女王陛下。また来ますわ。そのときは二人の今日のお話し聞かせてくださいね」

御者に変装していたツールトはそのまま馬車を一八〇度回頭させて城から去っていった。

「はい。今日はありがとうございました!」

イーリスはツールトを見送ってから、炎の元へ小走りに戻る。

「お待たせしました。行きましょうか、炎」

イーリスは炎の右腕に自分の左腕を絡めてくる。今までは恥ずかしがっていた炎だが、それを抑えて受け入れる。

「うん。帰ろうイーリスさん」

二人は腕を組みながら城への帰路についた。その表情はとてもにこやかだった。


城に帰ってきた二人は先ず真っ先に、今日一日イーリスの代わりに公務をこなしていた摂政がいる玉座の間に向かった。

「二人とも、お帰りなさい! 今日一日楽しめましたか?」

今日一日摂政を勤めていたツィトローネが炎とイーリスを出迎える。

今日はいつもの紅い鎧ではなく、摂政という立場だからだろう。紅いドレスを着ていた。

「ただいま! 今日はとても楽しかったよ。ねぇ、イーリスさん」

「ええ、今日はとても楽しい一日でした。貴女のおかげです。ありがとうツィトローネ」

仲良く手を握っている二人を見てツィトローネは全てを察した。

「そうですか。それはよかった。うん、ほんと良かったです。今度時間がある時、是非お話し聞かせて下さい」

「もちろん。いっぱいお話ししたい事がありますからね。さて炎、わたくしはツィトローネから公務を引き継ぎますので先に休んで下さい」

「うん。じゃあまた明日、お休みなさい。イーリスさん。ツィトローネ」

「はい。お休みなさい」

「おやすみ。炎」

イーリスと別れた炎は自室に戻り直ぐにベットに倒れこんでそのまま爆睡してしまった。

色々考える事があった侵略者インベーダーの事、自分とイーリスの関係の事。

だけど今日だけは何も考えずこの幸せな気持ちを抱いて眠るのであった。


こうして炎とイーリスのデートは上手くいき、二人とも更にお互いを意識するようになっていた。

しかしそんな幸せな時も長くは続かない。炎が幸せな夢の中にいて、イーリスが一人の女性から女王に戻ろうとしていた時、東のイースディー聖王国を黒雲が覆い尽くしていた。


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