第5話
三王国会議の朝。炎は朝食を済ませて自室で待機している。会議開始の準備が整えば呼ばれる手筈になっていた。
炎の緊張は既にピークに達していた。自分が会議に出てうまく話せるかという事と、人見知りなので初対面の人と上手く話せるかどうかも心配だった。
炎の服装は召喚された時に着ていた学校の制服である。
他の王国の王が来るので正装するかと思ったのだが、シレイが「異世界の勇者の格好としてそれが一番でございます」とすすめてきたので、炎はこれを着て出席することになった。
ドアをノックする音が聞こえて炎は返事をした。ドアを開けて入ってきたのはシレイだった。
「失礼いたします炎様。会議の準備が整いました」
「分かった。今行く」
炎はシレイの後をついていき会議室に向かう。
炎はできる限りこの憂鬱な時間が早く終わる事を祈った。しかし本当の憂鬱はこの会議の後に訪れるのであった。
会議室の中央には円形のテーブルがありそれを囲む形で座るように椅子が配置されていて、 その部屋には、炎から見て右手側には五〇〜六〇代くらいの余り他の事に関心がない印象の男性が座っている。
その後ろには鎧の上にサーコートを纏った屈強な男性が2人ボディガードのように立っていた。
反対の左手側には三〇代くらいの男性が座っていたが、右手側の男性と対照的に自信に満ち溢れ何かに執着しているかのような目をしている。
炎には余り人に好かれそうな人物には見えなかった。
更に異様なのはその男性の後ろに立つ人物で、真っ黒なローブで顔まで隠れていて男性か女性かも判別できなかった。
椅子に座っているのが二つの国の王だろうが、炎の第一印象は(どちらの王様も何となく感じ悪いなぁ)だった。
会議室にいるのは二王国の五人に加えて、エーヴィヒフリーデン王国から女王イーリス、妹のツィトローネ、シレイ、そして炎の四人が出席して合計九人がこの世界の平和を守る為に集まった。
炎とイーリスは着席し、ツィトローネはイーリスの後ろにシレイは炎の後ろに立つ。
炎は周りからの視線が突き刺さるのを感じていた。
無理もない。召使でも、まして王族でもでもない炎がここにいるのは場違いに思われているに違いなかった。
だが炎は視線に耐える。自分は必要だからここにいるのだから……。
始める前に侵略獣の襲撃で亡くなった人々に黙祷を捧げてから会議が始まる。
「ちょっとよろしいかな」と右手側の男性が手を挙げた。
「どうぞ、ゴディーオ聖王」
ゴディーオ聖王。彼は東の王国イースディー聖王国の聖王である。
「彼は何者ですかな。見慣れない服を着て、王族の者とは思えないのだがね」
ゴディーオは炎を指差した。
「これは紹介が遅れました。この方の名は豪快炎。先日の戦いで鋼の巨神を操りわたくし達を守ってくれた勇者様です」
イーリスは二人の王に炎を紹介した。本当は炎が自分で自己紹介をするべきなのだが、事前にシレイから主に話すのはイーリスに任せた方がいいと言われていた。
異世界から来たばかりの炎よりもこの世界の女王イーリスの方がはるかに説得力があった。
「なるほど、そなたが、予言にあった我らを救う勇者とやらか……」
ゴディーオは炎に自己紹介をしてから、余り関心なさそうに黙ってしまった。
ゴディーオかなり大きめのローブを着ているが、それでも、でっぷりと太った体を隠しきれていない。
それよりもひときわ目を引くのはローブに描かれているモノである。
それは左右に繋がった十字架のような意匠が施されていた。
よく見るとゴディーオの後ろにいる二人のサーコートにも同じ意匠が施されていた。
ゴディーオが炎の視線に気づいたのか炎に説明する。
「……我が王国は百年前、邪神の脅威から我らを救ってくださった新降臨神様を模したものだ」
ゴディーオが言う新降臨神とは百年前に惑星スマラクトにやってきた天空の人々。 つまり地球人の事を言っている。
ゴディーオの祖先は地球人の乗ってきた宇宙船希望号を新たな神として崇めていて、ゴディーオ達の十字架のような意匠は宇宙船希望号を模していた。
「あなたが我々を救う勇者殿ですか。僕はソンピロ。西のヴェスジック王国の王だ。よろしく勇者殿」
左側の人物が炎に話しかけてきた。
ソンピロは全体的に細身で、よく手入れした金髪を目まで伸ばし、左目にかかっていた。
一見すると優男だが、昔から気にくわない人間を蹴落とし、自分が欲しいものはどんな手を使っても手に入れてきた人間である。
手袋をはめた手で髪を弄りながらソンピロは炎に挨拶するが、ソンピロの目は炎を見ていなかった。何故なら今1番欲しいものが同じ部屋にいるからであった。
「じゃあ、イーリス続きを頼むよ」
ソンピロに促されイーリスは会議を再開させ、イーリスは皆にシレイを紹介した。
シレイは二人の王にこの世界に侵略して来たインベーダーの目的と、インベーダーが送り込んでくる怪獣侵略獣の事を2人の王に説明していく。
「…………」
ゴディーオは無言をつらぬく。
「ふ〜ん。空よりも高いところからやってくるインベーダーが僕達の世界を征服してくるかぁ。怖い怖い。なあイーリス」
ソンピロは他人事のように言う。
「その通りです。この敵は百年前の邪神と同じかそれ以上の脅威。だからこそ我々、三王国は協力してインベーダーに立ち向かうべきなのです」
イーリスの連合軍結成の提案に対して二人の反応は冷ややかだった。
「……我がイースディーは、お主らに協力する気はない」
「何故です?」
「我が王国には天空神様からの御言葉を聴いてから災いから我らを守る壁を作っている。今も、前回のその侵略獣とやらに対して補強をしているところだ」
イースディー王国には、百年前からインベーダーの侵略から守るために壁を作っていた。
壁の高さは八〇メートルもあり、外からは中の様子はさっぱり分からない。
更に初めて見た侵略獣に対応する為に百メートルの高さまで今も補強が続けられていた。
「しかし壁だけでは侵略獣の攻撃を防げても、侵略獣を倒さない限りはいつか破壊されてしまいます」
「……我々には天空神が遣わされた守護神様が居るではないか」
ゴディーオはバーニンガーに全てを任せ自分は何もせず壁の中に引き篭ろうとしていた。
「……毎日、天空神様に祈りを捧げておる。そのおかげで守護神様は動き出されたのだ」
ゴディーオは再び炎を指差す。
「そのものが、勇者など信じられん!」
ゴディーオは語気を荒くする。
「あの守護神様は我らの祈りに応じて動き出し我らをお守りしてくださるのだ!」
「違います。バーニンガーはここにいる炎が動かし、わたくし達を救ってくれたのです」
イーリスの言うことにゴディーオはまったく聞く耳を持たない。
「嘘を言え。まさかそなた……天空神様を愚弄するのか?そんな訳のわからない人間を使って守護神様を独り占めしようと考えているのだろう!」
ゴディーオの言うことはだんだんと支離滅裂になっていた。
「そんなことはありません。落ち着いてくださいゴディーオ聖王」
ソンピロはそんな状況を冷ややかな目で見守る。
「とにかく。我がイースディー聖王国はお主らとは協力などせん」
ゴディーオは椅子から立ち上がって会議室から出て行こうとする。
「どこへ行くのですか。まだ会議は終わっていませんよ。ゴディーオ聖王!」
「黙れ。貴様らと協力しても滅亡するだけだ!祈りを捧げれば天空神様が化け物どもに天罰が下してくれるわ!」
口角から泡を飛ばしながらゴディーオは喚き散らし、イーリスの制止を振り切って会議室から出て行った。
「なんてこと。三王国が協力してこそ勝機が見出せるのに……このままでは」
ショックを隠しきれないイーリスにソンピロが近づいていく。
「まあまあ、イーリス。僕の王国はもちろん協力するよ」
そこで言葉を区切り、次の一言を部屋に居る人間全ての記憶に深く残す為に。
「だって、僕とイーリスは近い将来結婚するんだから」
「えっ!」
ソンピロの一言に1番衝撃を受けたのは、炎だった。だが周りはすでに知っているようだ。
「おやぁ、知らなかったのかい勇者殿。エーヴィヒフリーデンには跡継ぎが必要だから、イーリスは誰かと結婚するのは当たり前だろう」
確かに王国が存続していくには跡継ぎがいるし、その為にはイーリスが誰かと結婚しなければ跡継ぎは生まれない。
だが炎にはそれで納得できるはずはなかった。特にこの男がイーリスに相応しい相手には思えなかった。
「ソンピロ殿。その話を今されても困ります。その事はまた後ほど」
ソンピロは「ああ、また後で」と言って話題を戻した。
「我が王国には侵略獣に対策する為に魔法使いの迎撃部隊とその力を利用した切り札が用意してある。天空の人々が残した巨神とやらを使わずとも問題なく侵略獣を撃退してみせるさ」
ソンピロの口調にははっきり巨神は要らないと言っていた。
「その切り札とは何ですか?」
「僕の王国に来れば実際に見してあげるよ。イーリス」
会議はゴディーオが帰ってからは、ほとんどソンピロの独壇場になっていた。
イーリスもあまり逆らえないのか、殆ど横暴とでもいうようなソンピロの行いを止めることはなかった。
会議が終わり、炎はイーリスとソンピロの婚約の事が気になっていた。
まさかイーリス自身に直接は聞きにくかったし、それに会議が終わってからすぐ、ツィトローネと共に自分の部屋に戻ってしまったので炎は聞きそびれてしまう。仕方なくシレイに聞いてみることにした。
「イーリス様の婚約の事ですか?ええ、もちろん知っていますとも」
「イーリスさんは、何故ソンピロと婚約することになったんだ?」
「イーリス様とソンピロ氏の婚約が決まったのはご両親が亡くなられた一年後の事でした」
炎がこの世界に来てから今迄イーリスは自分の両親の話はしなかった。
シレイによるとイーリスの両親は、五年前に起きた原因不明の流行り病によって、二人とも亡くなっていた。
イーリスは両親の急死により王位を継いだが、婚約者がいないイーリスは、ノルントの王子とヴェスジックのソンピロから婚約を迫られていたが、イーリスは流行り病によって疲弊した自分の王国を復興することに尽力した。
その為、婚約の話は先延ばしになっていたが、侵略獣の襲撃によりノルントの王子は一族とも亡くなってしまった為に婚約者の権利はソンピロが持っているということだった。
「イーリスさんには、恋人とかいなかったのかな」
「確か恋人はいなかったはずです」
「そうか……」
炎はシレイにお礼を言ってから、ジャスティベースに向かうシレイと別れた。炎は取り敢えず城下町に向かって歩いていた。
今のモヤモヤした気持ちを振り払う為に散歩でもしようと思って城下町に向かっている時の事である。 炎が歩いていると、侍女の一人とすれ違った。
かなり急いでいるらしくいつもなら炎を見かけたら挨拶してくれるのにそのまま走って行ってしまった。
侍女が走って来た方から、複数の争っている声が聞こえてくる。
炎がそちらに向かうと、そこに居たのはソンピロと侍女達だった。
そのソンピロの背後には黒ローブの人物も影のように立っていた。
侍女達がソンピロをそれ以上進ませないようにしていたが、ソンピロは無理やり通ろうとしている。
ソンピロが進もうとしているその先にはイーリスの居室があった。
「通してくれないかなぁ。僕はイーリスの婚約者だよ」
「ですから、陛下は今体調が優れないとの事です。お引き取りくださいソンピロ様」
それを聞いてソンピロの声に上辺の優しさが消えたのだった。
「そろそろ退かないと力づくで退かすぞ」
侍女達は仕方なく道を開けていく。 侍女達に恐怖を植え付け、居室までの道を開いたソンピロは悠々とその場を通り抜けようとする。
もちろん黒ローブの人物も音もなく付いていく。
しかし若い侍女の1人が、ソンピロの前に立ちはだかった。
「なんだ邪魔だぞ。どけよ」
ソンピロの恫喝に侍女は臆せず、両手を広げる。
「お願い致しますソンピロ様。イーリス様は体調が優れないのです。ですから今はお引き取り下さい。お願い致します」
侍女の切実な願いを聞いたソンピロは侍女に微笑んだ。
「フッ、分かったよ。今日は大人しく引き下がる……わけないだろがっ!」
侍女が吹き飛ぶ。ソンピロが侍女に手の甲で平手打ちをしていた。
それを見た炎はソンピロに駆け寄る。
「オイ、あんた何してんだ!」
「ああ、勇者殿。今からイーリスに会いに行くのですよ。それを……」
ソンピロは頬を押さえてうずくまる侍女を見下す。
「この女が邪魔したのでちょっとどいてもらったんです」
ソンピロは、まるで自分が何か悪い事をしたのか?という表情で炎を見る。
「それとも何ですか。勇者殿も婚約者である僕の邪魔をするんですか?」
ソンピロは炎に笑顔で話しかけているがその目は笑っていなかった。自分以外の人間を見下している目だ。炎はこの男を敵と認識した。
この男がイーリスと結婚したらこの王国の平和が崩壊し、何よりイーリスが不幸になってしまう。そう考えたら、炎の体は自然に動いていた。
ソンピロは、何も答えない炎に興味を失ったのか。背中を向けてイーリスの居室へ向かおうとする。
炎とソンピロの距離は十メートルもない。走って近づけば一瞬で詰められる距離だ。炎は迷わずソンピロを止めようとした。
どういう方法で止めるかは、考えていなかった。「待て」と言ってソンピロに近づき、彼の肩を掴もうとしたその時、炎の動きが止まった。
殴られた侍女を介抱していた他の侍女達も、急に炎が動かなくなるのを見ていた。炎は手を伸ばした姿勢で固まっていた。
まるで炎の時が止まったかのようにピクリとも動かない。
炎自身も何が起きたのか理解できていなかった。ソンピロに近づき手を伸ばした瞬間、体が動かなくなった。
どうにか目だけは動かせるが、まるで誰かに動きを制限されているのかのように腕や足を動かそうとすると見えない何かに掴まれてそれ以上動けなくなっていた。
ソンピロが振り向く。
「勇者殿。貴方の動きは、僕の魔法使いの力で封じさせてもらったよ」
ソンピロに影のように付き従っていた黒ローブの人物が炎の動きを封じた張本人だった。
炎が目だけを動かして魔法使いの方を見ると、魔法使いは黒い手袋に包まれた右腕を炎に向けている。その手袋には炎が見たことのない文字で描かれた魔法陣が現れていた。
「よくやったぞ。下僕」
ソンピロは魔法使いのことを下僕と呼んでいた。
「さて、勇者殿そこで待っててくれよ。もし本当の勇者だったら魔法くらい破れるかもね」
ソンピロは手をヒラヒラ振ってその場を後にしようとする。
「そこまでにしてください。ソンピロ殿」
ソンピロの前にイーリスが現れた。
「おお、我が麗しの君よ。会いたかったよ」
ソンピロは両手を広げ慇懃無礼に深々とお辞儀をする。
「君に会いに来たのに、邪魔する奴が多くてね。もうちょっと教育した方がいいと思うよ」
ソンピロはいやらしい笑みを浮かべて次の一言を放つ。
「……それとも僕が教育しようか?」
イーリスはその一言を聞いてソンピロを睨みつける。
「ここにいる侍女達はみんなわたくしの為に働いてくれる人達です。貴方に教育されなくても結構です」
イーリスはきっぱりと拒否する。
「わたくしが貴方に求めることは二つです。ひとつは貴方が殴った侍女への謝罪。もうひとつは、炎にかけた魔法を解除して下さい」
「僕に命令できる立場かいイーリス」
その一言でイーリスの肩が一瞬針を刺されたかのように震えた。イーリスとソンピロの立場が逆転する。
「でも誠意を見してくれたら考えてあげるよ」
イーリスは深く深く頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。ソンピロ様」
しかしソンピロは納得せず、さらに要求はエスカレートする。
「それじゃあダメだな」
「ではどうすればいいのですか?」
ソンピロは美味しい物を前にして舌舐めずりするかのように自分の唇を舐めた。
「僕にキスしろ」
「えっ」その一言で魔法をかけられたみたいに固まってしまうイーリス。
「僕にキスして、ここにいる奴らに見せつけるんだ。婚約者なんだからできるだろ?」
イーリスは一瞬迷うが、意を決してソンピロにゆっくりと近づいて行く。その歩みには自分の意思ではなく強要されているのがありありと分かる。
炎は止めようとしたが、魔法は炎の動きを完全に封じている。声すら出せない状況だ。
周りにいる侍女達では、助けに入っても先程殴られた侍女の二の舞いになるだけでイーリスを救う事は難しいだろう。
(くそ。俺はこのまま何も出来ないのか?)
炎は体を動かそうともがくが、炎の体は脳からの指令を無視するかのように全く動かない。
そうしている間にも、近づいたイーリスの頭を ソンピロが両手に逃げれない程度の力を込めて固定する。
ソンピロからは近づかず、イーリスから唇を重ねさせるように仕向ける。
(動け、俺の体、動いてくれ!)
炎が心の中で念じていると自分の中で何かの力を感じる。そしてその力がだんだんと大きくなっていくのを感じた。
下僕と呼ばれた魔法使いは異変を感じていた。 自分の魔法が炎の体から溢れ出す力で破られようとしている。
今まで一度も経験したことのない出来事に、魔法使いは対応に一瞬遅れた。慌てて戒めを強めようとしたが間に合わず……戒めが破られる。
「イーリスさんから離れろ!」
魔法を破った炎は全力疾走でソンピロに殴りかかる。ソンピロは反応が遅れて動けなかったが、炎の前に立ちはだかる人物がいた。
「炎、駄目です!」
炎は必死に拳を止めた。炎の拳はイーリスの顔、数センチ手前で止まる。
「イーリスさんどいてくれ、こんな奴をなんでかばうんだ」
イーリスは何も言わなかったが、緑の瞳で「そんなことをしてはダメです」と炎に訴える。
その瞳を見て炎の中の怒りが消えていき、炎は振り上げた拳を下ろした。しかし怒りに燃える人物がひとり炎に近づいてゆく。
鈍い音がしてソンピロの拳が顔にめり込み炎は床に仰向けに倒れる。
イーリスが悲鳴を上げソンピロを止めようとするが、ソンピロはイーリスを払いのけ、倒れた炎を何度も足で踏みつける。
「勇者だがなんだか知らないが、この、この僕に殴りかかるなんて、なんてふざけた奴だ」
「お願いです、やめてください。ソンピロ殿」
「うるさい。邪魔するな」
イーリスが必死に止めようとするが、ソンピロはやめようとしない。
イーリス達が言い争ってる間に炎は立ち上がる。
「どうしたもう終わりか? お前のパンチなんか全然痛くないぞ」
「貴様、まだ僕を愚弄するのか?」
炎は殴られて切れた唇から流れる血を拭う。
「当たり前だろ、お前みたいな女性を泣かすクズ野郎に勇者は負けない!」
その一言でソンピロの堪忍袋の尾が切れた。
「殺す。貴様今すぐ殺してやる」
ソンピロは腰の鞘から剣を抜き、そして下僕に命令する。
「こいつの動きを封じろ」
下僕は一瞬迷うような仕草を見せるが、再び炎に魔法をかけよう手を掲げたその時だった。
「そこまでです。ソンピロ殿」
その声で周りにいた人はソンピロの方を見る。するとそこには、ソンピロの首に短剣を突きつけるツィトローネがいた。
先程炎とすれ違った侍女がツィトローネを見つけてここまで連れてきていた。
現場に駆けつけたツィトローネは、ソンピロと魔法使いが炎の方に注意を向けている時に隙を見つけてソンピロの背後に回りこみその首筋に愛用の短剣を突きつけていた。
「ソンピロ殿。そろそろ怒りの矛先を収めていただけませんか?」
ツィトローネの声にはどんな人間も凍りつくような冷たさが含まれていた。
ソンピロの首に突きつけた短剣の切っ先に少し力を込め、ソンピロの首に食い込む。ソンピロは「ひっ」と情けない悲鳴を上げた。
「後、そちらの魔法使い殿も下がらせていただくとありがたいのですが」
そう脅迫されて、ソンピロは下僕に「下がれ下がれ」と命令する。下僕は魔法陣を消し手袋に包まれた右手をローブの中にしまい数歩下がる。
それを見届けたツィトローネはソンピロを解放するが、その時に小声で釘を刺す。
「私の姉を悲しませる奴は、例え婚約者でも許しはしない。それが一国の王といえどもだ」
その一言でソンピロの心に氷の刃が突き刺さった。だがこの男が愚かなのはそこで引き下がればいいものを自分の心に根付いた恐怖を紛らわす為に自分より弱い存在を探してそのちっぽけなプライドを守ろうとした事だ。
「ツィトローネ殿、僕とした事が、取り乱してついついお見苦しいところを見せてしまった。この通り許してくれ」
ツィトローネに腰を低くして謝罪するソンピロ。自分より強い人間には頭を下げることを厭わない男だが、自分より弱い人間にはとことん強気でいく。
「だが、お前は許さないぞ」
そう言って手袋を外して炎に投げる。
咄嗟の事に避けれなかった炎の頬に投げられた手袋が当たって床に落ちた。
「勇者炎。僕はお前に決闘を挑む!」
「決闘?」
ポカンとする炎にソンピロ構わず続ける。
「そうだお前は僕の名誉を傷つけた。その名誉を回復する為に僕はお前に決闘を申し込む」
「いいだろう。その決闘受けて立つ」
「待ってください。炎」
イーリスの制止を手で止める炎。
「大丈夫ですよイーリスさん。こんな奴におれは負けません」
「いい度胸だな勇者。その度胸だけは褒めてやる」
「うるさいぞソンピロ。それでいつ決闘するんだ?」
「今から一週間後。場所は……」
「我が城の広場でよろしいな。ソンピロ殿」
横槍を入れたのはツィトローネだった。
「分かった。それで構わない」
ツィトローネには今のところ逆らえないソンピロ。
「決闘の方法は剣を使った近接戦だ」
最初から決めていたらしく、それだけは頑として譲らなかった。
「分かった。一週間後、おれはお前を絶対倒す」
「今から一週間後が楽しみだよ。勇者殿」
ソンピロは鼻で笑って自分の王国に帰っていった。その時魔法使いが炎にすれ違いざま「ごめんなさい」と小さい声で言ったのが炎の印象に残った。
その声は女性の声だった。
「炎。わたくしを助けてくれようとしてくれたのはお礼を言います。けれど決闘を受けるなんてとても愚かなことですよ」
「分かっていますイーリスさん。けど女性に酷い事を平気でするやつをおれは許すことは出来ない」
「けれど、貴方は剣を扱ったことがあるのですか? 彼だって勝算があるから決闘を申し込んできたんですよ!」
そう言われると炎は黙ってしまう。剣なんか触った事もないし、武術などなにひとつ知らない。学校で柔道の授業があったくらいである。
「大丈夫です。陛下」
ツィトローネが一歩前に出る。
「決闘まで一週間あります。その間に私達で炎殿に武術を教え、鍛えます」
「それで勝てるんですねツィトローネ?」
イーリスはツィトローネの目を見ながら問いかける。
「もちろんです陛下。もし炎殿が負けた場合には、この命を差し出す覚悟です」
イーリスは少し考えてから言葉を紡ぐ。
「……分りました。ではツィトローネ。1週間で炎を鍛え上げなさい。これは命令です」
「仰せのままに陛下」
その言葉を聞いたイーリスは炎の方を向く。
「炎、とんでもないことになってしまいましたが、この一週間でツィトローネが貴方を鍛えます」
そう言うイーリスの瞳はとても悲しそうだったが、炎はそれに気づく余裕がなかった。
こうして決闘に勝つ為に一週間の特訓が始まった。




