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二〇数隻の魚雷艇を撃沈破した頃には、志摩・西村艦隊はスリガオ海峡最深部右手のヒブソン島が見える位置まで辿り着いていた。
どこかでまだ生き残っている魚雷艇が無線でこちらの情報を流しているのを、「山城」の通信傍受班が捉えている。粗方叩いたはずだが、敵は魚雷艇を山ほど用意していたらしい。
一〇分ほど前に、電探と見張員の目はヒブソン島の南西に、こちらの頭を押さえる陣形で航行している敵艦隊を補足している。左から右、つまり西から東へ向かって進んでいるこの敵艦隊は巡洋艦クラスが三隻前方を進み、駆逐艦らしき小型艦八隻が後を追い掛け単縦陣で構成されていた。事前の索敵で見つかっている戦艦の姿は一隻も無い。
敵巡洋艦部隊と志摩隊の「那智」「足柄」はすでに砲撃戦に突入している。
西村中将指揮の二戦隊「山城」「扶桑」は志摩隊の後方五〇〇〇メートルを走り、敵巡洋艦部隊と駆逐艦部隊へ砲撃を始めようとしていた。当初、丁字を敵に描かれている態勢だったが、志摩隊が敵艦隊の後方を抜ける針路を取り、レイテ湾突入阻止が作戦目標である敵艦隊はこれを押さえるために反転し、そのまま針路を北北西にとっての同航戦となっている。
「右砲戦、本艦目標敵三番艦。『扶桑』目標敵四番艦」
「右砲戦、目標敵三番艦。主砲砲撃始め!」
西村の下令と「山城」艦長篠田勝清少将の命令が飛ぶと、旗艦の「山城」と僚艦の「扶桑」は三五.六サンチ連装砲を右舷に向け始める。二艦合計一二基二四門の砲身が一斉に動き敵艦へ向けられるその様子は、さながら槍衾のような凄みを感じさせる。
西村は左手首に目を落とした。
(一〇二〇時か。魚雷艇との戦闘に思いの外時間がかかってしまった。一一〇〇時にレイテ湾突入は厳しいだろうな)
サマール沖で敵特空母部隊を撃滅したという栗田艦隊からは、一一〇〇時にスルアン島沖に到達する見込みと通達があったので、おそらくレイテ湾突入は正午をだいぶ過ぎる頃になるだろう。
西村の思考を、「山城」の主砲射撃が遮る。六門の三五.六サンチ砲が距離二〇km先の敵三番艦に向け第一斉射を放った。時間を置かず、後方から似たような発砲音が響く。
「『扶桑』撃ち方始めました」
敵三番艦は三本煙突の重巡クラス。アメリカ海軍に煙突が三本ある重巡は存在しないため、おそらくイギリス海軍のケント型、ロンドン型、ノーフォーク型のどれかを使っているオーストラリア海軍の艦と判断されている。その敵三番艦が発砲した。
敵艦の弾着が来る前に、「山城」の三五.六サンチ砲弾六発が敵三番艦周辺へ水柱を作らせる。
「さすがに初弾命中とはいかんな」
水柱でかき消されていた敵三番艦の姿が健在なまま目に映った西村が独りごちる。一番近い弾着でも敵艦手前二〇〇メートルは離れていた。
入れ替わりに敵三番艦の弾着がやってきた。お世辞にも褒められた射撃ではない。艦橋にいる西村や艦長などは、水柱が見えなかったくらいだ。
「山城」が第二斉射を撃つ前に敵三番艦が第二射を撃つ。「山城」も負けじと第二斉射六発の咆哮を轟かせる。数十秒後に敵三番艦の弾が降ってきたが、これも明後日の方向へ二〇センチ砲弾程度の水柱を生み出すだけで、どうやら砲術の練度に問題のあるフネのようだった。
そして「山城」の第二斉射が届く前に敵三番艦に動きがあった。見張員の声が艦橋に響く。
「敵三番艦以下、取舵を切っています!」
「敵三番艦、針路二七〇度に変針!」
見れば、敵三番艦から続く敵駆逐艦群が、艦首を左に振ってこちらへ頭を向け始めている。合すれば重巡一、駆逐艦八の戦力だ。
西村は内心「ようやく近づく気になったか」という思いだった。
昼間の海戦で戦艦を相手に巡洋艦・駆逐艦が戦うには、肉を斬らせて骨を断つ式の突撃を仕掛けて雷撃戦に持ち込むしか方法はないのだ。撤退が許されないのなら余計にそうしなければならない。
西村の抱える第三夜戦隊も部隊間の練度等、決して褒められた物ではないが、戦意の点ならば自分たちの艦は栗田艦隊の精鋭たちと何ら遜色ないと西村は信じていた。
敵三番艦に対する射撃は、相手が変針したため当然ながら大きく外れた位置に弾着した。
西村が力の入った声で命じる。
「『最上』と『時雨』、四駆に命令、全艦突撃せよ」
「志摩隊、一水戦右舷へ転舵します!」
敵一番艦と砲戦を繰り広げている「那智」の志摩も、続航させていた一水戦の「阿武隈」と七駆、一八駆の駆逐艦へ突撃命令を出したようだ。
西村はさらに「『最上』、『時雨』、四駆は一水戦の指揮下に入れ」と追加で命じる。
命令一下、重巡一、軽巡一、駆逐艦八が接近してくる敵艦隊へ駆け始めた。
敵三番艦以下の針路が固定されたのを見計らい、射撃を中断していた「山城」と「扶桑」が砲門を開いた。日本帝国海軍現役の戦艦主砲としては一番口径が小さくとも、その砲撃時の迫力は海の男をして心を躍らせる根源的なものを感じさせる。
敵三番艦の射撃が再び始まり、その砲弾が「山城」に到着するより前に、六発の三五.六サンチ砲弾が一九km向こうの敵三番艦へ降り注ぎ――「山城」艦橋内が驚きの声に包まれた。
放たれた砲弾は敵三番艦を夾叉していたのだ。戦艦の砲戦距離としては近距離に入るとはいえ、実戦時の命中率は訓練時のそれの数分の一から十分の一程度にまで落ちると言われているから、「山城」砲術科員たちの力量はまことに称賛に値するものであった。
対照的なのは敵三番艦の射撃で、弾着はまたも大きく外れ、吹き上がった水柱が「山城」にかかることもない。だが速射性能は敵の方が上なので、水平線上に発砲炎が煌めいた。
第四斉射を「山城」が撃つ。六基一二門の一斉打ち方ではなくこれまでの交互打ち方のままだ。砲術長は一斉射あたりの弾薬投射量よりも手数の多さを重視したらしい。ややあって敵三番艦の弾着がやってくる。今度は少し近づいた場所に水柱が四つ立ち昇るが、「山城」には何の支障もない。
反対に、「山城」の第四斉射は効果を発揮した。
「敵三番艦に命中!」
おおっ、という歓声が戦闘艦橋に湧き上がった。西村が双眼鏡を通して見た敵三番艦は、艦体中央部から黒煙が吹き上がっている。
「あの位置ならもしかすると……」
西村が予感した通りだった。敵三番艦こと「シュロップシャー」に命中した一発の三五.六サンチ砲弾は、この艦の特徴的な三本煙突を一本吹き飛ばし、機関部水平装甲をあっさりと突き破って炸裂した。この一撃で「シュロップシャー」は八基持つボイラーを半分叩き潰され、速力が瞬時に一四ノットにまで低下してしまった。
しかし主砲塔と射撃指揮装置は健在な様子で、煙を盛大に吹き出しつつ発砲炎が顔を覗かせた。
「腕はからっきしだがやる気はあるようだ」
艦長の篠田少将が誰にともなしに呟く。
「山城」が第五斉射を撃つ前に敵三番艦の砲弾が降ってきた。けれども、自艦の速力低下を加味した射撃を行わなかったらしく、弾着はいずれも「山城」の後方数百メートルに集中していた。
おかえしだとばかりに「山城」が第五斉射を放つ。その砲弾が弾着する直前、敵三番艦が発砲した。
第五斉射で敵三番艦に命中したのはまたも一発だったが、これが実質的に敵艦へ引導を渡す格好となった。
「敵三番艦に命中!」
見張員の興奮した声が響く中、西村は敵三番艦を観察する。今度の射撃は艦首に命中したようで、ほとんど足を止めてしまっている。
「シュロップシャー」の艦首に命中した三五.六サンチ砲弾一発が落角二〇°程度の角度で水平甲板を紙のように貫き、そのまま艦底部まで辿り着いた末に炸裂した結果、艦首先端から約一五メートルまでの部分が耳障りな金属の裂傷の音を立ててごっそりと断裂してしまった。
ボイラーの損傷に加え艦首切断の重傷を負った「シュロップシャー」は完全に洋上で停止してしまい、身動きが取れなくなった。
損傷する直前に放った敵三番艦の砲撃は、一番近い弾着で「山城」の右舷七〇メートルほどのところに水柱を作っただけで、夾叉も命中弾も得ることなく終わった。
さらに、「山城」の後ろを走る「扶桑」もこの時、接近してくる敵四番艦(駆逐艦クラス)を巨人の戦斧で叩き割ったかのような姿に変え、その後転覆に追い込んでいる。
動けなくなった敵三番艦はもう脅威ではない。西村は砲撃目標の変更を命じようとした。その時、
「『那智』火災! 速力落ちます!」
「敵一番艦に大火災!」
「『足柄』、面舵に転舵します!」
見張員たちの声が立て続けに舞い込んだ。西村がハッと「山城」の前方六〇〇〇メートルほど先を双眼鏡で見る。
志摩隊の旗艦「那智」が艦中央部からもうもうと黒煙を吐き出し、根本で赤い炎が顔を覗かせている。後部二基四門の主砲塔はいずれも明後日の方向へ砲身を向けるか、根本から消えて沈黙していた。
一方、「那智」と撃ち合っていたはずの敵一番艦も負けず劣らず火災が艦前部を中心に発生しており、艦橋の周辺が煙でさっぱり見えない。主砲塔も全て動きがない。
敵一番、二番艦は一五.二サンチ砲一五門を持つ重武装のブルックリン型軽巡と推定されていたから、「那智」と敵一番艦はほぼ相討ちにもつれ込んだらしい。
西村はすぐに「志摩長官を呼び出せ」と通信士官に命ずる。
速力を落としている「那智」を面舵でかわした「足柄」も、敵二番艦と砲撃戦を続行していた。こちらはまだどちらも大きな損害は負っていないらしく、お互いがところどころに煙を吐き出しながら二〇.三サンチ砲弾と一五.二サンチ砲弾をぶつけあっている。まるでボクサーがノーガードの殴り合いをしているかのような光景だった。
「『那智』、呼び出しに応じません」
通信科員の報告がやってくる。西村は頷くと、よく通る声で令した。
「艦隊全艦に信号。『旗艦損傷大ニツキ、我コレヨリ艦隊指揮ヲ取ル』。『山城』目標敵二番艦、『扶桑』目標敵最後尾艦」
「那智」艦上の志摩と連絡が取れない以上、次席指揮官たる西村が指揮権を代行せねばならない。まずは「足柄」の援護だ。このままでは彼女も「那智」と同じような手酷い状態になってしまう。
西村が指揮権代行を宣言してから五分後、射撃準備を整えた「山城」が、六門の三五.六サンチ砲弾を敵二番艦へ撃ち放った。
これに為す術がない敵二番艦は、「足柄」に対する砲撃を中断して面舵に転舵し、機関を不完全燃焼させて煙幕を展開、全速で離脱を図った。重巡と互角の砲撃戦を行っていたところに戦艦が横合いから殴り掛かってきたのだから、常識的な戦術判断だった。
「足柄」と「山城」が追いかけながら砲撃を続けるが、運悪く敵艦はスコールの中に逃げ込み失探してしまう。
追撃を中断した「山城」が、煙を出しつつ蹌踉う「那智」へ近づき、発光信号で問いかけた。
「貴艦ノ損害報セ」
ややあって、あちこち被弾痕が目立つ艦橋付近から返信があった。
「我、出シ得ル速力一四ノット。通信機損壊、志摩長官負傷」
「山城」戦闘艦橋内にどよめきが広がる。西村も内心は同期の心配があったが、表に出す事なく、
「極力艦ノ保全ニ努メヨ」
と命じ、続いて敵二番艦を追いかけていた「足柄」を呼び戻し、「山城」「扶桑」に続くよう指示した。
「一水戦や『最上』などはどうなっている?」
西村の東の方角を見つめながらの問いに、首席参謀安藤大佐が答えた。
「『扶桑』が敵四番艦を撃沈した頃に乱戦に入った模様です。以後は連絡が入ってきていません」
「山城」から見て右舷方向で幾多の水柱が立っていた。その合間から艦影が何隻も見え、いくつかの艦からは被弾によると思しき煙が立ち昇っている。
「各隊に現状を報せるよう伝えよ」
この時点で、接近してくる敵駆逐艦群と志摩・西村艦隊の一水戦の戦闘は終息しつつあった。「扶桑」の射撃と「最上」の射撃で駆逐艦一隻ずつが爆沈に近い最期を遂げ、残り六隻となった敵駆逐艦群は滅多打ちの状態になりながらも距離八〇〇〇で雷撃を敢行。一水戦も距離七〇〇〇で雷撃を行い、結果として敵駆逐艦四隻を大破もしくは撃沈に追い込んだ代わりに、「朝雲」と「山雲」、「不知火」が被雷し、いずれも航行不能の判定大破となる損害を負った。特に「朝雲」「山雲」は艦体が断ち切られるほどの損傷で、すでに総員退艦が発令されていた。
西村は纏められた情報を把握すると、戦闘の停止と溺者救助を命じ、艦隊の再編成を始めた。
「敵艦隊は重巡一、軽巡一大破、駆逐艦六撃沈ないし大破。こちらの損害は重巡『那智』と駆逐艦『不知火』大破、重巡『足柄』中破、駆逐艦『朝雲』『山雲』が沈没となります」
「山城」戦闘艦橋内で参謀の伊東慶治少佐が報告した。言葉の端々に勝報を届けられる喜びを滲ませているのが分かる口調だった。
その気持ちは西村もよく理解できた。心中で彼は独言する。
(聯合艦隊が久々に得た勝利なのだからな)
「『那智』と『不知火』は『霞』と『時雨』を護衛に付けて後退させましょう。海峡にはまだ魚雷艇が潜んでいるでしょうから」
安藤大佐の案に西村は現実に意識を向けて同意した。落ち武者狩りよろしく撤退中に襲撃される事は十分あり得る。レイテ湾突入の戦力は減るが、致し方ない。
後退する「那智」には志摩中将も乗ったままとなった。彼は、「那智」艦橋に飛び込んできた敵弾の破片により左腕に大怪我を追っていたのだ。命に別状はないとの事だったが、艦隊の指揮など取れる状態ではない。
一一一〇時、志摩・西村艦隊改め西村艦隊は進撃を再開した。艦隊は戦艦「扶桑」「山城」、重巡「足柄」「最上」、軽巡「阿武隈」、駆逐艦「満潮」「曙」「潮」に目減りし、「扶桑」と「山城」を除けばどの艦も多かれ少なかれ損傷を抱えていたが、敵艦隊を打ち破った事により彼らは勢いづいていた。
レイテ湾まで時間にして、約二時間のところまで迫ったのだ。手の届くところに、数万以上の敵兵と山のように連中が持ってきているはずの戦車や火砲、それらを載せてきた輸送船の群れがある。戦意が昂ぶるなと言う方が無理な相談だった。
アメリカ軍もそう簡単にレイテ湾を明け渡すつもりはないのだと彼らが知ったのは、それからまもなくの事だった。
ホモンホン島沖西側の海域から、オルデンドルフ少将指揮の戦艦部隊が南下して来ているのを「山城」の見張員が視認したのである。
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