第5話
「これです」
そう言ってイーリスが両手に包んだ景品を炎に見せる。
それは木彫りの騎士の人形だった。
騎士の人形はかなり精巧に出来ていてとても露店の射的の景品とは思えないほど良く出来ていた。しかし何故イーリスがこれを狙っていたのか炎にはよく分からなかった。
するとイーリスがおずおずと口を開く。
「これ、受け取って下さい」
「えっ、せっかく取ったのに何故おれに?」
「えっと、その今日、炎のおかげでとても楽しいから、そのお礼です」
イーリスは恥ずかしそうにそう言って炎に騎士の人形を差し出す。そこまで言われて炎に拒否する理由はなかった。
「ありがとう。大事にするよ」
炎は礼を言ってイーリスから騎士の人形を受け取る。しかし何となくイーリスの歯切れの悪さと、何処となく不満気なのが気になった炎は、騎士の人形をよく見てみる。
改めて見ると鎧を着た騎士が剣と盾を持った姿が見事に表現されていた。足元には台座が付いていて安定して置くことも出来そうだ。
炎は台座を見ていると「あれっ?」とある事に気づく。
台座の右側面には何かをくっ付けることができそうな加工が施されていた。
炎はもう一度射的の露店に向かい、店主に話しかける。
「お前さんもやるかい?」
「その前に景品を見してもらっていいかな?」
店主は頷くと、番号と対応した景品を見せる。
炎はある景品と、対応した番号の書かれた的を交互に見やり、イーリスに向かって一言。
「イーリスさん。少し待っててね」
そう言うと炎はクロスボウと矢を受け取り的に狙いをつけ、引き金を引くのだった。
「イーリスさん。はいこれ、どうぞ」
それはやはり木彫りの姫の人形だった。
「あぁ、ありがとうございます! でも何で分かったのですか? わたくしがこれを欲しいって」
その木彫りの姫の人形は先程イーリスが取った木彫りの騎士の人形と対になっているものだった。
「この人形の台座に何かをくっ付ける加工がされていたのでもしかしたらと思って、探したら対になりそうな人形がもう一体あったからこれかなと思って」
「その通りです。ありがとうございます。炎」
イーリスはギュっとその姫の人形を抱きしめる。
炎は人形を抱きしめるイーリスの笑顔を見て安堵する。
「そうだ! お姫様をちょっと借りてもいいですか?」
炎はイーリスに了承を得てから姫の人形を借りて騎士の人形の台座と姫の人形の台座を接続させる。
二体の人形が寄り添うように並ぶ。その姿は何処かの勇者と女王のようだった。
「この二体とても幸せそうですね」
「はい……わたくし達もこうなりたいですね」
「えっ、今何て……」
「ふふっ、何でもありません」
イーリスの小さな告白は炎の耳には届かなかったが、イーリスは気にしなかった。
「そうだ! 姫の人形は炎、貴方が持っていてくださいね。わたくしはこの騎士の人形を手元に置いておきます」
イーリスは姫の人形を炎に手渡し騎士の人形を手元に残す。
「ありがとう。この人形大切にするよ」
(貴女だと思って大切にします)
「わたくしも大切にします。さあ次の露店に参りましょう」
二人は新しい露店に向かって歩き出す。
その時二人はどちらともなく、自然と手を繋いでいた。
時刻は昼過ぎ。そろそろ露店を覗いていた人たちも、お腹が空き、皆食べ物の屋台に自然と集まっていく。
勿論、炎とイーリスも例外ではなかった。
様々な露店を見ていた炎とイーリス。その二人の鼻腔を香ばしい匂いが刺激する。
炎が (おいしそうないい匂いだな)と思っているとくぅ〜と可愛らしい音が聞こえてきた。炎は音の正体を確かめる為、音のした方を振り向くと、そこには顔を真っ赤にしたイーリスがいた。
「……聞こえましたか?」
イーリスから聞こえてきた音は紛れもなくお腹が空いたという証だろう。炎は何と言っていいか迷うが、その迷いを解決してくれたのは炎のお腹だった。
ぐうぅぅぅと炎のお腹も盛大に空腹を訴える。
「……お腹すきましたね。何処かで買って食べましょうか?」
炎の提案にイーリスは頷く。
「そうですね。でも何処で買いましょうか?」
周りを見渡せば、パンやシチュー、様々なフルーツが売っているが、何処もかしこも人で埋め尽くされていた。
「じゃあ、イーリスさんここにしましょう」
そう言って炎は自分の鼻を指差す。
「? 何処ですか、そこ」
「ほらさっきのおいしそうな匂いを出している露店がこの近くにあるはずです。探してみましょう」
「なるほど! 匂いを辿るということですね」
「そういうこと。さあ、早く行きましょう。売り切れになってたら悲しすぎます」
炎はイーリスの左手を引いて小走りで目当ての露店を探す。
そしてついに目当ての露店を見つけるのだった。
「あった。ありましたよイーリスさん。ほらここですよ」
「待って下さい、炎。……ここですか」
その露店を見て、ちょっと戸惑うイーリス。
それもそうだろう。今までお城にいたイーリスには見たこともない光景がイーリスの目の前に広がっていた。
炎が見つけた露店では肉をその場で焼いて売っていた。
だがイーリスが戸惑ったのはそこではなく露店で焼いている肉の塊であった。
「あんな大きなお肉を焼いているのですね」
イーリスにとって初めて見るその場で肉の塊を直火で焼く光景はイーリスを強く惹きつけた。
「やっぱり、やめとく?」
まじまじと肉を焼く所を見るイーリスに炎は話しかける。
「えっ、何故です?」
「イーリスさん。こういうの苦手かなっと思って、もし嫌だったら……むぐっ」
「あらっ、そんな事ありませんよ」
イーリスは人差し指で炎の口を紡ぐ。
「確かに初めて見た光景で驚きましたけど、でも嫌な光景じゃないです。だってあの焼かれているお肉が皆のお腹を満たしてくれるんですよね。凄いです」
イーリスは「それに」と付け加えて、お腹を抑える。
「この匂い。お腹が早く食べたいって抗議してます」
「よしっ早く並ぼう! 早くしないと売り切れちゃうよ」
二人は急いで列に並ぶ。待っている間イーリスは、肉が焼き上がる所をずっと見ていた。
二人は無事に食べたい物を買うことができた。
二人が買ったのは、鶏肉を直火で焼いてスライスしたものに香辛料で味付けしたものと葉物を、地球にあるイングリッシュマフィンのような丸いパンに挟んだシンプルな物で、チキンサンドという名前だった。
これを選んだのは手が汚れにくい物を選んだ結果、これに決まったのだった。
二人は近くのベンチに腰を下ろす。
「買えてよかったですね」
「うん。でも長い間並んだから、お腹空きすぎて、お腹と背中がくっつきそうだよ」
「えっ! お腹と背中がくっついてしまうなんて大丈夫ですか?」
イーリスはとても驚いた顔で炎のお腹のあたりを見る。
「ああ、違うよ。本当にくっついたわけじゃなくて、くっついちゃうほどお腹が空いたってことだよ」
炎は地球の童謡の説明をする。それを聞いてイーリスは納得したらしく。
「なるほど、炎のいたところではそういう歌があるんですね。……だったらわたくしもお腹と背中がくっつきそうです」
イーリスが顔を赤くしながら手に待つ食べ物に目を落とす。まだ何処か躊躇っているようだ。それを見た炎は自分の手の中のチキンサンドに目を落とし、一気にかぶりつく。
「いただきます! ……うまい! おいしいよイーリスさんも食べてみなよ」
「は、はい。それじゃいただきます」
イーリスは少し躊躇った後、チキンサンドに思い切りかぶりついた。
余程お腹が空いていたのだろう。大きく口を開けて頬張り口をもぐもぐさせる。
「どう、美味しい?」
「…………」
イーリスはしばし無言で味わい飲み込む。
炎はイーリスの感想を待つ。
するとイーリスは頭を伏せて肩がふるふると震えだす。
「イ、イーリスさん?」
「ん〜〜! 美味しい〜!」
突然のイーリスの叫びに炎は唖然とした。
見ればイーリスは少女のように目をキラキラさせて一心不乱に食べる。そのとても幸せそうな表情に炎もつられて食べ進める。
パンに挟まれた焼いた鳥の皮のカリッとした食感とジューシーな肉の食感のギャップはずっと口の中で噛み締めていたくなるほどだった。
「噛めば噛むほどジュワッと肉汁が出てきます。美味しいですね炎!」
「うん。おいしい!」
二人はその後無言でチキンサンドを味わうのだった。
昼食を食べ終わり、喉の渇きを癒した二人はその後も様々な露店を回って沢山楽しんでいた。
「炎。今日はとても楽しかったです。いい思い出がいっぱいできました」
「そう言ってくれると嬉しいよ。でも、まだメインイベントはこれからなんだ。さあ行こう」
「あっ、そんな引っ張らないでください」
炎はイーリスの手を引っ張って今回のメインイベントの舞台である噴水広場に走っていく。
時刻は夕刻。いつもなら一時間もしないでつく広場に炎とイーリスはたっぷりと祭りを楽しんでいたので数時間かけて広場に到着していた。
広場にはかなりの人が集まっていて、足の踏み場もないほど、人でごった返していた。
だが、これほど沢山人がいてもひと際目を引くものがそびえ立っていた。それは広場にある噴水を囲むように木で出来た一五メートルほどの塔が広場の中央に出来ていた。
「ここは一番人が多いですね。ここで何があるのですか?」
「ここにシュネークリスタがあるんだよ」
「えっ、ここにあの雪の結晶があるんですか?」
「そう……だよ」
ここで炎にとって誤算がひとつ。
(シュネークリスタは何処?)
そう炎はシュネークリスタをどうやって手に入れるかツィトローネから聞かされていなかったし、そもそもツィトローネも知らなかった。
つまりツィトローネにこの事を教えた人物はわざと言わなかったのだ。シュネークリスタを手に入れるための試練の事を。
木の塔の周りには続々と人が集まっていく。
「さあ、お集まりの皆様。ついに第百回を迎えた花祭りのメインイベントのお時間でーす!」
司会進行の女性の言葉に集まった人々が歓声を上げる。 この中で何が起こっているかわかっていないのは炎とイーリスの二人だけだった。
「あの! 一体何が始まるんですか?」
炎は周りの人に聞いてみるが周りは大声で騒いでいるので炎の声はかき消されて聞こえないようだった。
「さあ、そろそろ始めましょう、今年のシュネークリスタを手に入れる勇者は誰だー?」
司会が周りの人々を煽っていくと、広場にいる人たちから返事が返ってきた。
「俺だー!」
「私よー!」
男女問わず物凄い気合の入った声が聞こえて来る。
その時イーリスが一言呟いた。
「……何となくお父様やお母様がこの祭りに参加しなかったのが分かった気がします」
「……はははっ」
それを聞いて炎は苦笑いするしかなかった。
「さて、それではもう知ってると思いますが、ルール説明を行いまーす!」
人々は「おおおおっ!」と雄叫びを上げる。
「皆さーん、そのパワーは本番までとっておいてくださいねー」
「はーい!」
野太い声が返ってくる。いつの間にか返事をしているのは男だけになっていた。
その光景はまるでアイドルとファンのような関係に炎には見えていた。
少し静まったところでルールが説明されていく。
「この勇者の儀式では挑戦者の皆様にシュネークリスタを取ってもらいます。そしてその花は、あの塔の頂上にありまーす」
司会の女性が指差したのは広場の中央に造られた木の塔の頂上を指していた。
「挑戦者の方々にはこの塔を登ってもらい、頂上にある雪の結晶を取り合ってもらいます。もちろん一回でも落ちたら失格でーす」
司会は右の人差し指をピッと立てる。
「勿論、シュネークリスタは一輪しかありませんので手に入れる事ができるのは一人だけです。さあシュネークリスタを手に入れる勇気ある者は今すぐ集まって下さーい!」
司会の言葉を受けて、雪の結晶を手に入れようと続々と人が集まる。
炎は動けなかった。何故なら彼は高所恐怖症だからだ。最近バーニンガーに乗るためのリフトにやっと慣れてきたのに、まさかこんなことになるとは思っていなかった。
( アレに登る? 無理だ)
噴水を囲むように建てられた木の塔は高さ一五メートルその外側にはビッシリと手や足をかけるれるように木の棒が出っ張っているが、それだけしかない。命綱のような物もなく自力で登るしかないようだった。
(折角イーリスさんにシュネークリスタを渡して仲直りしようと思ったのにこれじゃどうにもならないよ)
「炎? どうしたのです?」
炎の異変に気付いたのかイーリスが声をかけるが炎は反応しない。炎の顔は青ざめて小刻みに震えていた。
「……炎」
炎が動けない中、シュネークリスタを手に入れようと人が集まっていく。その中にはサンネの父親やリーベの夫アッシュも参加していた。
(おれも取りに行きたい。でも高い所は……怖い)
「……行かないの?」
不意に炎は左手側から声をかけられた。そちらを向くと、とてもスタイルのいい緑の髪の女性がいた。
「あの、どこかで会いました?」
炎はこの女性にどこかで会ったことがある気がしたのだが思い出せなかったし女性も答えなかった。
「……取りに行かないの?」
女性がもう一度同じ質問をしてくる。初対面のはずだが、炎は返事を返す。
「取りに行きたいですよ。でもおれ高い所苦手で……」
「どうするの?」
「それは今考え中で……」
「あなたの愛はそんなもの?」
「えっ、わっ!」
炎が女性の顔の方を振り向くと女性が思いっきり顔を息がかかるくらいまで近づけてきた。
「愛してないの? あの人の事」
女性がチラッと視線をイーリスの方に向ける。
「えっと、その、あいして、愛して、えっと、あっ、一番大切な人です!」
さすがに初対面の人にイーリスを愛してますというのは恥ずかしかった。
「そう……その大切な人のためにあなたがすることは何?」
女性は少し残念そうに声のトーンを落としながら、質問を続ける。
「……シュネークリスタを取っておれの一番大切な人に渡す事」
「正解。 頑張って炎」
「んっ? 待って何でおれの名前を……」
「……炎! 炎! 聞いてますか?」
女性の正体を確かめようとしたその時イーリスが読んでいる事に気づく。
「イーリスさん、どうしたの?」
「それはこっちの台詞です! 何度も呼んでるのに全然答えてくれないんだから」
「ごめん! 今女性に話しかけられてさ、あれ?」
炎の隣にいたはずの緑の髪の女性は跡形もなく消えていた。
「ふーん。炎、一体誰と話していたのかしら?」
何故かイーリスの怒りを感じた炎。
「あれっ、おかしいな? そうだ聞いてイーリスさん!」
炎は慌てて話題を変える。
「おれ、シュネークリスタを取ってくるよ」
「大丈夫なのですか? 確か高い所苦手は?」
「大丈夫。確かに怖いけど、おれシュネークリスタをイーリスさんに渡して伝えたい事があるんだ。だから応援してほしいな。なんて」
それを聞いたイーリスは、炎の両手を自分の両手でそっと包み込む。
「分かりました。わたくしは貴方がシュネークリスタを持って帰って来るのを信じてここで待っています。でも無茶は駄目ですからね!」
イーリスの両手から感じる心地よい温もりは炎の恐怖を溶かしていく。
「分かってる。じゃあ、ちょっと行ってくるね」
「いってらっしゃい」
炎は名残惜しそうに両手を離すと木の塔に向かう。シュネークリスタをイーリスに渡すために。




