第4話
遂に花祭りの日がやって来た。
太陽が昇り、陽の光を浴びた鳥たちの歓喜のさえずりを聞いてイーリスは目を覚ます。
「朝、はぁ〜遂に来ました。今日の朝をどれだけ待ち望んだか!」
天気は快晴。正しく祭り日和と言っていい天気だった。
「さぁ、早く支度しないと、炎を待たせては失礼ですしね」
イーリスは寝間着から今日の為に用意した服に着替えていく。
まずキュッと引き締まった腰に一人でも着けれる特注品のコルセットを着け、スラリと伸びた脚をガーターベルトで留めた白のストッキングで見えないところも気を抜かない。
そして青いワンピースを纏い、最後にレースをあしらったスカーフを頭に巻いて完了。
「少し地味でしょうか?」
イーリスの格好は城下町の民からすれば一般的より少し上なのだが、女王としてはいささか地味すぎた。
それもそのはず。今回イーリスは公には花祭りに参加するとは発表していなかった。
何故なら炎との二人のデートを楽しむには民が知らない方が楽しめると考えたからだ。
もし知られてしまったら、民に慕われているイーリスの事。デートどころではないだろう。
コンコンと居室のドアがノックされた。
「どうぞ、入っていいですよ」
「姉様。準備できましたか?」
ドアを開けて入ってきたのはツィトローネだ。彼女が来た目的はひとつ。イーリスと炎を人目のつかないように城下町まで送り届ける事だった。
「どう。ツィトローネ、わたくしの格好変じゃないかしら?」
「いえ、何も変じゃないです。炎もきっと喜びます」
(炎が一言褒めれば姉様大喜びするだろうな)
「そう。ならいいんだけど……」
「そろそろ参りましょう。炎も待っていますよ」
「はいっ! 参りましょう」
ツィトローネとイーリスは炎が待っている広場にやって来た。
炎は広場の大きな木の下でこちらに背中をむけて待っていた。今日の炎の格好はいつもの制服ではなく、麻のシャツとズボンだ。
「炎、待たせたな」
「あっ、ツィトローネ……とイーリスさん。大丈夫、今来たところだからそんなに待ってないよ」
「ならいいんだが」
ツィトローネは炎が一時間前からそこで待っていたのを知っていたが黙っていた。
「……なんで私の後ろに隠れているんですか姉様」
「あっごめんなさい」
ツィトローネは自分の後ろに隠れていたイーリスを引っ張り出す。
モジモジする炎とイーリス。
「何か、挨拶したらどうですか?二人とも」
ツィトローネが痺れを切らして二人に促す。
「えっとおはよう。イーリスさん」
「お、おはようございます。炎」
「……れいですね」
「れい? ごめんなさい。今なんて言ったのですか」
炎は一際深く深呼吸して一言。
「イーリスさんとても綺麗です!」
イーリスも深呼吸してそれに応える。
「今日の炎もとても格好いいです!」
二人の顔が真っ赤になる。
「へへっ、へへへ」
「ふふっ、ふふふ」
二人は二人だけのニヤニヤした世界に入り込んでしまったらしく、その世界から連れ戻したのはツィトローネだった。
「ほらっ二人とも、イチャイチャするのはいいですけどここでずっとイチャイチャしている気ですか?」
「そんな私達はイチャイチャなんて……」
「そうだよ! おれたちはイチャイチャなんてして……ないよ」
再び顔を真っ赤にして黙ってしまう二人。
埒が明かないと思ったツィトローネは二人を半ば無理矢理連れて行く。
「さあ、二人ともあの馬車に乗って下さい」
「あれですか?」
それはどこにでもある普通の馬車だった。
馬車にガタゴトと揺られている間、二人とも無言だった。
二人が載っている馬車は荷物を運ぶ馬車で、幌がついた荷台を、馬が一頭で引っ張っているの
でお世辞にも早いとは言えない。
御者の老人も急ごうという気はなく馬車はゆったりと城から城下町に向かっていた。
馬車の中は荷物でいっぱいで何とか人が二人入れるスペースを見つけて炎とイーリスは乗り込んだ。
狭さのせいで、二人は密着していて緊張していた。
二人が無言なのは、緊張のせいで激しい心臓の鼓動が聞こえない事を祈るのに必死だったからだ。
馬車が止まり、幌を開けて御者が顔をのぞかした。
「お二方、着きましたよ。……大丈夫ですか?」
御者が見ても心配するほど二人の顔が赤くなっていた。
「ハイッ、大丈夫デス。オリマショウカ、炎」
「ウン、ソウダネ」
「? どうぞ気おつけて降りてくださいよ」
二人は馬車の荷台から降りる。そこは城壁の門の近くにある宿屋だった。
「お二方。馬車はここに停めておりますので」
「分かりました。帰りはここまでくれば宜しいですか?」
イーリスの質問に御者は首を横に振る。
「いやいや、ここまで来なくとも大丈夫です。こちらをお持ちください」
そう言って御者は紐がついた小さな鐘をイーリスに手渡す。
「こちらを帰るときに鳴らしていただければ、何処にいてもすぐに参りますので」
「えっ、この小さな鐘で大丈夫なのですか?」
御者はゆっくりと頷いた。その顔は嘘をついている顔には見えなかった。
「……分かりました。では帰るときに鳴らしますので、よろしくお願いいたします」
「はい、お任せ下さい」
「イーリスさん。その鐘、おれが持っておくよ」
緊張が解けた炎はそう言って、鐘を受け取る。イーリスが炎に鐘を手渡して目を離した一瞬の間に老人の御者の姿は消えていた。
「不思議なおじいさんだったね」
「はい。でも悪い人には見えませんでした」
「そうだね。……それじゃあ行こうかイーリスさん」
イーリスは「はい。行きましょう」と言って炎と共に広場の方に向かう。
周りの人たちも花祭りに参加するのだろう。大勢の人が二人と同じく広場の方に向かっていた。
「人、多いですね」
「うん、人がいっぱいだ。あれ、イーリスさんは来たことないの?」
「ええ、小さい頃、見たような記憶はあるんですけど、特にここ数年は公務が忙しかったので」
「そっか。じゃあ今日は、めいいっぱい楽しもう!」
「はい!」
イーリスと炎は祭りの舞台となる噴水広場に向かっていくと、どんどん人が増えてきて二人ははぐれそうになる。
「イーリスさん。はぐれないで!」
「はい。でもこれだけ人が多いと……きゃっ!」
人を避けた時にバランスを崩したイーリスを慌てて炎が手を掴んで助ける。
「大丈夫か? イーリスさん」
「はい。ありがとうございます」
炎が手を掴んでくれたおかげで転ばなくて済んだイーリスは安堵の溜息ついていると、炎の顔が真っ赤になっていることに気づく。
「どうしたのです、顔が真っ赤ですよ。具合でも悪いのですか?」
「えっと、その手が……」
イーリスは自分の手を見て気づく。炎の左手とイーリスの右手はしっかりと握り合っていたからだ。
「あっ、なるほど……ふふっ嫌ですか?」
イーリスは少し炎をからかう。
「えっ、……嫌じゃないよ」
「わたくしもこのままでもいいんですけど?」
炎は少し考えて答えを口に出す。
「でもこれじゃ歩きにくいから、離すね」
そう言って炎は左手を離した。が、イーリスはそれでは納得しない。
手を離してさっと前を歩いていく炎に、イーリスが炎の右手側にそっと近づいた。
「炎、わたくし考えたんですけど」
さらに顔を近づけるイーリス。
「な、な、なんでしょう」
顔を真っ赤にした炎を可愛いと思いながら、イーリスは言葉を続ける。
「またさっきみたいに転びそうになったりしたら、お祭りを楽しめなくなってしまいます」
「そ、そうですね」
イーリスが言葉を発するたびに炎の耳を心地よく、くすぐる。
「ふふっ、だから手を繋いでもらっても宜しいですか?」
「も、もちろんです」
イーリスは自分の左手を差し出し、それを炎は右手で、優しくけど、力強く握る。
「ありがとうございます。それじゃあ行きましょうか」
炎はコクコクと頷く。もう頭の中は幸せと緊張でいっぱいだった。
だがそれはイーリスも同じだった。
(きゃー、わたくしなんて大胆なことをしてしまったのでしょう。炎にはしたない女だと思われてなければよいのですが……)
どんどん噴水広場に近づくにつれ、人がどんどん増えてくるが、二人で手を繋いで歩いているのと、炎が先導してくれるおかげでイーリスは何とか進むことができた。
「大丈夫。イーリスさん?」
「はい。 炎が手を握ってくれてますから!」
「そ、そうですか。それはよかったです」
大通りにはいつも露店が並んでいるのだが、今日は花祭りだからだろう。いつも以上に活気にあふれている。
露店には様々な食べ物やお土産が並んでいて、イーリスを強く惹きつけていた。
「あのっ炎、ちょっと宜しいですか?」
「何かあった?」
「はい。えっとですね。そのまだ時間があるなら、お店を見てみたいなぁ、と」
炎が少し考えるている間、イーリスは待った。
「……良いですよ。まだ時間はありますし、覗いてみましょう」
「はいっ!」
「何を見たいんですか?」
露店の様々な出し物に、イーリスはどれを見たいか目移りしてしまう。
「えっと。あっ、炎、炎見て下さい。あれ、綺麗な宝石みたいなのに食べ物みたいですよ。あ、あれ子供達が小さいクロスボウで的を狙ってますよ。危なくないんでしょうか?」
イーリスは初めて見るであろう祭りの露店を興奮しながら見ていた。
「じゃあ、全部の露店を見ていきましょう」
イーリスは炎に手を引かれて一番近い露店に向かう。
そこはイーリスが見つけた宝石のような食べ物の所だった。
「あの、これは何ですか?」
「おっこれかい、これはキャンデーっていうんだ。知らないのかい御嬢さん?」
「はい、初めて見ました」
「ひとつどうだい?」
そう言って店主は皿にのったキャンデーをイーリスに勧めてくる。
イーリスはある事に気づいて炎の方を見る。
「炎。ひとつ頂きたいのですが……」
「いいよ。どうしたの?」
「その、わたくし今、お金を一銭も持ってない事に気づきまして……」
「ああ、大丈夫だよ。ひとついくらですか?」
イーリスと炎の会話が聞こえていたのだろう。
ちょっと不審な顔をして店主は「ひとつ三〇ネカ」と手を出してくる。
ネカとはこの世界の通貨の単位である。
「じゃあ六〇ネカで、二つください」
「まいど」
キャンデーを二つ買って露店から離れたときも店主はちょっと不審な顔をしていた。
「あの女性。誰かに似てるような、……誰だったかなぁ」
余談だが、店主は後々売った人物が誰か知って驚愕し、城まで謝罪に来る事になるとはこの時夢にも思っていなかった。
「はい、イーリスさん。どうぞ」
「ありがとうございます。すみませんわたくしがしっかりしていれば」
「何言ってるの。欲しいものがあったらどんどん言ってね。お金ならおれが持ってるから」
「すみません。頼りにしてます」
そう言ってイーリスは炎から買ったキャンデーを貰う。
イーリスはキャンデーを本当の宝石のようにしげしげと見つめる。
「食べないのイーリスさん。美味しいよ」
「あ、いただきます。えいっ」
口の中に入れるとじんわりと優しい甘さが口いっぱいに広がっていく。
「美味しいですね。優しい甘さ。大好きです」
イーリスの「大好き」の一言に炎の心臓が跳ね上がった。
「ゴクン! ゴホッ、ゴホッゴホッ」
「炎! 大丈夫ですか?」
「だっ、大丈夫大丈夫」
イーリスに見惚れていた炎は思わずキャンデーを飲み込んでしまうのであった。
次にやって来たのは射的の露店だ。
そこでは子供でも扱える小型のクロスボウを使って、置かれている番号に当てると番号に対応した様々な景品を貰えるというものだった。
「炎。これやって見ていいですか!」
「ああ、勿論いいよ」
イーリスは小走りで店主に近づく。
イーリスは炎に向かって「一回五〇〇ネカだそうです」と言いながら手を振る。
炎は店主にお金を支払い、クロスボウと五発の木の矢を受け取る。
「はい。イーリスさん使い方わかる?」
「だ、大丈夫です。これぐらい私だって使えますよ」
クロスボウを受け取るイーリス。その持ち方は前後逆になっていた。
「ああ、それじゃあ射てないよ。ほら貸して」
イーリスからクロスボウを受け取った炎は手際よく発射準備をしていく。
「こう、弦を引いて固定したら、固定した弦のの前に矢を置いてください」
炎はツィトローネとの訓練の時に色々な武器の扱いを教わっていた。クロスボウももちろんそのひとつだった。
発射準備の完了したクロスボウをイーリスに手渡す。
「ありがとうございます。……でも私だってちゃんと使い方分かってますからね」
ぷくっと頰を膨らませ「絶対当てますから」と言って景品に向かうイーリス。それを見て炎はそんな表情も可愛いなと思うのであった。
イーリスは矢をクロスボウにセットし景品に狙いをつけていく。
イーリスは景品のひとつに狙いを定め引き金を引く。発射された木の矢は真っ直ぐ狙った景品の横を通り抜けていく。外れだ。
「変わろうか?」
「いいえ。まだ四回チャンスはありますから大丈夫です。見ていてください!」
ぎこちなく弦を引き、次の矢をセットし狙いをつけて討つ。がやはり狙った景品には当たらない。
「まだ三回あります!」
次の矢もイーリスの言うことを聞いてはくれない。
「に、二回。あと二回残ってますから大丈夫です」
そこで炎はある事に気づく。
それはイーリスが狙う事に夢中になりすぎて前のめりになっていてお尻を突き出すような格好になっていた。
炎は丁度真後ろにいたのでその姿をまじまじと見てしまう。
(イーリスさん気づいてないな。教えてあげるか、でももうちょっと見ていたいかも、う〜む悩む)
そんな事を考えていると周りの人達の視線がイーリスの臀部に注がれている事に気づいた。
ほとんどは男性だが一部女性まで釘付けになっていた。
(やばい。このままじゃ何かイケナイことが起きてしまう。早くあの格好を止めさせないと!)
炎はある決意をしてイーリスに近づく。
四発目も外してしまい、表面上は平常心を装っていたが、内心イーリスは泣きそうになっていた。
今やこっちを見ている店主や周りの子供たちの視線さえ「本当に当たるの?」と言われているような錯覚を受けてますますプレッシャーがのしかかる。
イーリスは平常心を心掛けるが、クロスボウを持つ手は微かに震えていた。
弦を引いて最後の矢をセットして狙いをつけようとするイーリスに炎がアドバイスを送るために近づく。
「イーリスさん。ちょっと失礼します」
炎はイーリスの背中に寄り添いクロスボウを持つ両手に自分の両手を添える。
イーリスは炎が至近距離に近づいたことで緊張して姿勢がピンと伸びた。
(よしっ! これでイーリスさんを見るものはいなくなるだろう)
効果があったのか、イーリスに注がれていた視線を感じなくなっていた。
(何だろう? 殺気を感じる?)
その代わり炎の方に殺意の視線を送る者が現れてしまったが、炎はイーリスが視線から逃れられたので良しとする。
「え、炎、どうしたのです? ち、近いですよ」
「イーリスさん聞いて、今のままじゃ上手く狙えないよ」
炎が喋るたび、イーリスの耳朶に息が吹きかかる。
「ひゃ、んっ、炎くすぐったいです」
イーリスの艶っぽい声に炎の思考が停止する。
「ゴホンッゴホンッ」
炎の思考が再起動できたのは店主の咳払いのおかげだった。
イーリスの顔を覗き込むと彼女は至近距離に炎がいることで顔が真っ赤でふるふると震えていた。
炎はそれを見ているとまた思考停止しそうだったが何とか思考を繋ぎ止める。
「よく聞いてください。まずはリラックスしましょう。深呼吸〜。吸って〜はいて〜すぅ〜はぁ〜」
「すぅ〜はぁ〜すぅ〜はぁ〜」
緊張していたイーリスだったが炎と二人で深呼吸していくことで、段々とリラックスしてくきた。
「すごいです。深呼吸してたら、緊張がほぐれてきました」
「いいですよ。それじゃあ次はしっかりと狙います」
炎はイーリスの両手に添えていた自分の両手に力を入れてイーリスの持つクロスボウの照準を景品に導いていく。
「そう、自分の目線と矢を真っ直ぐ景品に合わせて、上手いですよイーリスさん」
炎に導かれたおかげだろうか、イーリスの持つクロスボウは真っ直ぐ景品に狙いを定める。
「引き金を引く時は優しく焦らず絞るように引いてください」
イーリスは炎に言われた通りに引き金を引き、木の矢が放たれた。
木の矢は狙い違わずイーリスの欲しい景品の番号を射抜いた。
「当たった! 炎、当たりましたー!」
「おめでとうイーリスさん。……うわっと!」
嬉しさのあまり思わずイーリスは炎に抱きつくのだった。
「ありがとう。本当にありがとうございます! 炎のおかげで……きゃ、すいません! 私ったら何てことを」
我に返ったイーリスは炎に抱きついていた事に気付き慌てて飛び退く。
「えっ、全然大丈夫。何ともないよ」
むしろずっとそのままでもいいのにと思う炎であったがさすがに口に出すのは止めておくことにした。
その二人の幸せそうな光景に周りからも拍手が起こるのであった。
「はい御嬢さん。景品」
イーリスは店主から「ありがとうございます」と言って景品を受け取る。
「そういえば、 何を狙ってたんですか?」
射的は番号が書かれた的を狙って倒せすものだったので、炎はイーリスが何を狙っていたか知らなかった。




